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さいはて

誰かが作品を世に出すと云う行為に於いて、なんらかの意図及び思想がそこにあることを捉える力というのはいつの時代だって求められている筈で、何も考えずに答えだけ欲しがると云うのは最早冒涜だ、と、さえ思う。好きです信者です(自称信者というのもなんだと思うがこの場合は概念としてある)一生ついていきますなんて云うならそのひとが考えていることを知りたいと思うのは自然なことだしむしろ知ろうとせずにそんなこと言っているのだとしたらそれもまた舐めてかかってるのではとすら思うし甘ったれんなとも思う。100%の「わかる」にはなれずとも、「理解」にはなりたいよね、せめて「オッケー、理解〜」くらいには、だって好きなのだから。好きな人の思想が「わからない」なんてつまんないしわかろうともしないなんてそれって怠慢でしょう。

本題に入ります。先日東京事変の配信ライブがありました。生ではなく収録されたものを映画館と配信で同時公開という形式、せめて生配信はできなかったのかと配信慣れしてしまったわたしは贅沢なことを思ったりもしたが、収録されたのが7月24日つまりオリンピック開会式の日で場所がNHKホールであったということから当日生配信が叶わなかったのかもしれません。それすらもはやなんで?ってところから追求したいが大人の事情なら仕方あるまい(知らんけど)。
ところでわたしとしてはとても驚きとショックに感じてしまったことがあったんですけどそれは東京事変が解散し今回「再生」するまでに8年かかっているのですがわたしはあくまでわたしはですよこの8年間積み重ねてきたものを互いに見せ合い大人になって再会できたことを分かち合い喜び合う場になると思っていたのに、価値観及び解釈のアップデートが為されていないファンがあまりにも多かったということ。曲により過去へ引き戻されることは当然なのでそれを言っているのではなく(むしろノスタルジーは持ち込みOKでしょ)大人になって再会した筈なのに、演者だけが円熟していてこちらは何にも変わってないって酷では。。。
前置きが長くなりましたがここからわたしの円熟と技術と才能を駆使して考察へ参ります。読んでください、絶対面白いので。
なぜ、東京事変は2〇2〇年、令和のオリンピックイヤーにこのセットリストを引っ提げ「再生」したのか。

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まずアルバム「スポーツ」からの選曲が多かったことは間違いなくオリンピックイヤーだったからに他ならないと思います。
1曲目に「新しい文明開化」、これは歌詞を読めばわかるんですけどこれからはじまるステージを五感で味わってくれというメッセージ、それ以上でも以下でもない。ただ、地に足がついていないのも次の一撃でくたばるのも両脚が過去にへばりついているのも此方で情けないがそれはそう。ハイハットのカウントで群青日和へ。この曲がこの位置にというの珍しいと思うんだけど単純に流れ的に最後の方へ持っていけなかったのとやはり今までを踏襲するのではなく裏切りたい気持ち、そして何よりこのライブ最初のはっきりとした意思を感じるアウトロ。ここで気付くのだが、全ての楽器(ヴォーカル含む)の音量がほぼ同じなんですよ全部殆ど均一に聞こえるその答えがこのアウトロで「個」のぶつかり合いが生む強さ、それは群れることや馴れ合いよりずっと尊いのだということを迎合や協調性ばかりが重んじられる社会に疑問を投げかけるように音楽で示し、あくまでこのバンドは「個」の集合体であって仲良しクラブじゃねえってことエゴとエゴが起こす化学反応(それは全員天才だからできることでもある)が面白いのだということを伝えるために2曲目に据えたのだと考えている。某都民の3voxの掛け合いは健在でディスイズ東京事変みがあっていつだって味わい深い、ここから顕著に「男性性」「女性性」という歌詞で物語が進んでいく。選ばれざる国民になりようやくメンバーの表情に僅かな笑みが見えるが、このターンはメッセージ性の強さと険しさも相まって曲調の穏やかさよりずっとまだ硬さが勝る。男女の掛け合いの中に「善意ほど一瞬で殺意に変わる」「熱心なファン皆辛辣なアンチ」というド正論かましてくる歌詞をこの現在(いま)に書く林檎の感覚の鋭さ。締めに「勘違いすな世界の平和を願え」と唄うそれはもうほとんど切実に。届いていますか。そして世界平和の話から復讐へ。ここで男性性vs女性性の話はクライマックスを迎える。2020年にこの歌をどうしても入れなければならなかった歌わないわけにはいかなかった想いはあまりに悲しすぎるし実際のところそれが現実であり社会の暴力性なのだから遣る瀬無い。私には判っている「お前が男だ」ということ。ここで椎名林檎がこの8年間政治に社会に、女性文化人として関わり時に斬り込んできたことを思わずにはいられない。彼女が自身のソロツアー百鬼夜行(2015)で「女の子たち、もうすぐ女性上位の時代がきます」と言いながらΣを歌ったことは記憶に新しい(5年も前だけど)し、「わたしにとって神様は八百万ではなく女の子なんです」(2017インタビューより)という発言もあった。女でなかったら生きていなかったかもしれないという想いは今でもきっとあるのだろうし、女としてこの世に生を享けたことそれを使い切る覚悟が色濃く反映されているように思う。そして後半若さと摺れていない単純な魂を妬む不注意さを「お前が男子の典型だ」と指摘し、死へと加速する。何一つ傷つけることなく死を受け容れる者の美しさよ、臆!それをお前は知らない、美をわからない・・要するに『死』も。復讐は本公演に於けるターニングポイントであり重要な鍵を握っていると思う。わけのわからないひとはいま一度歌詞を読んでみてほしい、怒りだけではないメッセージがそこには在る。ところで林檎、タランティーノのデスプルーフ好きそうじゃないですか?ポケットに忍ばせていた銃を撃ち、永遠の不在証明へと続く。「引き金を引いた途端立ち現る白く空虚な時よ」と物語は繋がってゆく。加害者にはいつでも誰でもなれるし御座形(おざなり)な言葉も凶器となるというこれもまた新曲ならではの現代の写し鏡のような歌詞と、「そう世界平和をきっと皆願っている待ち望んでいる」、と選ばれざる国民に引き続き現在(いま)の椎名林檎が切に願う歌詞が入る。そして喜怒哀楽は灰色となり(えっ灰原哀?!)「元々の本当の僕は何処へ」(まさかAPTX4869飲んで小さくなった新一ことコナン?!)と唄いアウトロへ。鍵盤の旋律が印象的で某都民からここまで続いた物語のエンディングのように長く美しいメロディが響き、突き刺すようにギターと唸るベースが被さって絶妙なバランスを生み出しそのまま鍵盤先行で絶体絶命。ここの繋ぎはどう考えても神がかっていて不意打ちだった。男女の話から喜怒哀楽そしてここで誰もが持ち得る普遍的な感情「かなしみ」へフォーカスされてゆき実に人間味のある流れが胸を打つので、人生とは。。。と、すんでのところで悟りを開きそうになってしまう、だって、「あまりにも」ですもの。修羅場のイントロがシングルとアルバムのマッシュアップになっていたのは美しすぎたしこの世にあふれる悲しみや怒りを抱えきれなくなってしまったかのように蹲み込んだ林檎の横顔は忘れられない。能動的三分間の冒頭「生還せよ」でガウンを脱ぎ真っ白なシャツワンピースになり、無垢な姿で遣る瀬ない寄る辺ないと現世を憂い、電波通信で観客と「対話」を試みる。皆まで差し障らせて、今だけ連結(リンク)していたいのと手を伸ばし「感じ取って今僕を選んで」と痛切に呼びかける。そもそも第一声が「アンテナ立てて頂戴」なんだし。わたしは本来ライブとは演者と観客との対話だと思っている節があるので、冒頭にも書いたんですが、お互いの8年間を曝け合う場だとここでより強く感じました。それはたとえ2.29に現地に居なかったとしても、画面越しだったとしても、です。東京事変を「再生」させるために彼方がきっとしてきたであろう苦労や葛藤はここまでで既に清々しいほどに見せてくださっているのでそれに見合う顔でわたしはこの場に対峙していたい。生じゃないから配信だから映画館だからとか通用しないと思います、それなら最初からこんなことやらなかったと思うよ。だって生がいちばんだなんてそんなの当たり前で、彼方だって無観客なんか本望じゃないだろでも演ってくれたじゃん。現場にいないからできないなんてことそんなのは感度や解像度が低いから出る言葉でしかない、それを超えるものをしっかり用意してくださったこと、殊彼等の音楽そのものに敬意さえ持っていれば対話はできるはず。そう、このライブで配信という電波に乗って事変がわたしたちとしたかったことそれは「君と相互作用(インタラクティブ)」でありそれこそが電波通信であるとも言えると思う。そしてこの辺りはウルトラCとほぼ同じ流れでもあります、この後演奏される乗り気に至ってはバックの映像がそのまま使われておりなんとなくノスタルジーに包まれますね、ジャージ姿のメンバーのアニメーション。ところでスーパースターのリアレンジはやはり伊澤さんなのでしょうか。この曲は外せなかった筈であると同時に過去と全く同じでは意味を為さないと考え練り込まれたような気さえしました、前に進むということを強く訴えるそんなターンがここから始まったように思う、「未来は不知顔(しらんかお)さ、自分で造っていく」なので。話を乗り気に戻します。この曲がなんで必要だったか考え抜きましたがこれといった明確な答えのないままこれを書いています。SNSでは曲の繋ぎばかり注目されていますが(勿論計算され尽くした曲間それはもう素晴らしいのは当然です)ここまで読んでくださった稀有な方にはもう伝わってると思うのですがこのセットリスト、歌詞の繋ぎをとても意識しているんですよね。なので閃光少女を歌うために乗り気は必要だった。最後の「感じているより考えているより からだがはやい いまここに存在するのに必要なものはもう持っているんだ」から間髪入れずに「今日現在(いま)が確かなら万事快調よ」なのよ。そして「写真機は要らないわ五感を持ってお出で」。新しい文明開化に戻りますが五感で味わってくれというメッセージでこのライブは始まった筈です。貴方の五感を駆使して、またとないいのちを使い切り貴方のいまに閃く様を見届けてくれよ、と歌いかけてきますこれは電波通信と酷似したアプローチでやはり、此方と「対話」をしようという「わたしは今しか知らない」なんですよね、過去だけじゃなくどこまでも現在(いま)を愛して見据えてくださっている。続くキラーチューンで「ご覧、険しい日本(ここ)で逢えたんだ」とあるじゃないですか、これは確実にマジ曲解と言われても構わないのだけれど「ご覧、険しい(お互い大変な日々を送ってきましたが)日本(ここ)で、(8年ぶりにまたあなたと)逢えたんだ」なんですよ。そのあとの「探し出してくれてありがとう」は、もはや「今なお東京事変を見続けてくれてありがとう」くらいの意味で歌われていたと思います。だって貴方は私の、私は貴方の、一生ものですから。
今夜はから騒ぎ以降、林檎が黒のボディコンシャスなミニワンピに黒のベールがついたつばの広い帽子になり終わりを予感させるのですが、OSCA→FOUL→勝ち戦と畳みかけてきます。背景演出的にここは五輪で演奏するはずだったのではというのが脳裏を掠めそれがそうだとしたらここまで漕ぎ着けた労力にまたしても想いを馳せるほかなく少し切ない気持ちにすらなるので来年五輪が開催されるのであれば是非とも孔雀の目からレーザービームを国立競技場に打っ放してほしいところです。続く透明人間これは1期2期マッシュアップ風のリアレンジに。セットリストを見ていなかったら確実に確実にこれが最後の曲だと思ったと思う。「またあなたに逢えるのを楽しみに待って さようなら」。ネタバレ見てたわたしでさえ騙されそうになる完璧な終わり方、でも既視感もあるしやっぱり出来すぎちゃってる感も否めない。
そこでどうですか、空が鳴っているで終わるというのは。でも実はこれもやられていますよね。まあその当時はこの後ダブルアンコールがあったけれど。ただ今回空が鳴っているを最後に置いたことその意味をどれだけ考えてもやっぱり行き着く先はひとつで東京事変の不安定さや不穏さなんですよね。いつまでも続くという希望を此方に持たせないという刹那と安心安全の約束された将来ではなく東京事変というバンドの揺らぎと行き先の不透明感、そもそもの存在の不確かさ。それはイコールこの国の、日本の未来そのものではないでしょうか。だからこそ1番生っぽかった。まずステージが暗い、あんなに凝っていた演出も何もかもまるで最初からなかったかのように5人だけがステージに立っているそれは呼吸の音だけが5つ、そして鼓動が味気なく5つ。歌うこと音を奏でることの生々しさだけが残るなか「神さまお願いです 終わらせないで」が悲痛な叫びとなる瞬間はまさにスローモーションでノンフィクション。ここまで繋いできたはずのすべての流れから切り離され隔絶された曲としてこの歌だけが真実だったのかもしれないとさえ思うのは考えすぎなのか。そうしてたった一刹那を残しスモークは雲となり雷鳴のような光が焚かれ、エンドロールが終わり雲が晴れると跡形もなく彼等はいなくなっていた。ずっと歌詞が意味をもつライブだと言い続けてきましたが、すべての最後が「神さまお願いです あきらめさせて」なんですよ、あきらめさせて。言葉が強すぎる。あきらめさせてと訴えるということは自分の力ではあきらめることができない、不可抗力であるなんとかしてくれということだから。また逢えるという希望よりずっと果敢なさの方が刻み込まれるのはやはりこの曲だけがほんとうで本音で本質を歌ったものだったからではないだろうか。彼等が生きて息づいているのはスモークの向こう側の最果ての地、誰も届かない場所。

ここまでで5000字オーバーです。お付き合いいただいた方ほんとうにありがとうございます。
もしかして東京事変が「再生」することのないままの世界線というのは確実にあったとわたしは思っています。それは三毒史リリース時の椎名林檎インタビューで触れられていましたが再結成に否定的な意見を目にし、「求められていないことをわざわざ行う必要はないかな」と答えていた、その時点でどうだったかわからないけれど少なくとも必要ないかな、の選択肢があったことには違いない。そちらを選ばずにいてくださったことは感謝でしかないな、と。
同時に今まで東京事変はアルバムありきのツアーしか行っていないので、アルバム曲と定番曲やるかなくらいの心算でよかったのだが今回はどう出るかわからない中でこのセットリストを組んできた、今までは思考停止状態でも楽しめたかもしれないけれど今回はそうはいかない、まずもって選曲のメッセージ性の強さはすべてに必ず意味があるとしか思えなかったし2020年に相応しい世相や社会を映すような曲とファンが聴きたいであろう曲がバランスよく据えられていたと感じたのでわたしなりに考察をしてみた次第です。もちろん異論は認めます。
東京事変の曲は都度その時代の写し鏡であったと思うけれどそれを現代にマッチさせることができるというのは根幹の揺るがなさや普遍さ故でもありまた「時代が東京事変に追いついた」とも捉えられるのはまさにニュースフラッシュ(ニュース速報)というタイトルに偽りなしといったところでしょうか。

再生してくださり心からありがとう、大好きですとやっと言える喜びを噛み締めて。

Merci🍎


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