
2020年度 東京学芸大学 学校推薦型選抜 E類教育支援専攻 カウンセリングコース 小論文 模範解答
人がさみしい気持ちになるのは、他者との関わりが望まないかたちで途切れたり、満たされなかったりするときである。一般にさみしさとは、人間関係についての喪失感や満たされない想いから広がっていく、物悲しさや切なさを伴う心の状態であると定義できる。ここで重要なのは、一人や孤独であってもさみしさを感じるとは限らないということである。なぜなら、私たちは一人であることの気楽さや自由を満喫することもあるからである。むしろ、上で述べたように、喪失感や満たされなさという要素がさみしさにとっては本質的である。いいかえれば、大切な友人を失ったり、恋人が欲しいとか家族を持ちたいという欲求があるのにそれが満たされなかったりするときにこそ、私たちはさみしさを感じるのである。
このように、私たちは一人でいるからさみしい気持ちになるのではない。かりにイベントやパーティーなどで周囲に人がたくさんいたとしても、その人たちと打ち解けて会話ができず、精神的な距離を感じる場合には、対人関係における満たされない気持ち、すなわちさみしさが生じるだろう。
それでは、さみしい気持ちでいる人を前にしたとき、私たちはどんな気持ちになるだろうか。これは、さみしさを感じている人が、その気持ちをネガティブに捉えているかポジティブに捉えているかによって異なると考える。
まず、その人がさみしさをネガティブに捉えている場合を考えてみよう。この場合、その人は満たされなさや喪失感にとらわれ、自分の内に閉じこもっている。実際私たちは、失恋や離別を経験したり、新しい環境で友人が作れない状態が続いたりすれば、胸に穴の開いたような気持ちに苛まれるだろう。このような人を前にすると、私たちはその気持ちに同情し、その人を慰めたいと思い、立ち直るきっかけを見つけてほしいという思いやりが生じる。
これとは対照的なのが、さみしい気持ちをポジティブに捉えている人を前にしたときである。この場合、その人はさみしさにただ浸って落ち込むのではなく、そうした状況を積極的に受け入れ、あえて一人を選ぶことで物事に集中し、一人の時間を充実させる態度をとっている。失恋の場合であれば、喪失感と向き合い、自分のあり方や生き方を見つめなおすということである。こうした人を見ると、私たちはその精神的な強さに感銘を受け、その態度を称賛するだろう。
このように、私たちは社会的な満たされなさがあるときにさみしい気持ちになる。だが、この感情に対する向き合い方は一つではない。ある人がどのような態度でさみしさを享受しているかに応じて、その人を前にしたときの私たちの気持ちや行動も変化するのである。(1095字)