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時間表現とその語彙
今日も明日もないことばなんてあるんだろうか。
外国や他の民族の言葉を勉強していると、私たちが日本語で持っている時間や期間の表現が合わない言語に遭遇することがあります。
例えば日本語や英語なんていうのは単純です。まず日は「昨日(yesterday)」「今日(today)」「明日(tomorrow)」という「過去」「現在」「未来」の三つの概念に分かれています。
そして年や月の三つの時間を表すためには「去」or 「先(last)」、「今(this)」、「来(next)」というようなパーツをつければおしまいです。非常に単純ですね。
しかしながら、地球上のすべての民族の思考にこの考え方が共通するわけではありません。
例えばパキスタンのウルドゥー語(ヒンディー語を含めたインドゥスターニー語)が身近にあるそのような言語です。なぜなら、ウルドゥー語には昨日と明日の区別がなくて、言語上「今日」か「それ以外の前後の日」しかありません。
例をあげますとウルドゥー語の"کل(kal)"は「明日」でもあり、「昨日」でもあります。なので、この単語を使われたら時制でどっちの時間を指しているか判断しなければならないでしょう。
ちなみに"پرسوں(persoṇ)"という単語もあります。これは「明後日」か「一昨日」という意味です。
一定規則でパーツをつけていない言語もあります。例えばロシアの中にすむチュヴァシ人たちが使うチュヴァシ語が思いつきます。
チュヴァシ人の言語はテュルク系の言語で、ブルガール人の言葉だったブルガール語の直系の子孫だと考えられています。そして、テュルク系民族は遊牧を続けていくうちにイスラム教を受容していったのですが、チュヴァシ人は正教徒です。キリスト教という意味ではモルドバのガガウズ人と同じと言えるかもしれません。
ところで、チュヴァシ人のチュヴァシ語で「去年」「今年」「来年」は「去」or 「先(last)」、「今(this)」、「来(next)」というパーツをつけません。代わりにすべて独立した異なる単語を使います。
кӑҫал(koshal) ... 今年
килес ҫул(kiles shul)... 来年
пӗлтӗр(pelter)... 去年
このうち、「来年」だけは「来たる年」で、「来る」という動詞の連体形が使われています。そのため、規則的に覚えられない難しさがあります。
どのように人間は「時間」を体得していったのでしょうか。こういう表現を見ていると、時間の捉え方とそれに対して言語化したものが普遍的ではない、ということが良くわかると思います。
ただ誤解してはいけないことは、「言語がこうだからといって話者の思考もそうだ」とは言い切れないことです。例えばインド人は英語をしゃべるとき、明確に「昨日」や「明日」を使い分けます。また、バイリンガルという事情もありますが、チュヴァシ人がロシア語を学ぶとき(ロシア語は規則的なタイプです)、この手にタイプの言語の学習が苦手であるというわけではありません。
言語は思考に影響を与えるかもしれませんが、絶対的なものではないというところがキーでしょう。
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