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次元のとびら④

思考が望むことを、
あたかも自分で動かしている様に
感じられる節のある3次元。

これはこれで楽しかったですね。

5次元的な幅広では、思考に頼らなくても、
現象は自動的に変わっていくようになります。

思考だけの感覚に、
目覚めた意識が加わったことで、

本心で望まれないことは、
明かに動かないのがこの世界の仕組み。

というとこに、理解が追い付くからです。

詳しくみていくと、

ここでは、自分に必要なものの
すべてを自動的に集めているので、

奇跡の方法なんてものが無く、
みんなちゃんと出来ています。

なので、明らかに動かないときも、

願いを叶わせる力はあるけれど、
本心では動かそうと思っていない。
ということが起こっていて、

・実は、そこまで欲しくない。

(本当の自分の想いではない。...)

・叶わないことを、観たい。

(叶わないことが、叶ってる。)

・今はそのタイミングでない。

( タイミングが来れば、すっと動く)

なんてことが分かります。

これまでの幻想が破れだすと、

思考の望むことが本当とは
限らなかったことが、ちらほら見えて来て、

こんなことがやってみたい。
/これは自分には必要じゃなかった。

ということから始まり、

これ、欲しかった。
/もう、持っていた。とか、

これがしてみたかった。/
もう、出来ていた。という様な
気づきが起こります。

この流れは、
雨が降って魔法が解けるかのように・・
という表現が適しているかな、と思うのですが、

これまで思考に埋もれていた
ハートが動くことで、

これまで見えなかった体験が
見えるようになって来ます。

*

体験の内容は個性それぞれですが、
この日記は裏方の仕組みを紐解きたい場所なので
もう少し見ていきます。

3次元(思考メインの世界)では、

肉体と同一化した思考が
生きている(と錯覚できる)スタイルが
普通だったかと思いますが、

5次元的視界では、

目覚めた意識がこのことに気づくので、

なんでも 向う側からこっちに
やってくるというあたらしい感覚を、
楽しめるようになります。

分かり易くは、

3次元の価値観からは、

→ 自分から外に出ていくことを
強いられる感覚が強く、

5次元の価値観では、

→ 内なる意識が、こっちに向かってくるものを
ゆったり観察できる感覚が強いので、

鑑賞側が感じる重みも全く違います。

少し例えを書いてみると。

過ぎたこと、まだ起こらないことへの
不安や、後悔というものに、
巻き込まれなくなります。

思考がそこに文句や不安を
言うことがあっても、

それはそれで、そのままで良く、

”共栄できます。”

他には、

”ハートが望むなら、
勝手にそうなっていくので、
遠くから見守っている。”

これが出来ます。

意識は今の自分を否定していないので、
どんな気づきが起ころうと、
変える緊急性がありません。

そうなればいいな。で、未来に、
一旦預けることが簡単になります。

そして、

”答えは一つでは無く、幾つでもある。”
ことに、意識は寛いでいます。

又は、限定が起こりません。

限定が無いことで、

決めなくてはならないことも
そこには存在していません。

ひとつの例えでは、

桜の花をみながら、
小豆を巻いたクレープを食べたら
桜餅の味になる。みたいなもので。.*✿

限定がないことで、

今の生活を楽しく続けながら、
新しく始めたいことを両立出来る選択肢
なども自然とオープンします。

思考が頑張りたい3次元の視界からは、
なんとかして両立するアイデアを
考えたりするのですが、

前にも書いている様に、
考える(思考)ラインに立ったまま
答えを出そうとしても、
考えの中からしか答えは出ません。

ですが、アイデアを捻りながらも、
気づいたらふと神アイデアが降って来た。
なんてことは、
これまでも沢山あったと思うのです。

これが無意識に世界線を跨いだ形跡で、
次元のとびらは、私たちの身近にあることを
教えてくれています。

そんな閃きがあると、気づいたら
そうなっていた位の感覚で、

向うから勝手についてくるわけです。

*

この日記が非物質世界に重きを
向けていることを前提に、

宇宙の流れを特に敏感に
感じ取ってしまう存在の方達は、

ハートの想いが、思考と混合して
よく分からなくなってしまい、

自分の求めていることが
正確にはっきりと分からない。
というカテゴリーにあったと思います。

そういった意味では、

周りの流れに押されて感じることは、
尽きることがないと思うので、

そのすべてを自分の求めていること。
として見ると、

思いばっかりで何も出来ていない人。
の様に感じることが、
自信の無さと繋がってしまうことも、
あったかもしれません。

それでもこれからは、

周りも自分の個性に集中して  
楽しめるようになってくることで、

こちら側が多方からの想いを
キャッチすることも、
自ずと減っていきますし、

”自分に起こった気づきはみんなのもの”

つまり、世界はその為の多様性なので、

自分がしきれないことは、
最もそれに合う力をもった個性が、
必ずしてくれているし、してくれる
ことも
はっきり分かって来ます。

すなわち、最も自分の個性に合ったことは、
実は自分も既にしていた。と分かります。

足りないと思っていたそれが3次幻で、

情報に縛られて
納得できていなかった思考が、
否定し続けてきただけだったと。

違った伝え方では、

浄化が必要な空間で、
自分の為だけには楽しめなかった人たちが、
自分を楽しめる時間に移行していくのだと。

私は、ひそかにそう思っています。

*

5次元では、

考えたりしないで良い分、
生きるのが楽になります。

人生の苦しみは100%、
考えること由来なので、

考えることが排除されてここで初めて、

人生の『楽しい』が、
本当の意味で始まるって感じです。

わたしの辞書にある『楽しい』とは、
状況的なものを指すのではなく、
解放されているという意味での、楽しさ。

=いいことがある。とか、
いっぱい笑ってる。とかではなく、

=考えてない。

『(考えることから)解放されてて、ワクワクする。』
のが、本意の楽しさだということ。

そういった意味での“楽しい今”が膨れ上がるのが
5次元の生き易さとなるわけです。

これ、なにか特別な事してますか?っていうと、
していないんです。

これまで通りの生き方と言っても、相違ありません。

ただ、これまで考えるってことに漬かっていた神経を、
楽しむっていう時間に漬け変えれたら、

人生も軽やかに、あたらしい体験が出来るように
なりました。

以上。

これだけです。💎

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