2019年度 早稲田大学 スポーツ科学部 一般入試 小論文 模範解答

 子どものころに遊んだ「かくれんぼう」を大人になると遊ばなくなる理由について、以下のように考える。「かくれんぼう」が、子どもたちが社会に参加する際に必要となる社会性を滋養する性質を内包するため、大人になり社会に属し社会性を身に付けた後には、大人には「かくれんぼう」を遊ぶ必要性やおもしろみがなくなるからだと考える。
 「かくれんぼう」において、他者とは異なる存在として仲間たちから姿を隠されるオニは、社会から離脱してしまった存在となることを象徴している。また、オニから隠れる者も隠れることによっていったんは日常的な社会から離脱することを意味する。しかし、オニが隠れる者を見つけることによって仲間との共同体に復帰すると同時に、隠れていた者もオニに発見されることによって日常的な社会に復活することを象徴している。したがって、「かくれんぼう」は社会からの離脱と復帰を象徴する遊びだといえる。また、社会との関係性を疑似的に体験することができる遊戯であるといえる。
 一般に大人になると生活のために労働する必要が生じ、企業や組織に所属することになる。つまり、企業に就職することは社会や集団に参画することになり、反対に離職することは社会や集団から外れることを意味する。したがって、「かくれんぼう」のルールや役割はこうした現実的な社会参画や離脱を象徴し、「かくれんぼう」という遊戯に興じることは、疑似的にこの社会参画や離脱を体験することになるといえる。
 それゆえ、社会との関係のあり方を子どもたちが「かくれんぼう」という遊戯をとおして学んだり、体験することは子どもたちにとって有意義なものであり、かつおもしろさがあるといえる。というのも、子どもたちは大人とは異なり、まだ社会に属して活動する存在ではなく、社会との関係のあり方を体験していないからだ。したがって、「かくれんぼう」という象徴的な遊戯のなかで社会との関係のあり方としての社会性を学ぶことができるといえる。一方で、すでに社会に参加したり、時には組織や集団から離脱するという意味において社会性を身に付ける経験をしている大人は、「かくれんぼう」という遊戯によって象徴される体験から学ぶ必要性を失っている。それゆえ、大人になると「かくれんぼう」を遊ばなくなるといえる。 (947字)

 

 

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