2019 早稲田大学 スポーツ科学部 自己推薦入試 小論文 模範解答
昨今、アスリートや元アスリートによる不祥事、犯罪がニュースなどで報道される機会が増えてきている。というのも、違法薬物の使用や賭博、わいせつ行為などの犯罪行為によって逮捕されるアスリートが出てきているからだ。
課題文は、そうしたアスリートのあり方を否定し、アスリートが社会における模範となるべきことが主張され、アスリートが要求される倫理や道徳について高い意識を持つべきことが述べられている。他方で、不祥事や犯罪行為など法律を犯したアスリートには言い訳は通用せず、一般の人とは異なり応分以上の制裁を受けることが述べられている。したがって、課題文においてはアスリートとそうでない者の間には、持つべき倫理観や罪への応報において差異があり、公平性が存在しないことが示唆されている。それでは、アスリートとそうでない者の間の「公平性」について、どのように考えるべきだろうか。
現代のマスメディアの影響もあり、アスリートは輝かしい成果を出すことによって、その成果のみならず、人となりや言動、行動についても社会において多くの人々から注目されるようになる構造がある。たとえば、優秀な成績を持つ選手であれば国家の代表チームに選抜され、国の名前を背負って競技に参加することになり、国を代表する者としての責任が自然と求められるようになる。それゆえ、アスリートの振る舞いが社会に与える影響は大きく、成果にふさわしい高い道徳観や倫理意識を持ったあり方が求められるべきであると考える。したがって、社会への影響という点において、アスリートとそうでない者の間では求められるあり方について公平性を欠かざるを得ないと言える。
しかしながら、アスリートが高い倫理意識や国民の模範となるべきあり方を求められること自体には、アスリート側に必然的な理由は存在しない。というのも、アスリート自身が彼ら自身のままであろうとすることは当然の権利であるからだ。また、アスリートが高い倫理意識や国民の模範となるべきあり方を求められることは、あくまでアスリートではない者たちからの期待や要請に過ぎない。したがって、こうした期待や要請をアスリートに向けるならば、アスリートたちに対しては、社会人としてふさわしいあり方について指導や教育を十分に行ったり、社会規範や社会における常識について学ぶ機会を必ず設けることが必要だと考える。(980字)