【不定期】笑顔が人を、世界を、幸せにする。そんなの嘘だと思っていたのだけれどもね~表面張力と循環と~
こんにちは、こんばんは、おつかれさまです、おはようございます。
ご機嫌いかがですか?少々の筋肉痛に悩まされているあらたまです。
今日はフォロイーさん立案の企画に、普段企画に参加することをためらってばかりの私が衝動的に飛びついちゃった!という前代未聞の事態に繋がるお話を書いてみます。
そこから始まるのは、またしても循環というキーワードに繋がるアレヤコレヤ……お時間よろしければ、お付き合いくださいませ。
はじめに、フォロイーさんのご紹介を
いつも優しく真摯な眼差しで小さな人たちを見守り、大切な気付きを丁寧に掬い上げて共有してくださっている――そんな素敵なフォロイーさんが、ゆっこさんです。
柔らかな語り口に気づかされっぱなしの私は、ゆっこさんのnoteを度々Twitterでシェアしているのだけれど、
此方のnoteは数文字のコメントを添えるだけでは飽き足らない気持ちになったので、文字数をたっぷりと割いて皆々様にご紹介することにいたしました。
ニワトリと玉子、どっちが先なのか問題の正解なんて誰も知らない
私たちは「誰かの役に立つこと」という強固な呪いにかかっているのかもしれない。そう思う事があります。
私自身、社会に役立つためにという学校の先生のもとで勉学に励んできましたし、未だに人の役に立つモノを書けと言われることがあるので、確かにそれはポピュラーで人気の高い人生目標なのでしょうけれども。
役に立つと一言、口に出して言うのは簡単です。誰からも喜ばれるようなシゴトをしましょう……確かにね。実践できたらスゴイ社会貢献!
ですので、表層的には。
人に求められていることをするというのが『役立つ』という意味だということで、私も特別異論を挟もうとは思いません。
ですが、もし不本意なモノを求められたとしたら?
自分に嘘を付いてまで、不本意なモノを創造し、役に立つことは果たして社会貢献なんでしょうか?
「そうそう、これが欲しかったんだよ。ありがとう」
その言葉をしっかりと受け止め、味わうことができるのかな……。
だからこそ、ゆっこさんのこの言葉が刺さったのでした。
自分のことは自分で満たす。
満たされた自分だから、他の人へ貢献できる。
自分自身を満足させないものを、求められたからといって世に解き放って、果たしてそれは社会貢献なんでしょうか?
自分自身に役立たないモノが、誰かの役に立つんだろうか?
グルグルと頭の中を仮説と回答が駆け巡った末、最後に残ったのは『ココロの底に澱のように残るのは自分自身に対する罪悪感。それをそのままにしておいて、本当に良いのかな?』ということでした。
社会貢献とは対外的な事だけを指すんでしょうか。
社会に自分は含まれないんでしょうか。
カップのAのカードのように
タロットカード78枚の内カップのスートの割り当ては14枚あります。主に人間の内側、精神面、等々を象徴することが多いとされるグループ、その一番最初の札は天空から差し出された大きなカップになみなみと水が満たされる様子が描かれ(ることが多い)ます。
カップに注がれた水は表面張力が限界を迎え、あふれ出した水は河となって海へと注ぎ、やがて雲になって大地に雨粒を返します。
ここからは私の想像ですが、雨粒はまた別のカップの中に落ちていくのじゃないかな。そのカップもまた雨粒を受けきれるだけ受け止めるのでしょう。表面張力が限界を迎えるその時まで、ね。
タロットカードをたとえ話に引っ張り出すまでもなく、現実に水は姿を変えながら世界を循環しています。
水を人間の心の有り様や感情の象徴というなら、それもまた形を変えて人と人の心の間を循環しているんじゃないかな。
自分自身を満たしきって溢れた感情は、顔の表情や声音、言葉や身振り手振りとなって外に飛び出ますね。いわゆる、創作や表現と呼ばれるものです。
それを受けた誰かのココロは、また感情を溢れさせ、それがまた誰かの心の中に雨粒の如く染み入って満たしていくという感情の循環が社会の幸せ……社会貢献の一つの側面だということはないのかしら?
そんな事をつらつらと考えていたらですね。
そりゃあ、笑顔やアリガトウやもっとないの?なんていうリクエストだったりで、ココロというカップを満たされ溢れさせるやり方が理想と言えば理想ですけども――自分から率先してカップを満たして、溢れさせるという方法だってアリなんじゃないの?むしろそれがスタートアップとして適切なのでは?と思えてきた瞬間。
ゆっこさんのnoteに書かれていたこと――ゆっこさんが尊敬していらっしゃる方の言葉――がズドンと立ち上がってきたのでした。
さいごに
ゆっこさん、いつも素敵なnoteをありがとうございます。私はいつもゆっこさんに感情のカップを満たしていただいてばかりで、なんだか申し訳ないです。
このnoteがゆっこさんの心のカップに御恩返しの一滴を注ぐことができるのか、できないのか……全く分からないけれども、感情の循環を実践してみないことにはわからないままなので、それはそれで私自身が「やりたい」の芽を摘み取ることになりそうだったので、手探りながらもこのように書いてみました。
そして。
ゆっこさんのしりとりストーリー企画、私のカップから水が溢れたので、取り組んでみました。
私の作品はともかく――心が溢れた皆さんのしりとり、素敵な作品ばかりなんです!こちらのマガジンにまとめられていますので、ぜひぜひ多くの方に読んでいただきたいの!!
期間限定になっているこの企画。願わくば第二回、第三回、と続いて欲しいなあと思っているのです。たくさん読みたい!たくさん、たくさん、感情を揺さぶられたい( *´艸`)
了
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