【木曜日連載】虎徹書林のチョイ怖シリーズ第三話『そば処千妖にいらっしゃい』 第八回【書き下ろし】
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こんにちは、あらたまです。
【三把目】甘くてしょっぱいのは餞の団子~中之二編~
普段から口数の少ないおばあちゃんが、殊更に口を噤んでいた。
時には、見て見ぬふりが、そっと寄り添う優しさになることもある……私はそれを、身をもって知っていた。
『おばあちゃんとこでね、人手が足りないんだって』
唯一、友だちと呼べる人に、逃げ出す直前そう嘘を付いた。
『そっかあ、いってらっしゃい。こっちは任せといて』
彼女は嘘を嘘と知りつつ、私を送り出してくれた。
私は最寄り駅への道すがら、大いに泣いた――
思い出す度に己のこめかみを殴ってやりたくなる光景を、こんな時に思い出すなんてどうかしている。
剰えどう見積もっても逃げる算段をしているようには見えないお客様に、私の過去を重ねるなんて不敬にもほどがあるというものだ。
「おまたせいたしました」
私が記憶を辿っていた暫しの間に、おばあちゃんはこのお客様のためだけの一品のご用意を終えていたようだ。
コトリ……とお姫様の前に置かれた手びねりの平皿には、串に刺さったみたらし団子。
「あ。これが……これを食べたら、私……」
小ぶりの、真ん丸な団子が五つ並んだ串が一本きり、飴色の餡の池にとっぷりと浸かっていた。
「大叔母様からは『一本だけ』と……あの、口幅ったいようですけど、本当によろしかったんでしょうか?」
「ええ。人間の食べ物はだいたいこのくらいで満足してしまうから」
いただきます、と。小さい決意を吐き出すように。
お客様の左手が皿を捧げ持ち、右手は松葉を拾い上げるように串を摘まみ上げた。
少々斜め後ろから見える真っ白な二の腕に、うっすらと、筋肉の筋が浮かびあがる。
以外にも引き締まったその腕は、彼女がただの育ちのいいお嬢さんではないことを暗示しているように見えた。一体全体、この人は、どんな使命を帯びて、今日まで生きてきたのだろう?
――不意に脳裏に浮かんだ【使命】という単語に、その単語の重たさに今の今まで無頓着でいた自分に、ハッとした。
そして同時に。
思いついてしまったそれを考え無しに訊いてしまいそうになる口を、咄嗟に両手でふさいだ。今日という今日は……迂闊に無礼を働けば、相応の天罰が速攻で当たりそうな気がする。そんな勘が働いた。
「判ってきたじゃねえの。感心、感心」
またあの声がうなじのすぐ後ろで聞こえたけれど、再び迫り上がってきた衝動をグッと飲み込んだ。お客様のお食事をただただ静かに見守ること、それが今の私の仕事だから。仕事に集中しなければ。
おばあちゃんのみたらし団子は、私も数回食べたことがある。
似たような味を捜し歩いた事もあるけれど、終ぞお目にかかったことは無い。
お店の御蕎麦の汁に使う「かえし」を使った餡は、醤油の風味は塩気がぼんやりしてしまうギリギリ一歩手前まで丸く整えられていて、口当たりも爽やかだ。団子を噛み締める間は、鼻から喉に煮詰めた甘辛い香りがサアアと抜ける。
歯切れのいい団子は柔らかく、それでいてもったりし過ぎず。口どけは真綿で拵えた新雪のように、滑らかに溶けゆくけれどもはんなりした食感が余韻となってしばらく寄り添ってくれる。
全てが舌の上を駆け抜けたあと、ほっと一息吐き出したときにふわりと漂うのは、ほんのり甘さのある香りだ。そしてすぐ後を追いかけてくる、まぁるい辛味が不思議な余韻でもって次の団子を手招きする。
おばあちゃんは絶対に教えてくれないが、おそらく隠し味に山椒の一種を使っているのだと思う――こっくり飴色の餡に隠された、絶妙な仕掛けだ。
「嗚呼、一つ一つが愛おしい。お揚げに包んだあの食べ物に似ているけれど、これは全く別の、美しい食べ物ですね……これが大婆様が恋焦がれた味に似ているというなら、そうなのかもしれません」
ごちそうさま、でした……お客様は会釈をしつつそう言ったけれど、一向に席を立とうとしなかった。
まだ何かを決めかねるような、何か遠くの記憶を思い返そうとしているような、私もおばあちゃんも息を潜めずにはいられない雰囲気だった。
あ、あのう……と、おばあちゃんが意を決したように切り出した。
「蕎麦のご用意、あるんですよ。天ぷらも。あったかい蕎麦を御造りいたしま――」
「ふふ、ありがとう。気を使わせてしまったようね、ごめんなさい。さっきも言ったけれど、お腹は充分整ったから、良いのよ。時間も無いし……嗚呼、そろそろ始まるわ。そしたら、私がここでのんびりしてたら困ってしまうわね?」
おばあちゃんはフっと微笑んだけれど、その頬っぺたはどこか寂し気だった。
「はぁ……では、いつか出前でお届けに上がりましょうか」
「まあ!それは名案、楽しみだわ。こんなに美味しいんですもの……御蕎麦もさぞかしおいしいでしょうねえ。きつね蕎麦、が良いわね。頓智が効いてるじゃない?」
頓智……ハテ?
それまでの思案顔が嘘のように、晴れ晴れとした風にお客様は立ち上がった。
出入り口に向かって一歩踏み出し、ふと、私の存在を思い出したかのように視線を交わした。
「あなた……そう、そうなの」
呟くと、私の鼻先に御自分の鼻先がくっつきそうな距離までググっと近づき、小声ながらもはっきりと、早口で話しはじめた。
「ここのみたらし団子はね、私の御先祖が昔々に生まれた土地で食べたものに似ているんですって。甘すぎず、しょっぱすぎず。トロっとした餡はコクがあって。御存知かしら、みたらし団子の餡てね、上等の御出汁が効いているものなのですって。上手に、綺麗な御出汁が引ける御蕎麦屋さんなら、信用がおけるんですって……何を信用するのか、今日の今日までわからなかったけれど。でも、女将さんのお陰でようやくわかったわ。食べたことが無くて、人づてに聞いた事を繋いで、想像するしかなかったけれど。
そうね、毎月【お揚げの味】から想像していたのかもね。
あのね?判る時が来たら、判るのよ?そういう『あ!』と思う瞬間が、ね。私が判った、今日という日のように。
……来るはずないと思ってた日に、今日という日にあなたに逢えて、あなたに伝えることができて良かった。
私はまだ半人前だそうだから、上手く伝わらなかったらごめんなさい。でも……でもね、今日ここで私と出逢った、何かを聞いたということは覚えていてね。
あなたにも近いうちに『あ!』の瞬間が来る。覚えていて?
今回は特別よ。本当は【社】に入ってからでないとオシゴト、しちゃいけないんだからね」
【三把目 後編に続く】
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