Crazy:Bの哲学・心理学的見解
こんにちは、ミぱと申します。
これはただのしがないド新規のメモです。ゲーム『あんさんぶるスターズ』のユニット『Crazy:B』についての、心理学的な見解を纏めました。本当に読みづらく長ったらしいメモです。1万字以上あります。
ストーリー全ては読めておりません。個人的に音楽性が好きだな、関係性が魅力的だな、というユニット(UNDEAD、Eden、Crazy:B ect)のストーリーは殆ど読み終えました。
⚠️個人的な見解を欲望のまま殴り書きました。退屈な文字の羅列、お見苦しくて申し訳ないです。思想や解釈を押し付ける意図は一切ございません。脳の中は自由なので、人それぞれの解釈があってこそ面白い、と新規の戯言を優しく流してやってほしいです。
まて、彼らはそんなキャラクターじゃない、と許容できそうにない方は閲覧をお控え願います。また、以下に精神医学、社会心理学の分野が含まれますが、そのあたり殆ど独学なので、誤った知識があれば申し訳ありません。
だらだらと長ったらしいので、暇な時に時間潰しにでも活用してください。
はじめに
初見時、ちょうどPTSD(トラウマ反応)について研究しており、ゲームのキャラクター達の過去や学院のあらすじを聞いて衝撃を受けたものだ。トラウマの…宝庫?
おや?女性向けということで、もっとキラキラきゃぴきゃぴしたものを想像していたが…怪しくなってきた。
筆者はゲームを一切しない人間であり、二次元にもあまりハマらないタイプだ。勿論、こういったジャンルも全くの無知であった。
あんさんぶるスターズを力説された時、一応礼儀として各ユニットの代表曲と自己紹介だけ聴いて、その方が好きなキャラクターの感想を伝えて終わろう、と。
そう思って―
こ、これが女性向けアイドル育成ゲーム…!?
ストーリーが重すぎる!MVの技術画凄すぎる!
そしてユニットごとにちゃんと音楽の特性やコンセプトがある!
―暗い話大好き&音楽大好きな筆者は、正門を覗き見るのみでなく、見事に夢ノ咲学院の噴水へと片足を突っ込んだのだった。
天城燐音
彼は独自の美学の中で生きていて、あんさんぶるスターズのキャラクターの中でも特に哲学者に近い性質の持ち主。 彼の心理描写や思想を表すシーンは4人の中でも圧倒的に多いため、文量もそれ相応である。長ったらしくて申し訳ない。
何故生まれてきたのか、なんのために生きるのか、そもそも生きるとはどういうことなのか。あまりそういった事を深く考えない人の方が多いらしい。考えたってどうしようもないことを、人生をかけて考えて、考え続けて、精神的に不安定になってしまう哲学者は多い。
筆者は正解のないことについて考えるのが好きだが、何事もやりすぎは良くないということだ。勝手な想像だが、天城燐音がHiMERUに借りた本というのも、推理小説や哲学書など、考える事が必要な本なのではないだろうか。
彼は頭が切れるというキャラクター設定だが、考えなくても良いことを考えすぎてしまう、知能の高さ故に見える世界が広すぎて疲れてしまうタイプなのかもしれない。
そんな彼の形成を探るには、やはり1番重要なのは故郷。正しくない、間違っている。君主たる君主は、君主らしくあるべきである。現在に関わらず、自己を否定されるということは、人格形成に多大な悪影響を及ぼす。
彼が椎名ニキに依存気味にうつる(あくまで筆者の感覚です)のは、必ず故郷での記憶が影響している。
理解者もいない、正しいと言ってくれる人も頼れる人も居ない。
天城燐音は、私たちの価値観からすれば正常なのかもしれない。しかし、それも正しさの押しつけである。
異常が正常の場所では、正常である方が異常である。その中でも、己の正常を信じ、曲げずに努力できる人間はなかなか居ない。
周囲に絶望し、失望し、そんな中で彼は自分は正しいんだという自己暗示をかけることによって、自身を守っていたのだろう。皮肉にも彼自身が、正しさというものに囚われていたのかもしれない。今は支配から解き放たれ、自由奔放に飛び回れるようになっていればいいな、と願う。
さて、正しさと聞いて最初に思い浮かんだのは、かの有名なニーチェである。
ニーチェは正しさを嫌った。絶対というものはこの世にないからだ。絶対に正しいものは無い、と。
ニーチェとは、ニヒリズム(虚無主義)の提唱者である。
【ニヒリズム】
世の中の全ての物事には、意味も価値もない。自分自身の存在も無価値である、という思想。神は死んだ、で有名な虚無主義である。
ネガティブな印象を受けるが、ニヒリズムにも種類がある。簡単に言えば、どうせ何をしても価値なんてないのだから、全部どうでもいい…となるのが、
【消極的ニヒリズム】である。対して、
【積極的ニヒリズム】…どうせ世の中何の意味も無いんだったら、楽しんだ方がいいじゃないか!
「人生楽しんだもん勝ちっしょ!」という声が聞こえてくる気がする。そう、完全に一致しているわけではないが、天城燐音の思想はニーチェのニヒリズム的思想、積極的ニヒリズムと通じる点があるのだ。
彼はソロ曲「Thrill Addict(直訳すればスリルの中毒者)」を通して、イデオロギーを主張している。歌詞を一部抜粋する。
・「廃棄処分を待ってる気分
退屈で死んじまいたくなる理由」
自由と生死がやはり彼の人間としてのいちばん重要なテーマなのだろう。はじめて聴いた時、死ぬという直接的なフレーズが出てきたことに驚いた。
・「どうしようもない運命は無体
どうせそんなこったろうさ実際」
無体=無駄。運命なんて関係ない。
生まれながら運命に囚われ、運命を掴んで生きていく彼らしいフレーズ。
彼は曲中で何度も「遊び倒せばいいんじゃね?」「放っておいてどっか行こう」「さぁ楽しもうぜ」「見せろよ欲望」と、こちらに語りかけてくる。
特に強くイデオロギーの色が出ているのはここ。
「何のため生きているのかとか んなこと、
知ればそう生きるか? 違うだろうが
お前が選べよ」
この世界や人間が生きるという事には、目的や本質的な価値なんてない。だからこそ、自分の考えを持って、好きなように生きよう。まさに、積極的ニヒリズムである。そしてニーチェは、超人という概念を提唱する。
【超人】
自分で善し悪しを判断できる人。自分の価値観や思考に従って、自分の考えを持って生きることができる人
ニーチェ曰く、囚われから解放され超人になることによって、人間ははじめて真の自由を得る。
自分の意思を持って考える、彼が天城一彩や故郷、ESのファン達に求めたものである。
コミュニティに属していない人間はいない、偏見を全く持っていない人間もいない。人間はみんな、先入観に囚われ、無意識に社会に従って生きていく。簡単なように聞こえて、それは案外難しいのかもしれない。
自由に飛びまわるというキャッチコピーは、天城燐音のイデオロギーであり、そんな彼のやり口を理解しついて行くメンバーも確かにそれは意識しており、その音楽を聴いたBeehiveの客や私たちも救われるのだう。
おまけ(風早巽との相性)
ニーチェはキリスト教を激烈に批判している。キリスト教が欲望を批判、否定しているからである。
しかしニーチェはプロテスタントの牧師であった父親へ尊敬の念を抱いており、キリスト教破綻者ではないのでは、という見方もある。ニヒリズム的思想では、宗教というものに勿論意味や価値なんてないのだが、哲学者も人間である。
愛を批判していたが家庭を持ち家族愛を肯定したり、最期には主張した思想とは真逆の事を行ったりする哲学者も珍しくない。完全にキリスト教を全否定していた訳では無いのかもしれないが、生憎筆者はニーチェについて深く研究した事がないので不明である。
ニーチェは、キリスト教という宗教を批判、破壊しようとしていたがらイエス・キリストの事は肯定していたのかもしれない。
生きるための欲望を殺すなんてことは、天城燐音のイデオロギーに強く反する。ニーチェは、欲望に誠実であることで超人を目指す。
天城燐音と風早巽の相性が悪いのも頷ける。
ニヒリズムの件もあるが、風早巽が平等を愛する共産主義者だという点も大きい。風早巽は、自らの意思よりも、与えられた役割を優先し行動する節がある。
とにかく相性が悪い。
ふんわりとだが、互いの思想や行動指針を把握しているであろう2人が手をとる理由はないように思える。
HiMERU
人間は生きていく中で自分に関する知識を無意識に集めていく。「自分とは何か」を考えずに生きている人間はいないと断言出来る。彼も精神医学というよりも、社会心理学の分野に近い特性を持つ。
さて、自己へのイメージというものは行動指針に強く影響し、社会心理学において非常に重要なテーマである。
【自己概念】 自分は𓏸𓏸だ と認識すること
私たちは、鏡に映った自分を自分自身だと認識することができる。だが、赤ちゃんは鏡に映った自分を自分自身だと認識できずに触れようとする。
【二重性】 ウィリアム・ジェームズより
鏡を自分を見つめている自分は主体であり、見つめられている自分は客体である。
つまり、別人に変装するということ= 一番の自己認識方法である視覚条件が失われるということ。
1日だけ、鏡を目に入れない生活を送ってみて欲しい。彼の感覚が少しだけ分かるかもしれない。心理学云々よりも朝の身支度が辛い。
【自己概念の三代要素】
性格、社会カテゴリー、エピソード記憶が、自分のイメージ像を作り出す。
当たり前の事だが、この三大要素の有無に関わらず、人間は完全に別人へと成り代わることは出来ない。
HiMERUの場合、生きてきた中で形成された主体の自己イメージを捨て去り、伝聞の情報から形成される客体のみで生きている。そんな中でHiMERUをやっているのだから本当に凄い。
一番扱い辛いエピソード記憶の要素(学園の記憶や風早巽、漣ジュンとの思い出)は、現在のアイドル活動にとって不要と切り捨てている?自身の恨みや憎しみもあるが、過去に囚われて欲しくない、あんな忌々しい記憶は忘れ去ってほしいという要への願望から、2人にあのような態度をとっているかのようにも見える。
【客体的自覚状態】
自分の客観的なイメージを意識し、他人へ向けると同様に自身にも注意を向けている状態のこと = 意識せずとも適切な言動・行動に努める
ex. カメラを向けられたら自分をよく見せようとするなど
H彼はアイドル活動時の客観的自覚による『適切』に加え、HiMERUにとっての『正解』を考えながら行動しているので、その心労は計り知れない。通常の人間にできる所業ではない。
だからこそ、自身に行動の軸をおいていないHiMERUは、置かれる状態だけで考察すると、あんさんぶるスターズのキャラクターの中でもずば抜けて自己同一性を保ちにくい。しかし先述した通り、要の回復というゴールを設けた上での変装であり、全ての行動を制限せずに好みのコーヒーを飲んだり読書をしたり上手く線引きをしているので大丈夫そう。
他者を偽装する際に、自己の不要な部分を上手く捨てることが出来る上に、本当に必要な核たる自分を持つ事ができる人間なので、不安定そうにみえて一番硬い人間なのかもしれない。
HiMERUは天城燐音のやり口を理解し、天城燐音もHiMERUの性質を理解している上で、互いに干渉しない。他へ影響が出たり、一定のラインを超えたりすると流石に黙ってはいられないだろう。けれどもCrazy:Bの、大切が故のドライさ、相手が話すまで触れないという無感心さは一長一短である。
椎名ニキ
本当に、一番分からない。おそらく、ライターによって一番差異が出るキャラクターなのではなかろうか。アイドル活動への意欲もストーリーによって差があるので。他者への共感性が欠如しているようにうつったので、最初はサイコパスかと思った。怖かった。
へらへらふわふわとしている裏で、感情があまり動いているように見えなかった。奥底はドライな人間なのでは、と。優しさを偽っている節はないだろうか?と正直今でも疑う時がある。すみません。
皆の暗い部分にあえて触れないのは、無感心ではなく彼の優しさなのだろう。もしくは、家族や体質などの触れられたくない領域に、過去に他者から無遠慮に踏み込まれた経験があるとか。他のメンバーが不安定な時、椎名ニキが精神的にどっしり構えてくれている、ポジティブな振る舞いをしてくれる安心感。
圧倒的暖かみと光のムードメーカー。そこに居るだけで周りを明るくしてくれる人は天性の才で、そんな存在がコミュニティにいるかどうかは結構重要である。自己肯定感が高く、ポジティブ思考…というわけではないが、人の心をそっと溶かせるような何かがあるように思える。励まそうと意識して話すよりも、ありのままの自分で話した方が、周囲の人間を救う一言になる様な。
そんな彼が、憑依型の演技をし、自己と役の線引きを少し曖昧にしてしまうストーリーを読んで衝撃を受けた。
自己同一性というのは、結構脆いものだ。
【自己同一性】
自分が自分であるという認識。アイデンティティや自我、存在証明。
自分は𓏸𓏸な人だ、というイメージや知識からなる自己概念とは違い、自分そのものを自分だと自覚できることを指す。これが損なわれると、ゲームの中でキャラクターを操作しているような感覚がしたり、現実感が無くなったりと、精神衛生に影響を及ぼす。
有名なものであれば解離性同一性障害(多重人格など)があるが、精神医学でいう【解離症状】というものは、人間一度は必ず経験している。
スマホに集中しすぎて、いつのまにか降りなければならない駅を通り過ぎていたなんて事はないだろうか。それは、スマホに意識が集中していた、という簡潔なものではない。つまり、『スマホを見ている自分』と『電車に乗っている自分』とで、解離を起こした状態になる。疲れて家に帰って来て、ぼーっとしたままシャワーを浴びて。あれ?いまシャンプーしたっけ?と、無意識のうちに自分がしていた行動が思い出せない。それも解離である。
無意識だが体は働いている、そんな状態は日常の多くの場面で存在するが、それは全てもう1人の自分なのだ。
その解離状態が長く続いてしまったり、現実との区別がつかなくなってしまったりと、様々な精神病が存在する。椎名ニキは、演じる役に憑依し、現実との区別が曖昧になり、撮影外にも関わらず役を無意識に演じていた。だから椎名ニキはこの症状だ!と言いたい訳では無い。精神病は心、脳の世界なので精密な診察は不可能に近く、ただ同じような条件を集めたものを𓏸𓏸病・障害だと括っているようなものだ。鬱病のAさんは自分で入浴できるし筋トレをしたら完治した、だから同じ鬱病のBさんも甘えてないで自力で入浴、筋トレしよう!とはならないだろう。
ただ、解離のきらいはあったというだけだ。椎名ニキは自己同一性を保ち辛い、もしくは、あまり保とうとしていないのかもしれない。境界線が揺れやすい。演じている役の性質を逆輸入してしまう、憑依し過ぎてしまう。
皆に迷惑をかけないように、いつもにこにこと優しくて明るい子供を演じているうちに、それが本当に椎名ニキになったのかもしれない。
HiMERUと椎名ニキは、他2人と違い(おそらく)学校に通い、まともなコミュニティの中での自分を形成する学習をしてきた。自己と他者との境界線、アイデンティティの観点等、この2人は少し似ているかもしれない。
📍自己意識を保ち辛い方は、毎日でなくてもいいので、感情日記をつけてみてください。起こった出来事の詳細なんてどうでも良いのです。
貴方だけが感じたことを、少しでも書き写してみてください。感情は貴方だけの特別な宝物です。無理して続ける必要はありません。自分の命よりも大切なものはありません。尊い貴方自身を優先してくださいね。
あんスタしてマクド食べて寝ましょう。
桜河こはく
精神年齢が高い、というか、15歳については達観しすぎでは?と思っていたが、なるほどそういった幼少期だったのか。
世間からの隔離という、家族以外のコミュニティに属さない特殊な環境は、本当に特殊すぎて有益な実験結果や前例が見つからない。
ただ、家族からの愛情を受けられたのは本当に良かった。家族愛やインターネットでの対人関係(友人愛)もあったため、人との距離感も至って普通である。
【愛着障害】
幼少期に両親から十分な愛情が与えられていない、絶たれていること。ex. 虐待やネグレクト等
愛着障害を持っている方は、他人との距離が分からない、誰かに強く依存してしまう傾向にある。
破綻した環境下では、何かを頑張る以前に、幸せになる努力をしようとするは難しい。
自分が幸せになれる可能性を信じられない、方法が見つからない、そもそもそんな視点を持っていない。人間が腐ってしまうということは、絶望ではなく、諦めだと筆者は思う。家族の努力か本人の性質なのか、そんな過去を持ちながら、腐らずに真っ当に努力できる桜河こはくは本当に強い人間だと思う。
例のストーリー。彼が過呼吸を起こしたのは精神的に弱かった(筆者はメンタルが強い・弱いという表現はあまり好まない)わけではなく、
人間の大きな感情にあてられることに慣れていないから だと考える。
共感や感情移入といった【共感関連反応】を起こしたわけではないだろう。分かりやすい例でいえば、怒っている人を見ると、自分が怒られている訳では無いのにドキドキしてしまう、こちらまで泣きそうになってしまう、等。共感性が高いかどうかは、また別の話である。
人間は必ず、嫌でもコミュニティに属しながら生きていく。他者と関わり、比較し、自己高揚や自己嫌悪を覚えながら成長する。コミュニティの中で変化し、求められる役割に応えながら、この社会で生きるということを生涯をかけて学ぶのだ。そのスタートが遅かった彼は、特別繊細なわけでも、精神的に未熟なわけでもない。
そして、ただの楽観的な、夢見がちな少年ではない。
人間の本当の暖かさ、人間の本当の冷たさを知っている彼だからこそ、現実的思考の中に希望を忘れず、いつでも自分の意見を真っ直ぐ述べられる。
心の底から尊敬したい姿勢である。
桜河こはくといえば、HiMERUと同じく、二面性を魅力の一つとしているキャラクター。2つのユニット、2つの役割、そこを比較して彼の魅力をもっと探りたい。
さて、完全に私情で申し訳ないのだが、筆者は今年卒業論文を執筆しなければならない。あんさんぶるスターズを勧めてもらった今春は国外にいたし、今夏もあちこちを飛び回っていた。つまるところ、Double Faceのストーリーをほとんど読めていない。
よって三毛縞斑との関係性や、Crazy:Bとはまた違った世界、違った役割の桜河こはくを考察することができない。断腸の思いである。ただ、ストーリーを読み進めていくうちに、これから更に彼らの魅力に触れられるのだと思うと心が弾む。
余談(大神晃牙、ALKALOID)
筆者はわんこ大神晃牙からこのコンテンツに入った。UNDEADの音楽性がとても魅力的だったのと、なにより彼のその精神。
何があってもブレることの無い人、自分の気持ちに正直になれる人、自分の好きを追いかけられる人。 なかなか出来ることではない。本当に難しい。
成長を描くコンテンツの中で、一貫して自分を曲げない、こんなに強い芯を持っているキャラクターはあまり居ないように思う。
UNDEADメンバーはもちろん同室の風早巽など、周囲の方々は彼の真っ直ぐな言葉に助けられることが多いのではないだろうか。
椎名ニキと同じく、そこに居るだけでコミュニティの精神的な安定を生み出してくれるタイプな気がする。
リーダーでもなく参謀でもないが、こういう存在はいざと言う時ユニットを支えてくれる。心強い。
最年長や能力が高い者がリーダーを務めることが多いアイドルグループ。そんな中で天城一彩がリーダーを務めるALKALOIDは特に、リーダーシップについて考えさせられる。これは完全に社会的心理学の領域である。
ストーリーは全て読めてはいないが、個人的な解釈では、このユニットの主なテーマは成長とチームワーク。天城一彩のリーダーとしての自覚や責任も、最初はほとんど無かったように思える。
彼は圧倒的主人公顔・ボイス、性格だが、能力や経験、年齢条件などのリーダー特性を鑑みれば、風早巽がリーダーを務めた方が社会的心理学的には適当である。彼も、あの学園ではそういった立ち位置でコミュニティを纏めていた。何故、天城一彩がリーダーなのか。
さて、アイドルグループに限った話ではないが、周囲なくして代表は成らない。リーダーというものは、勿論能力を発揮しやすい条件はあるが、それは相手がいなければ効力を発揮しない。
【リーダーの特性】
・メンバーに比べて知能が高い
・自分に自信を持っている
・支配的な傾向にある
・年長者で経験が豊富である
・社交的でコミュニケーション能力が高い
・身長が高い ect
これらの特性と併せ、リーダーシップを決める重要な4要因(ダグレス・マグレガーより…X.Y理論.モチベーション理論で有名な方)に、フォロワーの態度が挙げられる。
リーダーシップの反対に、フォロワーシップ、という言葉がある。つまり誰かがリーダーシップを発揮し、集団をポジティブな方向へと導くためには、フォロワーとの交互作用が重要だということだ。
メンバー(フォロワー)がリーダーシップを受容する時、報酬や強制、正当性、専門性、様々な要素が単独ではなく複合的に作用する。その指導方法も、自由奔放型、専制型、民主型、とあるが、ALKALOIDの場合、天城一彩が指導の働きかけをしているわけではない。
リーダーの適性がある人物は、どのコミュニティにおいてもその特性を発揮する。ただ、天城一彩に関しては、他ではあまりリーダーシップを発揮していないように思える。(新規ユーザーな上にストーリーを全て読み終えていないので、そういった場面があれば申し訳ない。)
つまり、ALKALOIDに属しているから、ALKALOIDのメンバーが白鳥藍良、礼瀬マヨイ、風早巽だからこそ、天城一彩はALKALOIDのリーダーなのである。
1番知能やアイドルとしての能力が高いわけでもなく、最年長でも、経験豊富でもない。信頼関係と、周りのフォロワーとの優れた相互作用が、彼をリーダーとして成長させ、フォロワー含めユニット全体でポジティブな方向へ進むことができるのだろう。
天城燐音のリーダーシップとはまた違った形なので、フォロワーシップも含め、比較してみると面白そうだ。
おわりに
忙しい日々が続きますが、時間があればストーリーをちまちまと読んで、ゆっくりと更新…出来れば良いのですが、見通しは立ちません。少しずつ追記はしていくと思います。
今後、+αで個々のキャラクターについて書くことはあるかもしれませんが、Crazy:B以外のユニットを纏める予定は今のところありません。
再度の注意喚起になりますが、これは個人的な見解のメモであって、思想の主張ではありません。
キャラクターを何かしらの枠に組み込む、キャラクターや第三者へ解釈を押し付ける意図も一切ございません。他者が不快感を抱くような、過激・批判的なコメント等はお控えください。
独学の分野も含まれております、誤った表現があれば申し訳ありません。
それでは、最後までありがとうございます。
これから厳しい寒さがやって来ますね。
三角チョコパイでも食べて、ご自愛ください。
ご高覧いただき、ありがとうございました🙇🏻♀️
2024.11.17