(ことばよりみち)世界の中心で叫んでも
学校や家で友達や家族と日本語で話して笑う。
「昨日のテレビは何を見た?」
「あの番組は面白かった」
「新聞でこんな記事が載っていた」
「近所のなんとかおばさんが病院に運ばれた」
日々私たちはいろいろな話を日本語や他のさまざまな言語で話しています。
でも、もし自分の言葉が誰も理解してくれなかったら?
例えば家族ですら全く違う言語を話していたら?
自分の心からの声を誰にも届けられなかったら?
UNESCOによれば、現在、地球上で十八、たった一人しか話者がいない言葉が存在しています。それは言い換えれば78億もの人が暮らす地球で自分の言葉で誰とも話せない人が一八人いるということです。
ほとんどが南アメリカ。でも北アメリカにも住んでいる。
彼らがどんな気持ちで日々を暮らしているかは分かりません。ただ、自分の言葉を話していたであろう親兄弟もこの世を去り、自分の言葉で話していた友達や近所の人たちもいなくなり、同じ言葉の同胞もいない。
自分の言葉を他所で聞こえるのは言語学者が遺した母語話者の音声記録用の録音テや音声データだけかもしれません。
「この声はXX村のYYさんだね。彼女は病気になるまで元気だったねぇ」
もしかしたら夢の中だけかもしれません。会話する機会は夢枕にたった人とだけ。夢に出るのはお母さん?お父さん?
でも多言語話者だと思うので、自分の言葉を話せなくても多数派の言語を上手に使い、幸せに生きているのかもしれません。もう割り切るしかないですから。私たちが海外で暮らしたり、自分の母語とは違う人と結婚したりするのと案外似ているでしょう。
タウシロ語の最後の話者のアマデオ・ガルシア・ガルシアさんはこう締め括る。
俺の名前はアマデオ・ガルシア・ガルシア。タウシロ人だ。いつか俺がこの世を去るとき、世界よ俺を思い出してくれ
どんなふうに自分の言葉が絶対に通じない世界で生きているのか、何を思うのかは私も知らないけれど。
でも私は自分の母語で何も語れなくなくなるのはいやだなぁ。世界の中心で声を叫んでも、みんな雑音としか思ってくれないんだもん。
写真:D 12781694 © Dunca Daniel | Dreamstime.com