【木曜日連載】虎徹書林のチョイ怖シリーズ第三話『そば処千妖にいらっしゃい』 第六回【書き下ろし】
初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
こんにちは、あらたまです。
【三把目】甘くてしょっぱいのは餞の団子~前編~
あれは、そう――花札で言うならば、梅に鶯の頃のお話。
そろそろ鼻先にも川べりの土や水の生き生きしたにおいが届きそうなものなのに、今年はどうしたわけか、未だ寒さの名残がそこかしこにわだかまっていた。
「いやあ、今年は過ごしやすくって良いねえ!」
杉の花粉のアレルギーに悩まされているというお客様がただけは、やけに晴れ晴れとした御顔をされて熱燗を舐めていた。
ランチ時、ざるやもりはサッとやっつけられるので、忙しい仕事人には人気のメニューだ。
しかし、へばりつくような冷えに悩まされるこの陽気では、温かいかけや卵とじがよく出ている。先日の真緑色の紳士よろしく、お腹の底からポカポカになりたいのだ。
今年は変な日が続くなあと思っていた、その日。
さらに奇妙なことがあった。
「ありがとうございました、またどうぞ」
三人組のご常連さんを送り出したあと、お店の中を見渡すと、お客様が一人も居ない。
厨房からは幽かに、しゅわしゅわと油の泡が弾ける音が聞こえてくるので、おばあちゃんが天ぷらを揚げているのだろう。
だが、その天ぷらをお出しするお客様が――見当たらないのだ。
平凡なビニール張りの丸椅子は、七つとも、てらてらとした座面でもって蛍光灯の光を反射していた。
いくら不景気だと言っても、だ。
壁掛け時計は十三時を未だ回ってはいない。ほとんどの人が腹ペコで仕方がないはずである。
だからこそ、ランチタイムは数多ある飲食店でも大事な書き入れ時。
おばあちゃんが一人で厨房を回している此の小さな小さなお店にとっても、一日で一番忙しい時間なのに。
「あれ?」
足元が、フワっと。
変な感じがした。
眩暈とも違う。その証拠に、景色が渦巻いていない。
しゃがみ込んだり、ひっくり返ったりもしてない。
飛行機に乗ってる時の、あの感じ――エアポケットに入った時のような。
床板を馬鹿力でぐん!と、下から引っ張られて、その勢いでお手玉よろしく放られたような。
不意なことで壁に手を突き、一息ついていると、おばあちゃんが静々と厨房から出てきて引き戸を開けた。
何でもないよという素振りと笑顔でこちらを一瞥し、それこそ手慣れたもんで、暖簾を裏返す。
「あら、まあまあ」
ヨウちゃん、来て御覧!とおばあちゃんが妙にウキウキとした声で言うので、体制を立て直しつつ転び出た。
「空、見上げてみて」
「え?」
おばあちゃんはニコニコしていた。大丈夫だよ、心配ないよっていう時みたいに。
だから、言われるまま。
裏返しの暖簾を少しめくりあげて、軒先から顔を出してみた。
「うわ!」
――額に二粒ぽっち。なのに、なんなのこれ。
缶に入ったドロップくらいの大きさの冷たいものが、ぽつぽつっと落ちてきたのだ。狙いすましたように額を打ったそれは、昔罰ゲームで喰らったデコピン並みに痛かった。
こんな不意打ち、冗談でも質が悪い。
おばあちゃんはいたずらっ子みたいにクスクスと笑うだけで、説明も言い訳もしてくれなかった。
濡れた額を手で拭いつつ、あらためて空を見ると、それはそれは澄み渡った青空が広がっていて、一片の雲すら浮かんでいなかった。
「雨?こんなちょっぴり」
「さあ、どうだろね。まあ、こういうのは【当たったほうが】いいことあるよ」
なんのことやら、さっぱりだ。
どうせ当たるなら宝くじがいい。前後賞合わせてン億円!のやつ。
そしたら道具を新調して、パスポートを取って、アートの薫り高いアトリエに籠り切って一生……嗚呼、夢が果てしなく広がるって、なんて気持ちがいいんだろう!
「さ、とっとと入んな。急いで準備をしないとね。今から【難しい御常連様】がお見えになるよ」
さあ忙しいねえ、と言いながらおばあちゃんは踵を返した。
「え、そんな大変なお客様……」
急にそんなこと言われても、と言い返そうとしたが、私はなんとなく感じるものがあって止めた。
ここから先は黙って、言われた通りにやろう。そう思った。
ほんの些細な粗相も許されない、特別なお客様がやって来る。
きっと、おばあちゃんにとってじゃなく【お店全体にとって】特別なお客様なのだ。
おばあちゃんは難しいとしか言わなかったけど、おばあちゃんにそう言わしめるほどの、特別で大切な……。
雨粒が当たった後の、じんわりとした熱が残る額に手の甲を当て、何を確認するでもなく気を引き締めた。
そして、お店が面した路地を見渡した。
ひっそり、いつもどおりだ。何もかも。
だから、私もいつもどおりに。
幾度となく――その時々で投げかけてくる人は違ったけれど――私を責めさいなんできた言葉を噛み締めてみる。
『巧くやろうと気負えば、それは雑味として乗る』
お蕎麦も、画も……たぶん、全部がそうなんだろうな。
そういうことを理解はしてないが納得できるようにはなった私が【今】ここに居る。
おばあちゃんの手伝いをする中で、ぼんやりとだけど、わかってきたことが幾つかある。私に巧くなるな、熱くなれと言い残して去った「あの人」の気持ちとか。今、体いっぱいで感じている、照れ臭くなるくらい真っ直ぐな確信とか。
たぶんそういうことなんだろうな、と。
鼻先で一呼吸して、姿勢を整えた。
「いつもどおり、でいこう」
ぼやぼやしてる場合じゃないぞと、お店の中に入ろうとした、その時。
――ぽつ。
――コツン。
――ぽつ、ぽつ。
――コツン。
音のする方を思わず振り向くと、古びたアスファルトが大小の黒い水玉模様で染められているところだった。
「え?」
雨など、降ってはいない。
――ぽつ、ぽつ、ぽつぽつ、ぽつ。
疎らな、目に見えない雨粒が織りなす染模様。
新しいそれが現れるたびに、追いかけるように聞こえてくるのは、
――コツン。コツン。コツン……
一歩一歩、物憂げなリズムを刻んでやって来る、ハイヒールの踵の音。
私は思わず息を呑んだ。
実はハイヒールには良い思い出が無い。恐怖症と言ってもいいくらいだ。
私の骨身に染みついているそれは、遠慮会釈もなく歩いてくるカツカツ!という音。リノリウムの床を掘削でもするかのような、苛立ちを隠さない音。
アレを思い出すだけで、足がボルトで固定されたように動かなくなり、肩も竦んでしまう……のだけど、も。
今、この瞬間に私の耳朶を打つその音は、体重が乗っているのかが怪しいほどに軽やかでたおやかだった。
それ故に、どことなく寂しそうで……。
友達と楽しく遊んだ帰り道、やけに手持無沙汰な気分になることがあるけれど【この人】もそんな説明のつかない切なさ、虚しさを持て余しているんだろうか。
【三把目 中之一編につづく】
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