2018 京都府立大学 公共政策学部 推薦入試 小論文 模範解答

オープンチャット「大学入試 小論文 対策相談室」



問一
既存の現代社会科学では、政策問題に対応できない問題について (29字)


問二
ある政策問題の解決が他の問題を悪化させる相反性の例として、障がい者支援対策と都市環境整備が挙げられる。たとえば、視覚障がい者の支援政策として、黄色の点字ブロックなど街において目立つ色のバリアフリーアイテムの敷設増強を行う。しかし、神社・仏閣などの落ち着いた色合いの風景の中に、派手な色のバリアフリーアイテムがあることによって、景観に関する違和感や心理的なバリアが生じ、都市景観における問題となる。とはいえ、周辺環境に違和感のない同系列のバリアフリーアイテムを敷設した場合、視認性が低下し、今度は弱視者の歩行などに困難をきたす。したがって、障がい者支援対策と都市環境整備は、相反する場合があると言える。
(300字)


図からは、「老後を安心して生活できるような収入の保障」72.3%の割合が最も高く、次いで、「介護サービスが必要な時に利用できる体制の整備」61.2%、「高齢者の各種相談について身近に対応してくれる相談体制の整備」25.7%、などの順となっている。前回調査と比較すると、「老後を安心して生活できるような収入の保障」は17.0ポイント、「介護サービスが必要な時に利用できる体制の整備」は 18.0ポイント、「高齢者の各種相談について身近に対応してくれる相談体制の整備」は 5.5ポイント上昇している。
 上記のようなポイントの上昇からは、高齢者が将来にわたって安心して生活を送ることやそのために必要な体制の整備を望んでいることが明らかである。特に収入の保障を望む声は最も多くかつ増加しているため、高齢者への年金制度の拡充や持続的な給付が求められると考える。さらに介護サービス利用の要望も多いため、必要な介護サービスの確保を図るとともに介護保険制度のさらなる充実が望まれると考えられる。他方で、少子化の影響から社会保障費財源が縮減することが予想される。したがって、社会保障の負担と給付のバランスを考えつつ、より満足度の高い、効果的な給付のあり方を模索する必要があると言える。また、介護職員数の増加や仕事と介護の両立を図るための公的制度の拡大なども必要だと考える。(574字)



問一
「命の授業」を行う意義があると言える根拠は、子供たちが「命の喪失」を具体的に体験することによって、逆説的に「命の尊厳」を実感することができるからだ。なぜなら、子供たちがすでにして多くの鶏を食していながら、その屠殺場面に一度も立ち会ったことがないというのは、不自然かつ異常であり、何を食べて自分の身体ができているのか本質的に知らないことは、粗雑な生命観につながっていると言えるからだ。つまり、子供たちが現実の「死」から隔離されており、食べ物が生き物であったことを「知ってはいる」けれども、「感じたことがない」からである。それゆえ、「命の授業」をとおして、実際に生き物を時間をかけて育て、育てた生き物を自分の力で殺し、食べるという具体的な体験をすることによって子供たちは「死」に臨み、かつ自分が何を食べているのかを自覚することによって、命の尊厳を感得することが肝要であると言える。
(388字)

問二
子供たちに対して、生き物を殺させる残酷な行為を直接的に行わせるのは不適当であり、それゆえ「命の授業」を行う意義はないという反対意見が考えらえる。というのも、ペットとして動物を飼っている子供たちがいることも考えられ、これらの子供たちに対する心理的な負担があることを否定できない要素がこの授業にはあるからだ。また、「命」とともに「死」そのものに直面することが強いられることは、子供の発達段階によって「命の授業」の意図する事柄を適切に受け止められる子供もいれば、受け止められない子供もいると考える。したがって、多様な発達段階にあることが考えられる子供に対して、一律に授業を展開することに問題がある点で、「命の授業」を行う意義はないと言える。
生き物を殺すことは残酷な側面があるのは事実である。しかし、子供たちが現実の「死」から隔離されていることも事実であり、自分が何を食べているのか本質的に知らないことは不自然であると言える。したがって、実際に生き物を殺すという行為によってのみ、知ることができる「知」があると考える。また、子供たちの発達段階の差異に対しても、「死」が日常生活から追い出されている現在であるからこそ、教育関係者や親は、子供の「死」に関する発達段階の概略を理解しておくことによって、反論で挙げられている問題は回避できると考える。以上より、「命の授業」を行う意義はあると考える。(591字)


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