映画「空白」の多面体
監督は吉田恵輔監督。
私は、この映画が大好きだ。
自分が正しい!と思っているんだけど、怒りや妄想で事件やひとに巻き込まれていく。さらには他人をも巻き込んでいく。個人も、メディアも、SNSも。
面白いのは、出てくる人みんな、
『”悪意”ばかりの人は、”誰ひとり”いない。』
細部のエピソードのパズルをつなぎあわせると、本当に多面体で登場人物が動き回る。
また、メディアの編集であったり、報道についても、すごく考えさせられる。
こんなに灰色で暗いのに、かすかに笑いの場面があり、ほっとする場面がある。
すごく追い込まれているスーパーの店長が、大盛定食を注文したり。。のり弁デラックスじゃないって、文句を言ったり。。
娘は何が好きだったんだろうって、お父さんが死んだ娘の部屋にある漫画を読む。
スーパーのポップが、素朴な手書きだったり。。マニキュアを外のごみ箱に夜に捨てに行くシーン。
人って大事なときに、意外と余計な一言を言ってしまったりする。わたしも辛くても、おなかが減ったりするから、ほんの少し笑ってしまう。
吉田監督は、ほんといじわるだなあ、ほんとやさしいなあと思う。
死んでしまった中学生の先生が、こう言う場面がある。
「私はあの子にやる気がないとか、もっとどうしてがんばれないのって、いつも言っていました。
今思うのは、あの子は、あの子なりに一所懸命やっていたのではないでしょうか。
自分が本当に精一杯やっていても、まわりにやる気がたりないとか、もっと努力しろとか、そう言われ続けるのって、どんな気持ちだったろう。」(注・↑少しうろ覚えの台詞)
こんなにつらくて悲しいのに、物語は、最後ににスプーン一杯分くらいの希望?明かり?救い?をそれぞれの人に見せてくれる。
人は、自分の見方や感じ方しかわからない。
あの人も、この人も、わかったふうに感じても
わかりあえなかったり、すれ違ったり、謝ろうとか、話し合おうと思ってたり、ありがとうと言いたいときには、すぐに人は死んでしまったり、いなくなったり。
でも、おんなじものを見ていたら、感じていたら、やっぱり嬉しいよ。
古田新太さんはただ立ってるだけで、最高におもしろい。ただ存在しているだけで、色んな想像をさせる。弟子が唯一離れてかないのは、きっと怒ってばかりだけどやさしいとこがあるのだろう。
松坂桃李さんもすごい。だんだん追い詰められていくさまも、やる気のないけど店長している感じ。最初のいきいき中学生を追いかけるシーン。
寺島しのぶさん演じるスーパーのおばさん。
もう、この映画に出てくる中でも、一番怖くて近寄りたくない人物、怪演。
本当に、こういう人いるいる!とおもう。
そこが、笑うに笑えないけど、まじめだけど笑ってしまう。笑ったあとに、自分にもこういうとこが、あるかも!?絶対ないないと思いたいけれど、ないとは言いきれない…大嫌い!ってことは、自分にも要素があるんではないか、と、……と穴があったら入りたい気持ちにさせられる。
善意や正義の押し付けは、怖い。
まじめで正論ほど、怖いものはないのだけど、知らず知らずのうちに、周りの人に正しさを押し付けてはいないだろうかと考える。
伊東蒼さんは冒頭しか出てこないのに、物凄い存在感。また彼女を見たいな。
片岡礼子さんは、ハッシュ!の時からすきだけど、顔が役によってくるくる変わる。キーパーソン。
弟子の藤原季節さんが、冒頭では曇り空でいやいやめんどくさそうに仕事しているんだけど、最後の方は、青空でいきいき漁をしているのをみて、なんということのない、何気ないシーンなのだけれど、私はなんだか泣きそうになった。
過ぎてしまったことは変えられないけど、
誰かひとり、そばにいたら、また前を向ける気がする。たくさんはいらない。少しでいい。
監督は、やさしい。
監督は、よく登場人物のふとした背中を映す。
誰もみていない、自分でも見れない、顔ほど明確でない、背中。
お父さんの背中。
店長さんの背中。
正義のパートおばさんの、ガッツポーズしたあとの、背中。
他責の人だったお父さんが、娘の突然の死をきっかけに、元奥さん(田畑智子さん)に、いっぱい悪態をついたあとに、こう言う。
「ごめん。ちがうんだ、お前がうらやましかったんだ。」
全編明るいとは言えない内容なんだけど、
もう一度見たい。
真実や、事実は何も明らかにされていない、ふわっとしているんだけど、このような人は、私の中にも、私のまわりにも当たり前にいることを、ただ見せてくれる。
二回見たけど、もう一度見たい。
私は、映画「空白」が、大好きだ。
とにかく、パートのおばさんの正義は怖い。
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