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自己愛性パーソナリティ障害の治し方
こんばんは👩💻
先日、自分自身の自己愛のお話をちょこっとしましたが、自己愛性パーソナリティ障害を治すにはまずコレっていう方法を、パートナー(心理学、脳科学を元に彼自身もアルコール依存症を専門家に頼らず克服されています)のアドバイスと私自身の変化からの気づきを元に、いくつか書き並べていきたいと思います。
そもそも、自己愛性パーソナリティ障害って何?
ってあると思いますがきっとこの記事に辿り着いている方は、ある程度ご存知と前置きさせて頂いて進めたいと思います。
もしかしたら、この記事を読んで頂いている方の多くは、自己愛性パーソナリティ障害の被害に苦しんでいらっしゃる方かもしれません。
(この病名に辿り着くまで、とても苦労されて情報を集めてこられたかと思います)
自己愛性パーソナリティ障害を患う本人は、全く自覚がないということがスタートというか前提というか、、、なので。
私自身もれなくそうでした。
パートナーが私との話が通じない、、おかしい、、と気付き伝えるものの、私本人側はパートナーがおかしい、変なことを突然言い出した、モラハラだ!!と決めつけて拒絶する。その繰り返しでした。
その反面、自身が自己愛性パーソナリティ障害だと気付き(気づかされ)この記事を見ていらっしゃる方もいると思います。
自己愛性パーソナリティ障害に悩む双方の方にとって、この記事が何かしらの気づきになれば幸いです。
以下の記事は以前は有料にしていましたが、自己愛の自分が傷つけた人達への償いとして、損得感情がある事は有り得ないと気づき、全てを公開する事にしました。
とても恥ずかしい事です。有料として購入された方、大変申し訳ございません。
記事は追記していきます。心苦しい思いをなされる方もいらっしゃるかもしれませんが、目を通して頂ける機会がありましたら幸いです。
以下は自己愛性パーソナリティ障害を治す上で私が感じた事を綴っていきます。
1.【感謝】
←あとから見てここはオプションでしかないと気づきました。大事なかなめだと感じた部分は下記に【人を傷つけたという事実を認める】という項目に記載しております。
「感謝」について。
なぜなら、「自己愛」と「感謝」は同時に存在できない仕組みだそうです。そもそも、自己愛の人は他人に興味が無いのですが、誰かの為に何かをしている時は、
他人>自分
の構図になっていて効果的なようです。
その他の方への気持ちを思う時間を、日常的に1分⇒10分⇒1時間⇒....1日と伸ばしていくと良い。
勿論、感謝以外にも
①この自分の行動は傲慢な態度では無かっただろうか?
②他人を特に身近な人を不快にさせる行動は無かっただろうか?
③誰かに迷惑をかけなかっただろうか?
等、自分の行動を振り返る時間を寝る前に行うことも良いようです。
そして最も大事な事は、過去にも「感謝」をするということ。
私はまず
1.パートナーからして貰った事、傷つけてしまった事。まずは「事実ベース」で一つ一つ書き溜めていっています。
2. 1が終えたら、次はその時のパートナーの気持ちをこうだったんじゃないか、とか自分なりに想像しながら書く。
3. すると自分が起こした事の重みが乗っかると同時に感謝の気持ちが芽生える、もしくは増えていく。
4. 自己愛の方は気持ちを保ち続ける事が
困難な為、毎日の日課にする。(1.2は書き足して下さい。どんどん増えていきます)
これまでの感謝があって、はじめてこれからの感謝がのっかる感じ。
本当に簡単な内容ですが、「忘れない為に日課にする」が重要なキーワードになってきます。
私自身も模索中ですが、これを続ける事で心が痛むと共に、相手の事(仕草や気持ち)に目を向けることが、やっとでき出来ているように感じます。
※ただこれは、以下の方法2を受け入れた後に行わないと、表層の部分を積み重ねる事になるだけで根本的な解決には至らないな。と実体験をもとに感じました。けれどもかなり重要な積み重ねである事には変わりないので、日課として取り組んで頂ければと思います。
2.【人を傷つけたという事実を認める】
「加害」をしたという事実から逃げないこと。
これは治す上でとてもとても大事な事だと私自身の経験からお伝えさせて頂ければと思っています。
自己愛性パーソナリティ障害を患う側は、自分のした悪い事を認めません。人や環境のせい=他責にします。そして、理想の自分(自身が作り出した架空の美しい心を持つ自分)から物事を見るので、「こんな綺麗な心を持っている自分だから、そこまで酷い事をやっているはずがない」と決め込んで、それ以外の視点(客観的な事実等)から物事を見て、主観を事実を比較することも出来ません。
さらに厄介なことに、被害者意識がものすごく強いため「お前が悪い」といった事をちょこっと言われただけで「あの人は私を責めた!酷いやつだ!」と過剰に傷つき、悲劇のヒロインを演じます。(本人は心の底からそう感じているのですが、外側からは演じているように見えます)
本人側が認識している自分と、本人以外の周りが認識している姿が全く違うのです。多分、よく使われる「認知のゆがみ」の一つだろうと思います。
自己愛性パーソナリティ障害を患っているということは、自己中心的な思考と行動で多くの人を傷つけてきたという事だと思います。
私自身も自分の元夫、子供達、パートナー、両親、仕事上関わる方々、、、沢山の方をあり得ない行動であり得ない傷つけ方をしてきました。そして最もクズなのは、自分自身が傷つけたと微塵も思っていないという事です。
本当に全くのゼロ。自分の気持ちや自分の考えだけで頭の中はいっぱい。
仮に、相手から「あなたの行動で傷ついた」と言われても「そんなつもりでやっていない。オーバーな反応だよ。覚えていない。」等々、、、
悪い事をしたという事実を認めず、相手の気持ちを更に踏みにじる言動をします。
「自分は人を傷つける悪い人間だ。」
自分の加害を認め、謝り、反省する。
これが出来ません。そしてこれが自分自身が最も恐いことなのです。
「私はもう充分に認めて十分に反省している」
この言葉が出ても、まだ逃げ続けていることが多くあります。
自分の悪い部分や反省すべき点(欠点)を認めてしまうと、本当にダメな人間になってしまって、これまで何とか保ってきた自己肯定感が崩れてしまう。私は無価値な人間になってしまう。
自己愛性パーソナリティ障害を患う人間は、正常な自己愛・自己肯定感を持っていません。その多くは幼少期に親から過保護・無関心・虐待等でコントロールされ正常な自己を育む事が出来なかったからだと言われています。
(私自身も親との問題が根幹にあると実感しています)
そして、心の奥底では異常な程に自信がありません。とても臆病です。
ダメな自分というものを感じながらも、表層のさらに奥に隠しています。
では、正常な自己愛・自己肯定感を持っていない本人はどう生きていくのか?
それは等身大の自分ではない「できる自分・褒められる自分」を妄想で作り出し演じて、自己肯定感を作り上げていくのです。また、他人を見下して自分より下の存在を認識することで「自分は優れている」という状態を維持しようとします。その為、実は実績がないのに偉そうといった態度になる事もあります。または、異常な頑張りで実績を作りそこに固執し続け、社会的に認められる事で外から自己肯定感を得ようとします。
どちらも自己肯定感を得る方法が、外部からの評価に傾きすぎているのです。
「できる自分」=「価値のある自分」となり、自分の悪い部分は自分の価値を下げる材料にしかならず死んでも避けたいといった心理が働きます。
世の中完璧な人間はいないので、誰しも自分の悪い部分は持っていると思います。正常な自己愛であれば、「いい部分悪い部分どちらもあるのが本来の自分。より良い自分になる為に悪い部分を認め成長していきたい。」といった考えだったりで、"自分の価値"は「外面的」・「内面的」な二つの部分から成り立つと理解しています。しかし、自己愛性パーソナリティ障害を患う人間は「価値」=「外面的な価値」にしか興味がありません。
「外面的な価値」・・・社会的な地位、外見、特殊な才能や知識、ブランド「内面的な価値」・・・やさしさ、誠実さ、家族や友人に接する態度
「悪い部分を受け止める」=「内面的な価値が上がる」
「内面的な価値」に興味がないので、ここが認識できません。その為、悪い部分を認める事をデメリットだと考えています。(他人の心の傷を考えればメリット・デメリットなど関係ないのですが・・・。これこそ自己中心的ですね)しかし、仕事など「外面的な価値」が上がる面では「悪い部分を受け止める」事は出来る場合もあります。
私自身の場合、心の奥底では「わたしには生きる価値がない」と幼少期からの親の影響で刻まれており、さらにその価値を下げる(悪い部分を認める)ことは「〇ね」と言われている事と同様になってしまう為、恐ろしくて仕方がなかったのだろうとも考えています。
長くなりましたが、自己愛性パーソナリティ障害を患う人間に最も必要な事は、「人を深く傷つけてしまった事」を知り認める事だと考えています。
ここから逃げ続ける限り治るという事はないように思います。
逃げ続ける限り辛い現実が何度もやってきて、本当にもうこれ以上逃げれない逃げ道がない。最後の助けだと思って手を差し伸べた先で「強くなってほしい」と言われハッとしました。ああ自分は弱かったんだと認める事ができました。人を傷つけておいて逃げる卑怯な人間だったんだと。
傷つけた人に対して逃げずに向き合い続ける。
相手はどう苦しかったのか?
相手はどんな気持ちになったのか?
自分の行動の何処が相手を苦しめたのか?
人間性のある人間は本来どう行動しているのか?
人の心は凄く繊細でもろい。
幼いころにそう扱って貰えなかったかもしれない。
傷つきや我慢を沢山強いられてきたかもしれない。
でもそれは当たり前じゃない。
相手の傷に真っ向から突進していく気持ちで、本やネット記事を読み漁りました。その中で自分のした行動や言葉が、どれだけ通常とは違って異常なものだったかを思い知らされました。自分が考えていたよりずっと醜くて卑怯で惨めで汚い人間だった。
まずは認めるしかないのです。
それが出来るか否かが、自己愛性パーソナリティ障害の人間が変われるかどうかの要になってくると思います。
私は離婚により当時6歳と9歳の2人の子供たちを、何度も泣かせ振り回し傷つけてしまいました。子供の気持ちを一切考えておらず、自分の事しか頭にありませんでした。その結果、子ども達を残し実家に帰り、子ども達の親権、養育権を元旦那へ押しつけました。
子ども達を育てるという責任から逃げました。まだ幼い子供達をどうしてここまで追い詰めれたのか。
自己愛性パーソナリティだったから?
自分に勝つことや人と心から向き合うことに勇気がなく、長い間逃げてきた為に、人間性がクズに育ったから?
精神疾患を持つ自分をコントロールする技術を身に着けていなかったから?
理由は様々ですが、大きくは愛着障害が根本にあると考えています。
それを自覚し、変えていくには自己の精神性の大きな破壊がいるかもしれません。
私は今のパートナーとの子供を妊娠し中絶した事が、自己愛性パーソナリティ障害の寛解のきっかけになりました。また子供を守ることができなかった。
大きな衝撃と苦しみが人を大きく変えていくのだと実感しました。反面、日々の目の前の事を大切にし、違和感を見逃さず向き合っていけばここまでは必要なかっただろうとも思います。
私自身の弱さから私はもう逃げてはいけないのだと思います。
子供達は一生ものの傷や苦しさを背負いました。
私もその傷に見合う苦しさを抱えて生きていくのが、償いのひとつになると考えています。
長文となりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。
参考になる本など、また追記したいと思っています。
ここが分からなかった、ここが知りたい等ご意見ありましたらご教示頂けましたら嬉しいです。
この記事が自己愛性パーソナリティ障害に悩まれる方々に少しなりとも何かのお役にたてますように。誰かのために少しでも。
またこれから向き合い続ける為に、記事を更新し続けるつもりです。
どうぞ宜しくお願い致します🙇♀️