2019 埼玉大学 教養学部 後期日程 小論文 模範解答

 課題文は、野宿者やフリーターの増加を、日本のセーフティーネットの機能不全や貧困化の進行といった異常事態を示唆するものであるとする一方で、日本社会がこの事態を社会問題として受け止めず、自己責任論によって等閑に付したと指摘している。 
 一般に自己責任論とは、自分の行動の結果として危機や困難に陥ったのならば、その結果に対しては自分で責任を負うべきであり、他人に助けを求めるべきではないという論理を基調とする考え方である。社会がこうした考え方に依拠して、社会から孤立する人々を無視し、放置した結果、社会に貧困が蔓延するようになったという筆者の考え方に対して同意する。なぜなら、自己責任論の論理によって、社会からの人々の分断化、孤立化が容認されてきたと考えるからだ。
 それでは、こうした自己責任論に対して、日本社会は今後どうあるべきだろうか。日本の社会福祉政策は、個人の抱える問題の原因や責任を問わない。たとえば、国民皆保険制度や高額医療費制度など、日本の医療制度の基本は、「原因や責任を問わず、困窮者を救済する」という「社会的寛容」の精神から出発している。これに対し、自己責任論は、日本の社会福祉政策にある社会的寛容の精神とは反対にある概念だと考える。なぜなら、「野宿者やフリーターになることや、その結果不利益が生じたことはあなたの責任だから、自分でなんとかするべきである。」という考え方が、「原因や責任を問わず救済する」という考え方と正反対に位置するものだからだ。
 野宿者やフリーターを増加させ、貧困を蔓延させてきた自己責任論の基礎にあるのは、「自分たちは困窮者とは別枠の安全圏にいる」という意識や、「当事者意識の欠如」であると考える。したがって、自己責任論に陥ることなく社会の問題に向き合うためには、社会福祉制度を拡充するのみならず、様々な政策や施策の前提として、社会が今一度、他者に対する「寛容の精神」を滋養する必要があると考える。そのためには、人々が他者に対する想像力を持つことが重要だと考える。なぜなら、他人のあり方を許し、認めるためには他者のあり方を想像し、思いやらねばならないからだ。さらに、想像力を発揮するには、他者への「応答可能性」を認める必要があると考える。つまり、たとえ相手のあり方や考え方を理解したり、わかり合うことができなくとも、相手の存在を受け入れ、私が相手とともにいて、相手に応答できるという「応答可能性」は否定できない。したがって、この応答可能性にこそ多様な他者を受け入れ、他者への想像を促す「寛容の精神」の根幹があると考える。こうした応答可能性にもとづいた多様な他者に対する「寛容の精神」を持つことによって、はじめて、自己責任論に依拠した社会問題の放置を回避し、弱者に対する救済システムが適切に機能する社会を構築していけると考える。(1176字)

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