#4.アゼルバイジャン語
アゼルバイジャン語は私のお気に入りの言葉の一つだ。その理由は国家を持つ言語でありながら日本で「どマイナー言語」に属していること、次にトルコ語にそっくりな文法、第三に変わり種のアルファベットをふんだんに使う等、語学好きを惹きつける要素をたくさん持っているからだ。
墜落するトルコ語、着陸するアゼルバイジャン語
アゼルバイジャン語はテュルク諸語に属する言語だ。「主語〜目的語〜動詞」の順番を基本とし、動詞に機能を変えるパーツをくっつけて表現を豊かにする等の特徴を持つ。そのため、日本語を第一言語や得意とする人にとって、アゼルバイジャン語は実はとっつきやすい言葉といえよう。また、トルコ語にも似ており、アゼルバイジャン語かトルコ語かどちらかを知っていれば、類推できることも多い。
ところで、何故私がアゼルバイジャン語に興味を持ったのか。それは黒田龍之介先生の『世界の言語入門』に掲載された小話を読んだからである。それによるとトルコ語の「墜落する」という動詞とアゼルバイジャン語の「着陸する」という動詞が同じであるという。そのため、アゼルバイジャン語を知らないトルコ人がバクー行きの飛行機で「当機はまもなく着陸します」というアナウンスを聞いた時、「飛行機が墜落する!」と理解し、パニックになってしまったらしい。
実はこの話を読んだ後、デンマークのコペンハーゲン大学の後輩に会いに行く機会があった。そこで偶然、アジア人留学生の交流会が開催されており、私も後輩の計らいで参加させて頂けることになったのだが、そこで偶然にも意気投合したのがバクー出身のアゼルバイジャン人だった。そこで、その人に黒田先生の本で読んだ話をしてみると、やはり本当らしく「そうなんだよ、よく知ってるね!」と驚いてくれた。
おそらくこのお話は"düşmək"という動詞にまつわる話だと思う。これはトルコ語では"düşmek"になる。「落ちる」ことは共通したイメージだが、ニュアンスがそれぞれ異なる、というものではなかろうか。動詞の形はほとんど同じに見えるけれども、このような方言差とも言える微妙な差がアゼルバイジャン語とトルコ語の間にあり、それがアゼルバイジャン語をより興味深くしているとも言える。私だけかな。
アゼルバイジャン語のアルファベット
ところで、今しがた見てもらったように、アゼルバイジャン語にはあまり他の言語で見られないアルファベットが使われている。トルコ語と共有して使っているアルファベットに加え、アゼルバイジャン語に特有のアルファベットが加わっている。"düşmək"の"ş"のようにセディーユと呼ばれる「しっぽ」をつけたアルファベットが使われている。これはトルコ語とも共有である。
しかしながら、"düşmək"の"ə"は非常に珍しい。このアルファベットはトルコ語では使われていない。使われているとしたら私の知っている範囲でいうと、スロベニアのゲルマン語系少数言語で「ゴットシェー語」というのがあるのだが、その言葉の表記に使われていると"聞いたことはある"。本当かどうかはよく知らない。他にもあるかもしれないが、恐らく少数言語や音素を転写するための学術的な利用方法に用いているのではないだろうか。いずれにしても、見かける可能性が最も可能性が高いのはアゼルバイジャン語であろう。
ただしこれはラテンアルファベット表記のアゼルバイジャン語だからである。イラン北部にもアゼルバイジャン(州)があり、そこはペルシャ文字圏に属している。そのためなのか、ウィキペディアを参考にすると、ペルシャ語の「アゼルバイジャン語」のページでは、まず項目名が「アゼルバイジャン・トルコ語」となっており、説明の中ではラテン文字表記とペルシャ文字表記を並列させているところもある(1):
大トルコ思想の落とし穴
ところで、たまにトルコ人と話をしている際に「アゼルバイジャン語とトルコ語は同じだ論」から発展して「全てのテュルク系言語はトルコ語の方言だから理解できる論」になることがある。この手の会話には基本的に「へー、そうなんですね」と相槌を打って済ましているが、「じゃあ私の言っていることが分かるんですね」とアゼルバイジャン語やウズベク語などで話を続ければすぐに相手の無教養が露呈するだろう。
確かにチュヴァシ語を除いたほとんどのテュルク系言語は方言と言っても過言でないくらい類似している。そのため、方言という見方は可能かもしれない。しかし、残念ながら広大なユーラシアで全てのテュルク語が同じ方向性を持ったり、他の言語から同じような外圧を受けて、発展してきたわけではない。その良い例がアゼルバイジャン語である。
アゼルバイジャン語は恐らく諸イラン系の王朝の時代以前からアラビア語やペルシャ語の要素を吸収して、今日のアゼルバイジャン語に続く土台を形成したと考えられる。しかし、1813年のゴレスターン条約によりコーカサス地方がロシア帝国に割譲されたことは現代のアゼルバイジャン語へ大きな影響を与えることになった。トルコ語とは異なり、後々のソビエト時代の終わりまでアゼルバイジャン語にはロシア語が大きな影響を与えるようになったのである。一方で、トルコ語は近代においてムスタファ・ケマルの言語改革により文字を含め語彙など大きく改造されている。そのため、文法などの大きな部分でいうとほぼ似ているが、お互いに距離のある言語へと発展した。そして、肝心なことにロシア語からの借用語は普通、トルコ人には理解できない。
では逆はどうか。面白いことにアゼルバイジャン人はトルコのテレビ放送やテレビに慣れ親しんでいるので、トルコ語を、まるで関東人が関西人の喋っていることを理解できてしまうかのように聞くことができる。トルコ人がアゼルバイジャン人に自分たちの話す言葉が通じるというのはアゼルバイジャン人がトルコ語をわかってくれているから、あるいはアゼルバイジャン人がトルコ語に親しんでいるからトルコ人に合わせてくれている、という理由の方が大きいのではないか?
トルコ語でOK?
残念ながら、日本語ではアゼルバイジャン語の教科書はほとんどない。会話集や辞書は除き、一冊だけだと思う。そして英語では全然見かけない。フランス語では一冊見かけたことがある。ロシア語はたくさんある。結局のところ、語学が苦手な日本人にアゼルバイジャン語がもっと日本で親しまれるには時間が必要かも。
実際、アゼルバイジャンに行くときに語学はどうすればいいだろうか。
「アゼルバイジャンに行くならトルコ語が分かれば問題ありませんよ!」
そのように以前、あるトルコ人に自身たっぷりに言われたことがある。その話をあるアゼルバイジャンの知人に「本当かな?」と相談したところ、次のような返事が帰ってきた。
「うーん、まあトルコ語分かれば確かに問題ないとは思いますよ。ただ、トルコ語とアゼルバイジャン語はちょっと違うので。トルコ語とロシア語が分かれば問題ありません」
やっぱりアゼルバイジャンに行くときはアゼルバイジャン語を勉強した方がいいかもしれない。うーん。
参考
(1)図の借用 "زبان ترکی آذربایجانی" https://fa.wikipedia.org/wiki/زبان_ترکی_آذربایجانی
(2020/1/9閲覧)
※日本語でまともにアゼルバイジャン語を勉強できるのは目下のところ↑だけだ。
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