丸めたヨガマットを肘置きにして

2024年9月1日
 午後。藤代くんがほろびてに入ったことを発表する。たくさんのことがあり、それを書く機会は訪れないかもしれないが。この先がすこしたのしみになる。

 大事なことが柱みたいに立っていく。

 先日の話だが、ガルバの有料パンフレットに寄せる文章を締め切りギリギリに送る。台本もそうだが、書くべき要素が決まっていてもどれをアウトプットするのかで迷い、頭の中で組み換え、書いては書いては何度も書き直す。で、カチッと何かが噛み合う瞬間があって、ゼロから書き始めるとあらかた書きたいことが書けたりする。もっとアウトプットを端的にしたいものだけど。

 これも先日。イキウメ『奇っ怪』とロロ『飽きてから』を見る。イキウメはいつも思うのだけど、劇団力を思い知らされる。そこにしかない力を見ることができるのは見るべき価値としてとても大きい。生越千晴さんことおごちもさすが、溶け込んでいて存在感を示していた。すごいなあ。

 ロロ。こちらも劇団公演だけど、劇団員で出演しているのは亀ちゃんと望月さんと森本さんの3名。前述したような劇団力ではなく、個人の魅力がキラキラと輝いていて長年同じ劇団でそれぞれの在り方を確立したからこそできるアンサンブルがあった。あと、劇作がやっぱりとてつもなくうまい。舞台の特性上、上下(かみしも)の平面的な動きの多用が美術とあいまって、ウェス・アンダーソン味を感じられたのもよかった。

 渋谷を歩いていると他の街にはない安心感がある。若い頃にウキウキとほうぼう歩き回ったなあという感慨も重なって。ああ、こんな感じで思い出しちゃうのだから本当に。東急文化村が建物ごとなくなっていた。僕が俳優で所属している事務所が近いのでもう20年近く親しんでいたところだったが、やはりなくなるものか。年食っていく人間にとって再開発というのは、勝手に感傷的なものになってしまうのだな。僕が20代の天才建築士だったら「俺が街を生まれ変わらせる」と息巻いたりするのかもしれない。

 山田尚子監督の最新作『きみの色』を見る。絵や演出、画面設計、音は文句なくすばらしかったが、山田尚子監督の次作は岡田麿里脚本で見たいと思った。希望・願いのもとにあらかじめ脱臭・漂白しておくのではなく、演出で、絵で、人間の暗部やねじくれた部分を脱臭してみせることができるだろうし、その手腕にこそ凄みが出るのではないかと見ていて思った。ぼくにとってはあまりに美しすぎた。といいつつも、近いうちにもう一回見にいこう。すごい作品には違いないし、感想が変わるかもしれないから。

 数日前に書いたエントリを下書きに仕舞ったのだけど、そこで言及していたVTuberの引退のこと。不在とミームとメッセージがネットには折り重なってとても不思議な気持ちがする。それこそアイドルとは偶像であり、偶像とは信仰の対象となるもの。実存とはちがう存在の仕方って、何だろうなあ。そんなことを日々考えていたりする。

 先日朝日新聞に掲載された星野智幸氏の寄稿文を読む。星野氏自らに向けた刃のような思索と受け取った。折々で読み返したいとも思った。

 コマーシャルは無意識に働きかけることで意欲を誘導させるものだ。この原理はコマーシャルに限らない。情報を目にした時、何にしたって人間は影響を受けていく。自分も、伊藤計劃『ハーモニー』の序盤にミァハがWatchMeに向けたような態度でいたいと感じている。

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