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#33. 遙かなるサーミ語

子供の頃に聞いた外国の言葉が強く印象に残っているのは私だけだろうか。昔はテレビCMでセルボ・クロアチア語の歌が流れており、大人になってから音源を探し出したことがある。それぐらい子供の頃に耳にした外国語が記憶に残ることがあったのだ。他にもいろいろな言語があって、英語やドイツ語、セルボ・クロアチア語に加えて、サーミ語もひょんなことから私が印象に残っている言語に含まれる。

サーミ語とは

サーミ語は北欧やロシアの北極圏に住むサーミと呼ばれる先住民の人々の言語だ。サーミ語はロシア語やノルウェー語、スウェーデン語の印欧語族とは異なり、フィンランド語と同じウラル語族という言語に属しており、この中で言うとフィンランド語以外とは言語系統的に関連性を持たない。

ところで、サーミ語と言っても一つの言語ではない。人によっては「サーミ諸語」という単語を使うように、北欧やロシアで様々な種類のサーミ語が使われている。しかしながら、話者の規模は大きくなく、言語によっては絶滅や衰退を続けている。例えば一九九六年に出版された吉田欣吾の『サーミ語の基礎』では十種類のサーミ語が話されていると紹介されていたが、現在ではそのうちの一つアッカラ・サーミの最後の話者マリア・セルギナさんが二〇一三年に亡くなり(1)、母語話者が絶えてしまった。他の小さなサーミ諸語もまたわずかな話者人口を残すのみになってしまっている。

ルレ・サーミ語を話すSimon Piera Paulsenさん。Linked Inによればノルウェー語のブークモールとルレ・サーミ語を同等のレベルで話すことができるらしい。二〇一五年の時点で六五〇人程度の話者がいるとルレ・サーミ語を研究するBruce Morén-DuolljáさんがForsking.noのインタビューで回答している(2)

北サーミ語の「てにをは」

一番大きな話者人口を抱えるのが話者人口一万五千〜三万程度の北サーミ語だ(2)。おそらく最も語学書や資料が豊富なサーミ語の一つで、日本語で出ているサーミ語の教科書は全て北サーミ語の教科書となる。

北サーミ語と日本語には共通点もある。それはウラル語の特徴としても挙げた「てにをは」の存在である。北サーミ語は日本語の格助詞や係助詞に相当する「〜は/が」「〜の」「〜へ、〜に」、「〜で」「〜と」「〜として」のような「てにをは」が基本6個あるのだ。ただし、その構造は幾分か日本語と異なっている。例えば北サーミ語では「〜の」の形は「日本語の「〜を」の形も兼ねるし、「〜で」は「〜から」という意味も兼ねている。北サーミ語の"sámegiella(サーミ語)"を「〜の」の形にすると"sámegiela"となり、さらに「〜で/から」の形にする場合、"sámegiela"をベースに"-s"をつけて"sámegielas"という形になる(3)。言語学な言葉を使うと「対格」と「属格」が同じ形となり、「奪格」と「処格」が同じ形になる。

このようにみると北サーミ語は膠着語性質が強く思われるが、子音が変化して「〜の/を」の形を表す点だけ見ると屈折的な特徴も持っているといえるのかもしれない。日本語も単語にパーツをくっつけて意味関係を表す膠着語という言語に分類されるが、個々のパーツ、すなわち「てにをは」だけでも見てみると確かに構造としては日本語と似てはいるが「てにをは」の種類や機能が日本語とやや異なっている。

Guohtun

『翻訳できないせかいのことば』には日本語の「積読」が取り上げられているが、サーミ語にもちょくちょく他の言語に簡単に翻訳できない単語がよくあるように思う。例えば『なくなりそうな世界のことば』にはサーミ語から「太陽の出ない季節(スカーマ)」が取り上げられていたが、他にも面白い単語がいっぱいある。例えば日本語で「トナカイ」と一単語でいうが、サーミ語の「トナカイ」には人に飼われているか、野生なのかで異なる単語を使わなければならないらしい。The Local.noの紹介によればBoazuが「人に飼われているトナカイ」でGoddiが「野生のトナカイ」を表す言葉であるとのこと。

このようにトナカイに関係する単語が豊富であることがサーミ語の特徴の一つである。トナカイに関する単語は多いので紹介は限るが、あともう一つだけ。上記で紹介したトナカイに関する単語以外にも、フィンランド出身のサーミ詩人Nils-Aslak Valkeapääの詩の中でもおもしろい単語が登場する。例えば"sietnjanjunni"は「鼻孔の周りにある毛が体毛の色から想定される色とは異なる色のトナカイ」のことであるとのこと(4)。また、Guohtunという言葉も紹介したい。Guohtunな環境は理想的な環境であるらしい。Guohtunは「雪よけの下でもトナカイが食べられる苔を見つけれる良い環境のこと(5)」だという。トナカイを飼ったことがないからわからないが、少なくとも日本に住む私が「ここはguohtunだな」と言うことはないだろう。

このように北サーミ語はトナカイとの生活を効率よく過ごせるよう、豊な語彙でトナカイの情報を効率よく伝達することに長けているのである。

イナリを旅して

十年近く前になるが、イナリに行ったことがある。イナリといっても京都の伏見稲荷でなく、ラップランドのイナリである。湖の近くに小さな町があり、その時はSiidaというサーミの博物館ができたばかりの時期ではなかったかと思う。一度でも生きたサーミ語が聞いてみたくて、思うがまま、フィンランドのロヴァニエミからバスに乗り、ソダンキュラでバスを乗り換えてさらに北極圏の奥深くまでへと入っていく。ソダンキュラでは私のようなリュックを抱えたアジア人が珍しかったようで、バス停でイナリ行きのバスを待っていると子供たちがじーっとみてくるので、手をパタパタ振ると、みんなニコニコして手を振り返してくれたことが印象的だった。

イナリ 凍った湖

バスの時間がタイトであり、イナリでゆっくりすることはあんまりできなかったが、限界森林の中、湖に佇む田舎町ではあるが、幼稚園にもフィンランド語の他に北サーミ語やイナリ・サーミ語で書かれた看板が貼られている。かなりの多言語環境であった。日本でも三言語で表記が書かれている場所はそんなにない。山手線の電車の中で日本語、英語、中国語、韓国語の四言語の案内や表記があるが、日本の田舎町では駅名の看板が日本語と英語なだけで、他は日本語だけが普通であることを考えると日本の感覚でイナリは十分に特殊な場所だといえる。

強烈な思い出だったのはソダンキュラからイナリへいく途中のこと。途中でおじいさんが乗り込んできたのだが、おもむろに一番後ろの席へどっかりと座り、携帯電話をさっと取り出してこう言った。
「プーレス!」
「うそ、サーミ語じゃないか!」私の心は踊った。まさかイナリに行く前にサーミ語が聞けるとは思っていなかった。そして、当たり前のことだがサーミ人がバスに乗って移動していると言うことも面白い。もちろん現代のサーミ人がトナカイにソリを引かせて暮らす伝統的な生活していないことは理解はしているが、それでもやはり面白いのである。十分くらいだったか。おじいさんはバスから降りてしまった。生きたサーミ語に会ったことは今まででこれだけである。イナリでは町中を巡るだけで精一杯で、道端でも町人には合わなかった。Siidaで博物館員の人と話をして、湖の周りに沿って散歩し、ロヴァニエミ行きのバスに乗るという短い旅であった。

改めて記録を確認すると二〇一三年の旅であったらしい。イナリはコロナのパンデミックが終わったら、もう一度ちゃんと言ってみたい場所の一つである。それまで私のサーミ語経験と思い出はもう少し暖めておきたいものである。ラップランドに行くまではまだ時間がかかりそうだ。遥かなるサーミ語よ、白樺と湖とオーロラの下で私をまだ待っていてほしい。


参考文献

吉田欣吾『サーミ語の基礎』大学書林(1996)

脚注

(1)https://canov.jergym.cz/vyhledav/variant9/akk.htm

(2) https://forskning.no/nord-universitet-partner-sprak/fant-hemmelighetene-i-lulesamenes-sprak/453480

(3)https://sv.wiktionary.org/wiki/giella

(4)https://www.laits.utexas.edu/sami/diehtu/siida/reindeer/glossary.htm

(5)https://www.thelocal.no/20210702/ten-beautiful-sami-words-that-you-might-not-have-heard-before/

(6)イナリの写真 Photo 28679634 © Jorge Duarte Estevao | Dreamstime.com

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