【木曜日連載】虎徹書林のチョイ怖シリーズ第三話『そば処千妖にいらっしゃい』 第五回【書き下ろし】
初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
こんにちは、あらたまです。
【二把目】初春の熱燗~後編~
独り言なのか、私たちに聞かせたいことなのか、恐らくその両方がマーブル模様みたいに入り混じっているのだろうあれやこれやをお喋りしながら、お客様は次に鮭の切り身と大根を小鉢によそった。
ハフハフと鮭を頬張る。
すると、魚の身が繊維に沿ってほろりと、花開くように舌の上で転がりだす。
みちっと染みた潮の薫りと鮭の旨味が、酒粕を媒介に手を取り合うと、上からベースとなる昆布出汁がまろやかに包んでくれる。
とろりとした甘みと柔らかな酸味、おおらかな海の滋味、それらが歌い奏でる優しい饗宴。
喉の奥にまで溢れる芳香は、押しては返す波のように鼻腔を抜けゆくのだろう。嗚呼、これぞ鍋の醍・醐・味ッ。
――お客様が瞬間ごとに味わっているものを想像して、私もまた興奮湧きたつ気持ちになってしまった。
コンロの火さえも息を潜めたような、静かな静かな店内に、きゅっちゅっきゅっ……とゆっくり優しくくぐもった咀嚼音がしっとり響くたび、その滋味深さがとめどない感動を呼び起こしているのを容易に想像できた。
酒粕を纏って、雪の下から掘り出したように見える葉物も。
ぷくぷくになるまで汁を含み切った、滑らかな舌触りの絹ごしも。
腹に落ちた食い物だけが触れることのできる冷えた臓腑を、優しく温め、蕩かして、その奥に凝り固まった【何か】を解き拡げたに違いない。
「あああああああ。うまかった!御馳走様でした」
「あのッ……」
おばあちゃんがギョッとした顔で私を見た。
しまった、と思った。
頭の中で考えたことが、ついつい口から駄々洩れてしまうのは、おばあちゃんの手伝いをする遥か以前、物心ついたころから散々怒られてきたことだ。それでなくとも、この性分のせいで辛酸をなめ……つまりは、ここで厄介になる結果を招いたというのに。
気まずい沈黙は、一呼吸もしないうちに破られた。
いいじゃないですか、とお客様は助け舟を出してくださったのだ。
「向こう見ずなのは若い方の特権みたいなもんですよ。私にだって覚えがある……仲間はそれで腕を取られたり【木乃伊にされたり】したもんだ。他人の無茶を見るのも、そこから何を学ぶか選ぶのも、このお嬢さんの一生だ。そして、そこにどうやってお付き合いするか決めるのは、私の一生」
おばあちゃんは、静かに目を閉じてフフと笑った。
「……そうでした。お客様がたは、わたし達よりも一期一会を大切にされるんでしたものね」
「命短し!なんて、風流がることができませんからね。私らは。で、お嬢さん?何が訊きたいのかな」
チラリ、とおばあちゃんを横目で見た。
おばちゃんは軽く頷き、そして目配せで促してくれた――ということは、お客様に失礼のない範囲でなら思いついてしまった疑問を口にしていいということだ。
「あ、あの……冷え性でお困りなんですよね?どうして鍋料理の作り方が判らないんです?そんなに難しい料理でもないですよ、私が一番最初に覚えた料理も煮込み――鍋料理でした。いまどき、ネットで調べれば料理研究家って人たちも星の数ほどいて、簡単!とか失敗しない!とかお手軽さを売りにレシピを公開してます」
一瞬、きょとんとした顔で私を見つめた後で、お客様は天井を仰いでワハハと笑った。
暖簾をくぐったばかりの時の、虚弱な印象が嘘のようだった。
頬に健康的な朱が差したことで、全身を包む緑色の服や小物が一層鮮やかさを増したように思えるほどだ。
「そう!そうね!そうか、お嬢さんにはそう見える、か。いや、その疑問はもっともだ。じゃあ、そうねえ……誰が決めたのかは知らないが私ら界隈にはちょいと面倒な取り決めがあってね、それが理由でざっくりとしかお応えできないんだけど――」
「あ……あの、この子のことは適当にサラッと……あんまりここで【ことだま】をお使いになるとお帰りの道中が、そのぅ」
おばあちゃんが珍しく取り乱していた。
「そう!あんまり詳しくやってると私の【変装】が持たなくなるからね!だから、ざっくり……と。そうねえ……私と一族は、少々偏食過ぎるきらいがあってね。地のものでなくてはどうにも体が受け付けないってのもあるし、生食が主だから、そもそも火を使って調理するって文化があんまり根付いてないのさ。水が温かかったころは、それで上手く世界が回ってたんだ。しかし、さっきも話したが、近年はこうも水が冷たくっちゃねえ。人も、蔵も、川も……みんな変わっていくのはわかってるんだ。だけど最近は少々急ぎ過ぎてる。その速さについていくための調整がね……私もそろそろ向き合った方がいいかもしれないってことさ。そろそろ……料理、やってみるかな」
うーむ。
わかったような。
わからなくされた、ような。
※ ※ ※ ※ ※
いやあ、喰った喰った!御馳走様と。
小鍋の中は舐めたように綺麗に平らげられて、私も心なしか誇らしくなった。
「まだッまだ、こんな旨いものがあるんだ。当分、この世は大丈夫なんだと思えましたよ。燗酒も……寿命がまた伸びちゃったなあ。蔵元と、杜氏に。どうぞよろしく伝えてくださいな」
「もし御時間お有りでしたら、こちら……パンフレットを預かってるんですよ、蔵元の。足を延ばしてみるのも、面白いかも。うふふ」
おばあちゃんはレジの横から細長いカラー冊子を取り、お客様に渡した。
数ページしかないカラー冊子の、写真一枚一枚に目を通す度、お客様の口元がゆったりと綻んでいく。
「……嗚呼、ご近所さんてあの家か!そうか……そうか、今じゃこんなことに。ならうちももうちょっと発破をかけて、盛り立てていかんと。そうかい、そうかい、負けてられないねえ……希望を捨てちゃイカン!か、そうだね駄目だね。うん。アドバイスに沿って、遠回りしてみますよ。こりゃあ直接挨拶した方が、後々に何かと、ね。いや、これはこれは、何から何まで世話になりました。竜の字の旦那に、どうぞくれぐれもよろしくお伝えください」
「ええ、きっと竜さんもその辺で……あら、今日に限ってどっか出ちゃってるわ。また何時でもいらしてくださいませ」
真緑色のお客様は席を立った、その時。
(え……?)
私は思わず四回、五回と激しく瞬きした。
気のせい、だと思ったのだ。
しかし。
気のせい、ではなかった。
熱燗と酒粕仕立ての鍋で、お客様は来店したときよりも本当に元気になっていた。声にハリも出て、肌の色つやも良くなって。
だが椅子から立ち上がったその姿――なぜだ?
身の丈も、腰回りも肩幅も、一回りがっしりと逞しくなっていた。
真緑色の虚弱な紳士から、緑の偉丈夫へと変わったお客様は、ほんのり赤らんだ顔をニコニコとさせて、暖簾をくぐった。
「じゃ、ね。お嬢さん」
いつしか雪が止み、すっきりと晴れ上がった初春の空の下。
上着の裾が軽やかに舞い、上機嫌に鼻歌を歌いながら。
おばあちゃんと一緒に見送るお客様の足元がふわりと軽くステップを踏んだ拍子に、真緑色のベレー帽が渓流に遊ぶ小魚のように跳ねて青空に溶けた。
「嗚呼、やっぱり。だからおしゃべりはほどほどになさった方が……」
丸見えになったお客様の頭のてっぺんの、いのちの輝きを湛えた【小さな池】に白い漣が立っていた。
【二把目はこれにて……】
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