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 円陣を組んで手を重ね合わせた。他のメンバー3人の表情を見ることができないでいた。これが最後のライブだからか。いや、違う。それを心に決めているのは自分だけなのだから、申し訳ないがそうではない。リツやビャム、賞状は明日のライブも当然やる気なのだ。今日はメンバー選出の曲を、明日はファン投票の曲を中心に組んだ。ぼくが3人を見られないのはもっと別のところに問題があった。
 気合を入れて声を張った。3人が続けて叫び、全員で重ねた手を押し下げた。はじまりだ。バックステージから舞台袖を通りステージへ向かう。サウンドチームが力強い拍手で送り出してくれる。マネージャーの録音くんはいつもステージギリギリ手前でぼくたちが出ていくのを見送る。今日も定位置でハイタッチのための手をかざしている。賞状が録音くんの手を叩いて出ていき、リツとビャムが続いた。2000人の歓声が一気に密度を上げた。分厚い声の層が何層もできてステージに押し寄せていた。ステージの手前、ぼくは録音くんを見た。彼女にだけは伝えていた。彼女はきっちり約束を守り、今日まで自分の胸にしまっていてくれたのだ。
「ブチかましてよ」
 録音くんはいつもの調子で言った。ぼくはうなずいて彼女にハイタッチをした。手が重なった瞬間に録音くんはぼくの手を掴み、力を籠めて握った。ぼくはステージを見つめたまま、感謝を伝えた。ステージに歩き出す。後ろで咳払いが聞こえた。録音くんが涙をごまかすときのクセだった。
 今日はいつも使っているモズライトやリッケンバッカーではなく、おびただしい配線に包まれ異様な見た目をしたタルボ・カスタムタイプがギタースタンドに置いてあった。ボディから3本のシールドが伸びているが、ステレオ出力用と思われているだろう。実際にアンプに繋がっているのは1本だけだ。他の2本は別の機構へと繋がっている。ストラップを肩にかけるとチューニングの確認もせずにフットペダルを踏んだ。ボリュームが上がった。BIG MUFFを踏むと、狂ったようなハウリングが会場を満たした。リツのベースが歪みながら走り出す。賞状がハイハットを皮切りにフィルをはじめた。ビャムはレスポールの開放弦を鳴らしながらマイクの前に立った。全員が絶好調だとわかった。明日への手応えも感じた。ぼくだけじゃなく、みんなが感じ取っていた。それがわかるくらいぼくたちはライブを重ねてきたのだ。明日があるなら、それは過去最高のライブになるだろう。
 5、6弦を3フレットから段階を追うようにゆっくり、強くピッキングする。決まった音数で2弦の15フレットからのメジャーペンタトニックを混ぜていく。パワフルなファズサウンドにも負けず各音を粒立ちさせるリアピックアップのハムバッカーが出す地鳴りのような低音に、乾いたメロディが溶け合っていく。1弦18フレットからのマイナーペンタトニックに切り替える。ヌケの良いリアピックアップから、枯れたサウンドのフロントピックアップへ切り替え、ディレイエフェクターを踏み込んでスウィープ奏法をはじめた。流星をイメージした音。セットリスト本編の突入前のアドリブだった。1曲目に万全の態勢で入るためのウォームアップだ。ぼくは2階席を見ていた。2A-29番、ただその一箇所。それから、フロアの2メートル頭上あたりを見る。このあとの音を一つ一つ、精確に弾くために宙を見つめた。シームレスにライブ本編に流れ込んだ。6弦と1弦を交互に弾いていくイントロ。165BPMでミニマルに進行するリフ。賞状のスネアとリツのランニングベースが、少ない手数でグルーヴを生み出していた。いつもならぼくは破顔していただろう。しかし油断はならない。次のピッキングから行くのだ。ぼくはタルボのボディにあるスイッチを入れた。起動する振動がみぞおちに伝わってくる。12フレットの4、3、2弦に軽く触れピッキングするハーモニクス奏法で浮遊感を作る。振動が安定した。手に取るようにわかった。一人で何度も練習し、確認してきたのだ。このギターは、ぼくはいま、静止軌道上の人工衛星・アポテフに接続されている。
 これまで、ぼくは一度もバンドのセットリスト選定に口を出してこなかった。ファンが何をよろこぶのか、よく知っていたのはベースのリツとボーカル・ギターのビャムだった。2人と録音くんが決めた流れにのっていればおもしろいように会場は沸いた。演奏のグルーヴが僅かにズレているときなどにアドリブでまとめるのが賞状だった。ぼくは4人で演奏できればそれでよかった。今回初めて、どうしてもこの曲を一番最初にやりたいと言った。みんなはやさしく反対した。できたばかりの新曲でアレンジも十分に固まっていなかった。これまでの曲作りに対して、この新曲は倍の1ヶ月を丸々費やし、それでも定まっていなかったのだ。自分たちが掴めていないものをライブの大事な導入に持ってくるなんて馬鹿げてることはわかっていた。キラーチューンは他に何曲もあった。それでもぼくは譲らなかった。そしてみんなは気づいていた。この曲が完成しないのは、ぼくがアレンジを日々ごっそり変えるからだと言うことに。ぼくはこの曲作りを意図的に迷走させていた。正確に言うと、何通りものパターンを構築していた。定まったコード進行の上に、どのような装飾を楽器で施すのか、その道筋を何百通りも作っていた。手癖もあれば新機軸もある、あらゆるパターンを試していった。毎日煮詰まり気が狂いそうになる作業の中で、ぼくが提示するあらたなアレンジを、苦笑ひとつで3人は受け入れた。彼らの技術の高さとアイデアの底知れなさを身を持って知った。それぞれがスタジオにいるときだけではなく、プライベートの時間を削りに削ってアイデアを持ち寄っていた。誰かが「もうこれで終わり、決めよう」と言ったらぼくはそこで完成と言うつもりだった。録音くんも含めて誰もそれを言わなかった。だから、セットリストの選定会議でぼくが初めて主張したこの選曲をみんなはやさしく反対したあと、ぼくが引かないことを確認するともうそれきりだった。あとはライブの2曲目やそれ以降をどういった流れで作っていくかの話し合いになった。ビャムが、「どの方向でいく?」とぼくに聞いた。どうしようか。ぼくはそう返して問いを宙に浮かせたまま終わらせた。2曲目以降を演奏するとしたら、そのときはぼく抜きだ。
 いまぼくが選択しているアレンジのラインは、12フレットのハーモニクスからはじまるという共通理解だけだった。それだけで次の音に向かっていた。音を奏でるたびに、膨大な選択肢が限定されていく。賞状、リツ、ビャムは、ぼくの音をカンマ00001秒で聞き取り、一緒に走ってくれた。
 ぼくの音階、選択される弦、ストロークのテンポ、カッティングのタイミング、エフェクト。それらはアポテフの環境にのみ考慮して決定された。静止軌道上にあるかすかなデブリ、磁場、熱圏、中間圏、成層圏それぞれの気温や風、異物。自然や人工物全てがアポテフとぼくとの間に影響した。この演奏は、この曲は、目の前の観客へ向けたものではない。たったひとつ、アプテフのために弾いていた。ぼくの音は信号だった。弦をピックが弾く。その音をパルスに変換し、2本の疑似ニューラルネットワークを通じて分派伝送増幅していた。アポテフにいる、礼二に。
 礼二は人間だった。ぼくの子供としてこの世に生まれた。NICUの分厚いガラスの向こう、1000gにも満たない低出生体重児だった礼二は、だがしっかりと呼吸をしていた。生きようとしていた。強く伝わってきた。あの時の命の感動をぼくは一瞬も忘れたことはない。命の価値は、体の大きさや社会的な地位じゃない、わかっていたことは、実際には何も分かっていなかった。何も分かっていなかったことがわかり、そうして初めてわかることができた。13ヶ月の入院生活を終え我が家にやってきた礼二は機械と二人三脚で生きるしかない身体になっていた。国の補助もあったがそれだけでは到底賄えない治療費がかかった。礼二が5歳になったころ、バンドのライブに来るようになった。彼は特に都内のライブは欠かさず来て、家に帰ると興奮が収まらないために夜更かしをしてライブ映像を見続けた。礼二が8歳になったころ、AI技術により共存する機械の小型化が進み、外を出歩けるようになった。特別支援学校で友人もでき、お互いの家を行き来した。礼二の興味はゲームか、ぼくのバンドか、星空だった。彼が9歳になったころ、ぼくは肺と腎臓をひとつずつ無くした。10歳になったころ、AIのオープンソース由来のプログラムがハッキングされ限定的で小規模な通信障害が発生した。被害もわずかで、最初は小さなニュースだった。もしかしたら専門家の中にはことの重大さに気づいていた人もいたかもしれない。しかし対策を講じるより障害拡大速度の方が遥かに上回った。ある朝、礼二を起こしに行くと、息がなかった。礼二と一緒に生きていた機械がバグを起こしていた。スタンドアローンだと担当医から聞かされていた機械が、ぼくたちの知らないところでネットワークに繋がっていたために起きた事故だった。バンドは日本武道館での5度目のライブを終え、楽曲制作のための休止期間に入った。それは口実で、ぼくが礼二のそばから離れられなかったからだ。メンバーとも会えなかった。ある日、録音くんがメールを送ってきた。メール本文は1行。「R2QW-888-5am5」。ある人工衛星の記事が添付されていた。

 宇宙葬特化人工衛星、試験期間終了。実用化へ
 2✗✗✗年2月。7年に渡る試験運用を経て宇宙葬が広く実用化される見通しが立った。ステラテクニクスはJAXAおよびK大学医学部との共同研究・開発を進めていた宇宙葬人工衛星アポテフの本格運用を決めた。日本では10番目となる量子AIを搭載した人工衛星で、様々な状態の遺骨に対応するため臨床データを長年に渡って収集分析してきた。少なくとも500年の保存が可能との発表も行われた。関係者によると、昨年発生したAI障害で、分析結果の恣意性が揺らいだため、リカバリが逆説的に視野を広めることとなり、開発が飛躍的に進んだのだという。衛星内共鳴効率の最もいいとされたバンド the sams の名前が採用され、衛星内の環境音楽にも使用されている。現在のところ一人あたりの宇宙葬の価格は約4000万円。庶民的な価格と見るか、ロマンと見るか。少なくとも筆者はその機会を来世に譲りたい。……

 2ヶ月ぶりに録音くんに電話をした。ぼくたちのバンド名が使用されることにゴーサインを出したのは彼女だった。メンバーの反対もなかったという。裏切られたような気持ちになった。ぼくは録音くんを散々罵倒して一方的に電話を切った。彼女は、バンドの家族・関係者は宇宙葬無料だと告げたのだ。
 ある日、礼二の机の上に日記が置かれていることに気づいた。どうしていままで気づかなかったのかわからないくらい堂々と置いてあった。1時間ほどその上に手を載せていた。そして意を決してめくった。他愛無い日記だ。何でもないことばかり並んでいた。けれど、彼の文字が目に入るだけでうれしかった。丁寧に鉛筆(ボールペンだと書き損じが残ってしまうから)で書かれた言葉。力いっぱい消しゴムを使った跡もはっきりわかる。彼の腕の動きが手に取るようにわかった。一度日記から目を離し、じっくり読むのをやめてパラパラと飛ばしていく。びっしりと書かれている。彼は日々、どんなことを感じていたのだろうか。少なくともこれを読む楽しみが、今日からしばらく続くのだ。それは願ってもないことだった。ある箇所で手を止めた。なにかの文字に引っかかったのだ。その文字列を探す。あった。
「〜をせつぞくした。うらコードをはっ見!」
「ぼくのかわりに世界を見てきてほしい」
 日付は、障害のはじまった日の前日だった。さらにめくる。日付が途切れる日、目を覚まさなかったあの日の前の日。書かれているのはたった一言だけだった。
「きみはぼくみたい」
 何時間もその場から動けなかった。

 録音くんとステラテクニクスに掛け合い、ギターと人工衛星を繋ぐ理論を構築した。バカげた話だが、これまでそうする必要がなかったから誰も考えなかっただけだ。事実、数ヶ月で実現した。GPSを補助的に利用し、主伝送は有線。ヒマラヤ山脈から静止軌道上の中継機、そしてアポテフへと配線されていた。日本製のワイヤーロープをベースにした超強度/超軽量/超軟性光ケーブルは、将来軌道エレベーターに応用するという名目で世界中の企業から資金提供を受け開発、敷設した。2度目の武道館までは、どのライブでもはじまる直前まで緊張で震えが止まらなかったが、このプロジェクトに関してはどれほど巨額になっても身がすくむことはなかった。

 2000人規模の中バコと呼ばれるこの会場がまるでキャパ150人のライブハウスのようだった。ステージ前方ではモッシュとクラウドサーフが引っ切りなしに起きていた。次のメロディーはどんな演奏をするのか、自分でもそこに差し掛かるまで全く予想がつかないままなのに、その危なっかしい演奏が観客を興奮に陥れていた。しかしどんなカオスな演奏でも確実に枝葉は選択され、振り返れば一本の道が出来上がっていた。こんなにトリッキーなやり方はないなとも思う。サイドギターもベースもドラムも楽しそうにぼくと一緒に踊ってくれている。だけど、ぼくはただ、アポテフに音を送っているだけだ。演奏を通じて、礼二に言葉を送っているだけだ。
「そっちはどうだ。さびしくないか。宇宙は美しいか。星はどんな風に見えるんだ。自由にやれてるか」
 伝わるだろうか。届いているだろうか。顔を見せてくれないか。君の声が聞きたいんだ。君の未来を一緒に見たかったんだ。彼の機械は持っていた全てのログデータをアポテフに転送していた。”そして”、アポテフはぼくのバンドが好きだった。こういう風に、勝手に関係性を求めたらいけないだろうか。いや、何もかもが自由だ。どんな選択肢も存在し、選択の余地はある。選択肢は選ばれた瞬間から他の可能性を切り捨てて前進する。いくつもの枝はやがてひとつに収束する。ぼくがDM⁷を弾くことも、次の展開にブラッシングをすることも、全てはアポテフとの揺らいだ関係性の中、届けたい言葉のために選択されている。2音弾くことが言葉になる。チョーキングが疑問符になる。4弦14フレットと15フレット、17フレットの反復ハンマリングが言葉になる。きっと奇抜な演奏だ。誰も思いつかない展開なのだから。メロディーは保たれ、ビャムの歌声は迷いなく響いている。こんな再現性のない曲、リリースできないだろう。膨大な音源はあるが、届けたいのはいま演奏されている轟音の渦の中にしかない。
 アウトロはコーラスとフランジャーとディレイで作り出すドリーミーポップサウンドではじまった。SD-1を踏み込みクランチサウンドを追加する。とてもいい気分だ。脳髄の中枢がかすかに麻痺している感覚があるが、極めて冷静に演奏をすることができた。こんな方法の祈りがあったっていい。轟音の中、長い息を吐く。残すは1回のピッキング。最後の1音だ。流れは悪くない。いや上々だ。息を吐き終わり、タルボに設置したリリーススイッチを入れた。出力の制御を切ったのだ。これだけはバカげていると自分でも思う。2本のシールドを伝って、ヒマラヤへいって、成層圏を突き抜けて、中継機からアポテフへ飛び込んでいく。強くイメージを思い描いた。最後のピッキングを引き金に、数万ボルトの電流がぼくのみぞおちを伝って全身を包み、魂魄に変換する。それだけだ。それからさっと会いにいくだけだ。
 顎を上げ、視線を投げた。最期の景色は2A-29番と決めていた。息子のためにいつも用意していた席。彼はそこから食い入るようにぼくたちのライブを見ていた。彼の目の輝きはぼくの身体のどの部位でも取り替えの効かないものだったのだ。そこに彼はもう座らない……はずだった。ぼくは息をのんだ。誰もいないはずのそこに、人が座っていた。手すりに掴まって、ひょこっと顔を出していた。また聞かせて。はっきりと聞こえた。またここで聞きたいんだ。ぼくがあいにくるから
 音が途切れ、ハウリングに変わっていく。フロアからは興奮した歓声が上がっている。最後の1音をメンバーはじっと待っていた。ぼくは重い息を吐き出して、6秒待ってから、ゆっくりとリリーススイッチを切った。この曲はある人に向けた曲だ。ぼくはもう一度BIG MUFFを踏み込み、単音ではなくバレーコードに切り替え、6弦すべてを弾いた。the sonと名付けた、一番新しい曲が終わった。ドラムが次の曲へのカウントをはじめた。

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細川洋平(ほろびて)
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