書くアフリカ!アフリカの写本から考える歴史
一つの「アフリカ史」を取りまとめるのは無理ではないか?"Liberty Writers Africa"の写本に関するこの記事を読むと、そう感じざるを得ない。
「おそらくアフリカに文字なんてなかったはず」
多くのひとがそう考えているに違いない。しかし、アフリカには長い、豊かな文字を書く文化がある。この記事によれば、アフリカの文書には少なくとも8世紀ごろまでさかのぼれると考えられる古代の写本が残っているらしい。
マリのトンブクトゥの図書館から見つけられた二五万冊の写本が現在のエチオピアにある。また、数千の南エジプトで採掘された写本も残っている。ギニアとガーナから地中海沿岸部分にかけては百万もの写本が虫や火災などから生き残ってきた。ナショナル・ジオグラフィックスはマリのトンブクトゥだけでも七十万冊の写本が残っていると見積もっている。
トンブクトゥには六十を超える図書館がある。それらは現地の学院や個人の管理によって成り立っている。一例をあげるとアハメド・ババ・インスティチュートがある。この機関には三万冊の古文書を保管されているらしい。
マリやギニア、エジプト、スーダンはアフリカ中央部よりも北部に位置する。そして、そこに文書が残るのは、様々な言葉がイスラムの影響を受けて、アラビア語で書くことを始めたからだと思う。イスラム文化は神から授かったアラビア語で書き、そして預言者の言葉やコーランの語句の正しさを追求し、それがどこまで正しいか歴史的にさかのぼれること、実証できることを重要視する側面がある。
一方で、セネガルでは例えばグリオという先祖伝来の出来事を歌って記憶する人たちがいる。そのような人たちは例えばユッスー・ンドゥールのような自分たちの歴史を振り返りたいと考えたアーティストに常に影響を与えてきた。アーティストとして自分たちのセネガル史を見直す...。
このように、主体となるアフリカ人すらも自分たちの歴史を振り返りたいとき、ヨーロッパの植民地側の知識と歴史観から抜け出す必要が出てくることが、ここで察することができる。
「アフリカ史にアプローチするということは、これまで自分自身を支えてきた世界観を再考し再創造する営みでもある(1)」
『新書アフリカ史』でも上記のように言い切っている。
しかし、ここで紹介してきた歴史的資料がある国は、西サハラ砂漠近辺かサハラ以北の国々である。そうなると、情報が残っているかそうでないかを基準にした場合どうなるか。アフリカ史を均一なアフリカ史という横軸で見たとき、そして一つのアフリカ史という縦軸で捉えたとき、歴史の中のアフリカは地理的に不均衡になるのではないだろうか。
そうなると「一つのアフリカ」というのはただの幻想になってしまうのではないだろうか。情報があるアフリカの歴史が情報量が少ないアフリカの民族や国の歴史を上書きする。それは歴史学的にしょうがないことなのだろうか。言葉で情報が伝播されないだけで、アフリカに関する歴史学は何を判断できるのか。
こうなると全体の歴史ではなく、個別の歴史をきちんと研究したほうがよりアフリカ史というものがわかってくるような気がしてならない。アフリカ史というものはアフリカ54カ国あるいは55カ国の歴史の総算であり、何百、何千の民族のオーケストラのようなものであるはず。
単一の「アフリカ史」は論理的に無理ではないか?
参考
(1)宮本正興、松田素二編(2018)『改訂新版 新書アフリカ史』講談社. No.204/8297,
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