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耳が不自由なひとのマスクのはなし

自分ののしあわせ・ふしあわせはそれが形作られた環境の中でしか存在しません。

だから、私たちがいかに自分の生活をふしあわせと感じていても、例えば両手がないひと、目がみえず、常に誰かの助けを借りなければ生きていけない人から見れば、私たちが「流行りのゲームを買えないのでしあわせじゃない」「流行りの服が買えないから不幸だ」という「しあわせ・ふしあわせ」は、非常に取るに足らないことにしかならないかもしれません。

私も色々な言葉を見聞きして楽しんめているのは音声言語に依存した生活が「あたりまえ」だからなんですよね。そんな「『あたりまえ』を見直さなければならないな」と思ってニュースがありましたので、是非紹介させてください。

次のような記事が"Front Now"にありました。

聴覚障害がある人向けのマスクを考案したひとのお話です。

聴覚障害者や難聴者たちの多くは、普段、手話にくわえて、相手の口や唇の動きを読み取る「読唇術」と呼ばれる手段や、相手の表情の変化を読み取ることによって話の内容を理解している。しかし、マスクをした状態では相手の口元が見えず、手話を使えない人とのコミュニケーションには、これまで以上に困難が生じている。

そのような状況を解決するために、考案されたマスク。これは私たちが普段、「あたりまえ」としか思っていない、音声言語をベースとしたコミュニケーションが通じない人たちへの大きな助けになるのでは。視覚言語をベースとして生活する人たちの「あたりまえ」を支えられる、素晴らしい発明だと思います。

このような言葉による支え合いを助けられる発明は賞賛されるべきでしょう。


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