アイヌ語で行く朝鮮紀行

最後の氷河期が終わってから
朝鮮半島は4000年間無人地帯だった。

そして今から6500年前に北の豆満江(トマンガン)方向から
沿海州の縄文人が無人の朝鮮半島に南下した。

今から6000年前、対馬から東三洞(とさんど)・釜山周辺に
無人の朝鮮半島に縄文人が住み着いた。
北や南からの縄文人の進出定住は、ほぼ同時期だと思う。

それぞれ海岸沿い、川沿いに定住地を広げて
無人の朝鮮半島全土に広がった。
日本列島も朝鮮半島も沿海州(アムール川下流)も縄文人の土地だった。

もちろん、この時代の縄文人達が
「俺達は縄文人だ、誇りを持とうよ」と言って暮らしていたはずがない。
似たような言語集団が緩く団子で暮らしていただけだろう。

ロシアと朝鮮の境界にあるこの豆満江(トマンガン)だが…
このトマンとは何語であろうか? アイヌ語ではないか。

・tomam(湿地)→トマム→トマン→豆満江(トマンガン)

北海道にもトマムリゾート開発?があった。
GoogleMapで見ると、豆満江の河口には広大な湿地らしきものが見える。
河口部の湿地(トマム tomam)が出世して川全体の名前になったと思う。

ソウルは韓国の首都だが、名称の由来、意味がよくわかっていない。
古朝鮮のジョブルが語源か?とのことだが、音が離れすぎている。

Seoulの語源はアイヌ語ではないだろうか。すなわち
sep-oro(広い-場所) → seporo → seoro → seoul → ソウル

この時代の交通手段は船だから、海から川、川から海に出やすい地形で
もちろん高台で内陸部にもアクセスしやすい場所が選ばれたはずだ。

渤海湾と黄海はその形状から干満の差が激しくて、周囲の海岸部、河口部は
6-7mの干満差があるという。なのでこの部分には人は住めないだろう。
そういう干満の影響のない広々した所がソウルだと思う。

新羅←しんら←shinra←shir-ra(大地-通路・内部)=内陸部
新羅←しらぎ←shir-ra-gi(土地-通路・内部-する)
※shir=土地、大地、
ra=溝・通路・内臓、低い所、
ki=する(所)

新羅の太祖は瓢公で倭人だ。
新羅は内陸部で「通路だ、内陸だな~」って感じのするとこだと思う。

朝鮮半島はちょっと見ただけでもアイヌ語地名が多い。
例えば、東莱トンネは利根に似ている、昔は倭人館があった。
例えば、古い遺跡の東三洞(とさんど)は、土佐と佐渡を足した地名だ。

例えば、珍島チンドは演歌で有名だが、これもアイヌ語としか思えない。
アイヌ語でchin(足)のto(海)の意味だ、足で歩いて(島に)渡れる海の意味だろう。
本当は海の名前で島の名称じゃないが、島の名前にされてしまったね。

日本語でもオチンチンというけど、中足の事だ。
チマチョゴリのチマはスカート部分=足の部分を言う。

済州島では集落のことをコタンというそうだ。
モンゴル語ではホータンという。似てるね。

これを昔どこかで読んだけど、その本が見つからない。
俺の勘違いだろうか?そうは思えないだけど…
済州島出身者が多いはずだから、誰か知らないかな?

北海道のアイヌが日本海を縦断して済州島に行き、
「集落のことはコタンと言うんだよ」と済州島民に教えて
また北海道に帰ったとはどうしても思えない。

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