視覚の移行(8)対象を見るのではなく
この地上における12感覚から、感覚を1つ上に引き上げる時、そもそも視覚は必要なのだろうか。それはほかの感覚で補っても良いのではないか。
シュタイナーは、人間の進化の過程について以下のような表現をしている。
はじめは「見る」という器官はなく、共感的な印象(つまり蟹座の聴覚のような印象)が、心の中に色彩像を生み出したと書かれている。
しかし今は、直接心の中に見るのではなく、外側に形象として表れたものを「見る」という行為によって、外側から印象を取り込んでいる。
このようになったのは太陽と地球が分離したことが関係しているとシュタイナーは書いている。
私達が、惑星意識から全惑星意識へ、そして太陽意識へと向かうなら、もはや太陽から分離した惑星側からの「見る」という行為は必要なくなり、内的に色彩像を生み出すことができる。これが言うなれば視覚であり、もしくは視覚はないとも言える。
視覚の移行の練習を試みる時、このことを忘れがちで、つい外側にある何かを見ようとしてしまう。この癖が遠回りになるのではないかと思う。
色の変わる鉱物
鉱物の中には、地中深く暗いところでは鮮やかな色をしているのに、光に当たった途端、みるみる色が変わるものがある。このことをはじめて知った時、鉱物はなぜ、誰も見ることのない暗い場所で、鮮やかな色をしているのかと疑問に思った。色とは一体なんなのだろうかと。しかし今思うと、人間が視覚によって判断する能力が行き過ぎただけで、「誰にも見られないのに鮮やかな色をしている不思議」などと考えるのは、あまりにも物質人間的だ。
動物は判別できる色の数が違う。これは視覚以外の能力が発達しているからだ。言い換えるなら、動物は人間ほど太陽と分離していないとも言える。それでも視覚があるということは、じゅうぶん分離しているのかもしれないけれど。
上から降りる
感覚を1つ上に移行することを考えるのも大切だけれど、一番上から一つ下に降りることも大事なのだと思った。7つの生命から、太陽の12の感覚へ。
マガジン:視覚の移行