【木曜日連載】虎徹書林のチョイ怖シリーズ第三話『そば処千妖にいらっしゃい』 第十二回【書き下ろし】
初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
こんにちは、あらたまです。
【四把目】舞茸の揚げ焼きは衣を薄く~其之三~
あの四人の客、そしてそれを苦い思いを抱きつつ、そのままさせるままにしていた私。
双方の振る舞いを、このお客様は祠の前の席で、ずっと見ていたのだ。
ざるを八枚、黙々と手繰りつつ。
ハンチングの下からかろうじて覗く、小さくも鋭い眼差しで。
そうして、後に。
強い口調とは対照的に言葉を慎重に、選んで、選びぬいて、選ぶことに神経を使うあまり声が小さく尻すぼみになりつつも。
初対面の、まだまだ未熟な私の掌に投げ込まれた言葉は、そこに込められた苦くてしょっぱくてもどかしい気持ちは、空っぽの胃袋をぎゅうぅぅ……と、揉みしだくほどに強かった。
お客様の意図を全て拾えた自信は、無い。
けれど、この体の痛みと泣きだしたい衝動が、受け取るには充分すぎる量の【なにか】を頂戴したのだと教えていた。
この温かさは――なんだか、狡いよ。お客様。
お客様はカミサマだと歌う歌謡曲があったけど、昔話に出てくる荒ぶる神は、人間の知恵や突如現れるヒーローに成敗されたり永遠に封印されたりする……人間のことを蔑ろにするカミサマは、相応の報いを受けるってことなんだろう。
そしてその報いを手渡す【御役目】は、私が担うべきだったのかもしれない。
――だけど。
「す、すみません」
涙はなんとか堪えたけれど、鼻水を啜ることは止められなかった。
蕎麦ッ食いのお客様が、私に感じたもどかしさ。
と同時に、私を信じて静観していたという優しさ。
なんだか、物凄く恥ずかしくなった。
『目の前のことに集中するのは良いことだけど、もっと周りを見た方が良いわ』
不意に「あの人」の言葉が思い出された。
目の前のことに集中してれば、雑音を極限まで排除すれば、あの人が言う【私だけが辿り着く場所】が見えてくると思っていた。
だけど、そうじゃなかった。
目の前のお客様と「あの人」の顔が重なる。
似ても似つかない二人の、目の奥の光がそっくりだ。
あー、そういう……こういうことだったのか、と。
あの時のやり場のない怒りと諦めを反芻しながら、あの人が私に伝えたかったことにやっと触れた気がして、顔が赤らんでいくのを止められない。
『世界はあなたが思ってる以上に優しいわよ』
そうなのだ。
目の前の、年齢不詳性別不詳の蕎麦ッ食いさんが、伝えたいことも。
たぶん。
嗚呼、視野の広さって、一言でいうけども。
みんなどうやってその広さを、その小さな目玉に、得体のしれない心という入れ物に、落とし込んでいるっていうんだろう。
「まあ……そう、落ち込むな。おれも他人の事を言えた義理じゃァねえんだ。話半分に聞いツくんな。
思いついたことは直ぐに、こうやって口に出しちまうし。頭に血が昇ったら、本当に火もつけちまう。何百年と生きてたって、本性ってやつぁそうそう変わりゃしねえさ。
要はな、お嬢ちゃん。気付くか、気付かないか、だぜ。気付いたら儲けモンてやつだ!気付かないで、一生そのまま、寿命を全うするやつもいる……そっちの方が幸せだってやつもいるがな」
お客様が柔らかな沈黙に自らを包んだ時、実に香ばしく、猛々しくも滋味の深さを感じさせる、野山の薫りが私たちの鼻腔を擽った。
「ご迷惑おかけしまして……こちら、サービスです」
ふわりとした湯気が、頬の産毛にそっと触れた。
テーブルに置かれた平皿は、二つ。
「え……おばあちゃん、これ」
おばあちゃんは私の肩を優しく押し、お客様の隣の丸椅子に座るよう促した。
「ヨウちゃん、今日はがんばったもの。だからヨウちゃんにもサービス」
ご一緒しても構いませんね?とおばあちゃんが訊くと、お客様はうんと大きく一つ頷いた。
皿の上に、ふくふくとした香りを立ち上らせていたのは――舞茸だった。
お店で大人気の天ぷらではなく、揚げ焼き。
薄い衣を叩いただけの舞茸を、ちょっと多めの油で腰湯に浸かるように沈めて焼いたものだ。
「ほう、これはこれは」
お客様の鼻と口がニィぃ……と綻び、心なしかハンチング帽の下からニゥっと前に突き出たみたいに見えた。
席に着いた私はお客様と二人、同時に箸を手に取り、いただきますと手を合わせてからそっと舞茸を頬張った。
「ハフッ……」
熱さに油断して思わず漏れた息も香ばしい。
サクサクの薄い衣は実に軽やかで、噛むほどに心地よく歯を震わせるかと思えば、その奥から舞茸特有のふくよかで複雑な旨味が胡麻油と合わさり、波のように口中に溢れかえった。
「ふっ……ふふ……そうだなあ、坊主も揚げモンも、衣は薄い方が良いのかもしれねえ。美味しく食って、喰われて、用が終わったら潔く退散だ。動きにくくて重たい、御大層な袈裟着て踏ん反りかえってるヤツあ……しがみつきたいヤツはそうさせときゃいい」
お客様は妙にしんみりとそう言って、箸を置いた。
おばあちゃんは、何も言わなかった。黙って、未練たらしく舞茸をモグモグやってる私の肩に、ただただ手を添えていた。
小さな手のひらから伝わる温かさが、とても安心できて、嬉しかった。
残っていたお茶を飲み終えると、お客様は満足げに立ち上がった。
「女将、こいつはいくらだ?」
「いいえ、サービスですので――」
「駄目だな。こいつはおれの『ぷらいど』ってやつの話だ。こんな洒落た意趣返しを喰らったとあっちゃあ、はいそうですかと帰るわけにゃいかねえさ」
「そんな……つもりじゃなかったんですけどねえ?」
「ふふは!……なぁんてな、今のは建前だ。騙されんのも見くびられるのも、散々味わったおれだ。そんなおれと一緒に嬢ちゃんが何か一つでも【女将の心意気】ってのを汲んでくれたら、それでいいさ。おれが払いてえのはナ、嬢ちゃんとおれ、二人分の授業料みたいなもんサ……要するに、たまにァカッコつけさせてくれって話だよ」
「あら。そういうことでしたら……じゃ、遠慮なく」
ぷふふ……。
うふふ……。
二人は身を屈めて笑い合った。
なんだかお似合いだなあって、ちょっとだけ羨ましくなった。
おばあちゃんは普段と変わらず、きっちりとお題を頂戴した。
一円の切り捨てもなく、判で押したような明朗会計だった。
「毎度どうも――あら」
「うそ……」
レジを閉めたおばあちゃんと御見送り準備をしていた私が向き直ると、お客様は既に店内のどこにも居なかった。
――なあに、釣りは要らねえ。
そんな声が祠の方から聞こえたような気がしたが、正真正銘の気のせいだろう。
釣銭が残ったままのトレーを片付けようとしたおばあちゃんが、再びアラと声を上げた。
見れば、和菓子やおにぎりを包む木の皮みたいなのを千社札くらいの大きさに切ったのが、小銭の上にポンと一枚。表面には経文の一部と思われる漢字が数文字、勢いのある筆で書きつけられていた。
「たぶんヨウちゃんにって置いてってくださったんだよ」
どういう意味かは分からなかったけれど、促されるまま手に取り裏返してみると、隅っこの方に表面の達筆ぶりからは想像もできない下手糞な字で何やら書いてある。
「て、つそ、じろ……?どういう意味だろ」
ねえ、おばあちゃん?と木札に書かれた文言の意味を訊こうとしたけれど、止めておいた。この謎については、自分で考えて自分なりの答えを見つけたほうが良いってことなのだ。私の分の授業料も払ってくださったのだもの、きっちり学ばせていただかなくてはね。
「またどうぞ、いつでもお越しください。腕に縒りを掛けてお待ちしております」
おばあちゃんは祠のあるお店の隅っこに向かって、深々と頭を下げていた。
【四把目はこれにて……】
コメントでの気軽なお声掛けは随時、お待ちしております。
スキマーク・フォロー・マガジンのフォローも、勿論ウェルカムです。遠慮なく、無言でどうぞヤッチャッテくださいませ。
それでは。
最後までお読みいただいて、感謝感激アメアラレ♪
次回をお楽しみにね、バイバイ~(ΦωΦ)ノシシ