先生でいることによって自分でいれた
20歳の頃夢だった幼稚園教諭になった。
そこから3年ほどは仕事を楽しみつつ、
週末は友だちと飲み会に、ランチ、ライブ、旅行と家にいない時間が多いくらいに楽しんでいた時間だった。
自分で言っちゃうのもなんだけれども、
"仕事もプライベートも全力!"
と、よくあるキャッチコピーは自分のためのものだと思てしまうくらい、その言葉がよく当てはまっていた。
コロナ禍に入って、今までと違う過ごし方になった。
友だちとなかなか対面で会えない時間が増え、
大好きなライブも行けず、配信ライブを見る日々。
ちょうどその頃、当時付き合っていた旦那と同棲を始めて、実家暮らしから自分たちで暮らしていくという変化もあった。
しばらくコロナ禍も続き
職業柄自身でも行動制限を行っていた。
友だちたちも同業者が多いので、みんな制限していてなかなか前みたいな日々が送れないもどかしさの中入籍した。
コロナ禍もあったし、今思えばマリッジブルーのようなものもあったと思う。
結婚したことで感じる
女性として社会で生きる息苦しさ、
どんどん自分が自分でなくなっていく感覚。
友だちたちが独身の頃とは違い、遠慮して
誘いづらくなっているんだろうなと感じてしまう気遣い。
旦那の周りにない変化が、自分の場合は多くて
それにも少し疲れちゃうような日々を過ごした。
友だちいなくなっちゃったな、、
大好きなアーティストのライブにもまだいけない。
自分らしさというか、自分という人間がどこにいるのかわからなくなっていく感覚が凄くあった。
その中でも仕事に行くと、
「先生〜!」と自分のところに来てくれる子どもたちに囲まれて、
幸せを感じる反面、自分が唯一自分でいれている感覚にも陥った。
プライベートでの自分が迷子の分、
自分がとても自分らしくいれて、
スペックとか、結婚したとか、学歴とか
そういった壁がなく、純粋に自分として
見てくれる、見てくれていた子どもたちに凄く救われた時間を過ごした。
今年の3月に、ボロボロだった自分を支えてくれた、大好きで大切な子どもたちが卒園した。
先生としての少しの自信、
子どもたちの成長を側で見守らせてくれたことに
本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
卒園を迎えて、保護者の方からたくさんの感謝の言葉を頂いたが、
支えてもらっていたのは間違いなく私自身で、
あの時期、自分として生きるのが難しいと思い葛藤していた中で、
子どもたちのおかげで自分を見つけて
自分を保つことができていた。
新学期も始まってたくさんの変化があった。
卒園した子どもたちから教わったことを
次の子たちへと教えながらも、"先生"という立場がなくても自分でいれるような気がしてきた。
それはコロナ禍が抜けたことや、
友だちと会えるようになったこと、
好きなアーティストのライブに足を運べるようになったこと
今までの自分の好きなことが制限されずにできるようになったからということもあるかもしれない。
けれどコロナ禍で、結婚して、たくさんの経験をした中で感じたモヤモヤや辛さ、
これもまた一つの大きな体験にもなった。
見たことのない本をたくさん読んだ。
ジェンダーについて学んだ。
世界の女性のことも知った。
前と同じ楽しみ方ができるようになったけれど
前の"自分"では確実になくなった。
今はまだ幼稚園の先生を続けたいと思っている。
けれど今年の3月に子どもたちを送り出した経験と達成感からか別なステージにいくことも視野に入り出した。
保育園に行って、赤ちゃんの先生をやりたいな、
今の時代を生きる保護者にも寄り添いたいな、
社会で活躍女性が楽に呼吸できるようになってほしいな、
なんて思うことはたくさんある。
何かを始めたい。
そろそろ幼稚園の先生ではない次のステージに行きたいとも考えているけれども、それはまだ具体的には決まっていなくて。
たくさんたくさん、今の時期、今の年齢でしか感じられないことをたくさん感じて次のステージをゆっくりと決めていきたいと思う。
もう私は先生にならなくても"自分"として
生きることが、またできるようになってきたから
"自分"として感じたことを次へ活かしていきたいな。
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