見出し画像

「マリオガン~THE END OF VIOLENCE~」第1部・4章「ミカリ」

 星の話は祖父から聞いた。ミカリが八才のときだった。神道の宮司から企業家に転身した異色の人物だった。一代であまねグループの基礎を築いて盤石にした。ミカリをドライブに連れ出してリムジンの中で祖父は語った。

「人間は、地上に星の力を下ろして循環させるための〝くだ〟なのだ。でも、生まれてすぐにそれを忘れて、哺乳動物へと堕ちてしまう。お前は違う、体も、心も、魂も、天の星とつながってる。だから、他の人たちをお前につなげて、人間に引き上げやりなさい」

 父親からも母親からもそんな話は聞いたことがなかった。「どうすれば、そんなことができるの?」「お腹の中に入れてやるんだ」驚いてミカリはさらに訊いた。「食べろってこと?人を?みんなを?」愉快そうに祖父が笑った。

 レストランに入ってステーキを食べた。「人の中身が牛や馬や羊と同じだったら、肉を食べるのは共喰いだね」小さな舌でナイフについたソースを舐めつつミカリが言った。「ああ」と祖父が頷いた。「星の力を下ろせる者以外は、自分で殺せない生き物を食べては駄目だ」え、おかしい。そうなってない。「みんな普通に食べてるよ。誰が牛を殺しているの?」店内を見渡してミカリが言った。

 次の週末、祖父はミカリを郊外の屠畜場へ連れて行った。ガラスの向こうを牛の体がフックに吊るされ流れていった。首を裂かれ、足の先を落とされ、全身の皮を剥がれていた。大勢の職人たちがそれを解体していった。頭を落とし、脊髄を引き抜き、内蔵をすべて取り出した。残った部分を縦に割った。ミカリには車の解体作業にしか見えなかった。

 どうしても知りたくて祖父に頼んだ。「殺すところを見てみたい」祖父は頷き、職員を呼んだ。ダーティゾーンへ案内された。柵に入った牛の額を銃のようなもので職人が撃った。ばん、と炸裂音が響いた瞬間、ミカリの意識は体から飛び出し、撃たれた牛の中に入った。気絶してその場にバタリと倒れ、刃物で喉を深く裂かれた。溢れ出した自分の暖かい血が、床の上に広がっていくのを見た。

 気がつくと天井に貼りついていた。眼下に牛と職人と祖父と自分自身の姿があった。やがて屠殺室いっぱいに体が膨らみ、壁を突き抜け、屠畜場全体に広がった。自分の中に建物があり、牛たちがいて、みんながいた。〝お腹に入れる〟の意味が分かった。

 リムジンのシートで目を醒ました。四時間近く失神していた。夕暮れの首都高速を走っていた。明かりの灯った高層ビルの林が飴細工みたいに見えた。「わかったか?」と祖父に訊かれて「わかった」ときっぱり答えた。

「役割分担しているんだね、生き物を殺すことが影になってる」「そうだ」「分担がすごく細かくなってて、みんなが殺しを忘れるようにできてる」「そうだ」「だから食べられないものが食べられるんだね。明るい場所ほど本当は影が深い」「そのとおりだ」祖父が頷き、満足そうに笑った。

 ウィンドウガラスを下ろしてミカリは大きく深呼吸した。冷たい空気が心地よかった。南の空に青い星があった。その輝きが胸に迫った。自分とつながっているのはあの星だ、と直感で分かってミカリは震えた。スマホを出して星図を調べた。星の名前はシリウスだった。

 その夜、森の夢を見た。猟銃を使って狩りをしていた。鹿を狙って撃ち殺した。ナイフで腹を裂いて臓物を抜いた。地面に溢れた大量の血が赤い絵の具になっていった。ナイフはペインティングナイフになった。キャンバスに向かって絵を描いていた。絵の中で鹿が蘇って跳ねた。

 目覚めると初潮を迎えていた。早すぎると両親が驚いた。婦人科の病院へ連れて行かれて徹底的に検査を受けた。異常は何も見つからなかった。「絵を習いたい、今すぐ描きたい」と帰りの車で両親にせがんだ。アトリエと道具と家庭教師が一時間で用意された。

 のめり込むようにデッサンの練習をした。色の配列と効果を学んだ。いろんな絵の具と画材を試した。油彩がミカリの性に合った。血で描くような感触があった。ひと月後に初めての作品を仕上げた。家庭教師に褒められた。半年後に絵画コンクールの小学生部門で入選した。次の年には特賞を獲った。美大附属中学への進学を審査員に勧められた。

 「行きません」とミカリは答えた。教師たちにあれこれ言われたくなかった。好きなものを好きなように描きたかった。資産家の子供たちが通う私立中学へ入学した。学校でだけ勉強して家ではひたすら絵を描いた。いつまでもいくらでも描き続けることができた。

 中二の冬に祖父が倒れた。心臓の重篤な疾患だった。祖父は延命を断った。自己資産の半分をミカリに遺すと遺言した。病室に集まった一族がざわめいた。「影を無くすために使いなさい」それが祖父の最後の言葉だった。葬儀はテレビで報道された。相続人とテロップされてミカリも映った。

 次の日からクラスメートや教師たちの態度が変わった。遠縁の親族やグループ傘下の経営者の男たちが近づいてきた。呼ばれるままにミカリは出かけ、請われるままに人と会った。星と〝管〟でつながった人間が他にもいるのか知りたかった。一人も見つけられなかった。哺乳動物ばかりだった。

 ミカリは彼らを〝お腹〟に入れてみた。すでに全員が〝明るい場所で食べられる肉〟になっていた。生きながら少しずつ遠くの誰かの〝食糧〟にされていた。星につなげて人間に引き上げてやらなければ、とミカリは思った。そのためには自分が太くて大きな星の〝管〟になる必要があった。

 中三の時に二人の男と出会った。両方とも二十代の後半だった。

 一人は湾岸地区でクラブを経営している男だった。パーティで知り合った男たちに連れて行かれて紹介された。中国籍の若い男で黒曜石のような瞳をしていた。全身から暴力的な雰囲気を発散していた。それでいてとても華やかでチャーミングなところがあった。男を見ていると屠殺場での体験が脳裏に蘇った。人を殺したことがあるんだろうな、と直感した。

 もう一人は警視庁の官僚だった。父親がセッティングした会食の席で引き合わされた。日本人形のような顔立ちをしていた。両目がガラス玉のようだった。完璧に内面を隠していた。恐ろしく頭が切れるのは分かった。階級がもっと上がったら婚約の話を振られると分かった。二人とも動物に見えなかった。誘われれば必ずミカリは会った。

 官僚の男とはレストランで食事しながら会話した。何度会ってもそれだけだった。ミカリは別に構わなかった。冷たくて滑らかな男の知性に触れることが面白かった。洗練されたAIと会話をしているみたいだった。

 クラブ経営者の男とは最初の夜に最後まで行った。会えば必ず交わった。性に関するすべてのことをこの男でミカリは経験した。知ったばかりの瑞々しい衝動に身を任せるのは楽しかった。

 けれど恋はしなかった。どちらも〝星の男〟ではなかった。違うと気づいて、祖父が自分を溺愛していた理由が分かった。同じ人間と出会う確率はほとんどゼロに近いと知った。

 それからは二人に誘われても口実を作って会わなくなった。そして一心不乱に絵を描き始めた。祖父のように人の輪を広げるのではなく、たくさんの作品を生み出すことで、星の力を人につなげる〝管〟の役割を果たそうとした。

 勉強する時間すら惜しかった。高等部へ上がると授業に出るだけで成績を保つのが難しくなった。ランク下の普通校へ転入し、マンションを借りて一人暮らしを始めた。

 学校の美術室をアトリエに使いたいと父親に頼んだ。周グループ名義で高額の寄付金が学校の理事会に支払われた。美術部に入部し、顧問の指名で副部長にしてもらい、部室の合鍵を特別に持つことを許された。一年で十五枚の作品を仕上げて年末のコンクールで入選した。

 高二の春に新入生の少年が美術部に入部してきた。いつもミカリを見つめていた。画家の草薙日南ひなの息子だと知った。彼女の絵は好きだった。息子は動物にしか見えなかった。

 二ヶ月ほどして告白してきた。人には見えない、と断った。どんな男が好きかと訊かれて〝星の男〟だと答えてやった。「自分で自分を内側から燃やして、たった一人で輝ける人」それを聞いて少年が涙を流した。子犬みたいで哀れだった。唇で頬を拭ってやった。呆けたように出ていった。やりすぎたかな、と思ったけれど絵に没頭してすぐ忘れた。

 翌朝、不思議な夢を見た。金髪碧眼で褐色の肌をした男が、黒い馬に跨がって紅い荒野を駆けていた。蒼い空とのコントラストがゾクゾクするほど鮮やかだった。一緒に馬に乗ったような気がした。男の金髪と馬の鬣たてがみが風に靡なびいて揺れていた。なぜそんな夢を見たのか分からなかった。

 週明けに少年が部活に出てきた。別人のように豹変していた。動物にはもう見えなかった。雰囲気だけでなく体つきまで変わっていた。半透明の炎のような金色のオーラを身に纏っていた。クラブの経営者や警視庁の官僚よりも特別に見えた。

 思わず近寄って話しかけた。何が起きたのか知りたかった。少年が逃げるように部室を出た。追いかけて呼び止め部屋に誘った。服を脱がせて確かめた。触ると肌の色が紅くなった。全身の皮膚が紅に染まって右手から血の塊が溢れ出た。固まって紅い拳銃になった。

 銃口がこっちを向いていた。少年が拳銃を天井へ向けた。撃鉄が落ちた。不発だった。なのに少年は必死で拳銃を押さえた。見えない何かが銃口から吹き出しているようだった。拳銃が血の塊に戻り、少年の掌に吸われて消えた。

 目をみはったまま動けなかった。見たことが理解できなかった。自分の身に起きたことを少年が説明してくれた。テロリストから渡された紅い拳銃、その夜に現れたアウトローの幽霊、金色の炎、夢の中での合体、現実での変貌、視野の中に現れた星と幽霊───信じがたい話にも関わらず異様なリアリティに満ちていた。百数十年前に殺された男と、黒い馬で駆けていた夢の男が重なった。

 恐怖はまったく感じなかった。興奮して胸が苦しくなった。絵のイメージが溢れ出して熱量を持った。少年をモデルにして描くことにした。放課後マンションに来てもらって門限ギリギリまでデッサンした。血で描く感覚が高まった。早く絵の具を使いたくてたまらなかった。

 リムジンで一緒に帰るところを他の生徒たちに目撃されて、二人の関係が噂になった。顧問の教師に呼び出されて何をしてるか問い詰められた。父親に電話させて黙らせた。自宅制作の許可も取りつけた。

 デッサンされてる最中にビジョンが見えると少年が言った。面白いイメージばかりだった。すべてを下絵に描き加えた。一枚の構図に入り切らず溢れ出して二枚の絵なった。両方同時に描くことに決めた。少年のヌードが必要だった。頼むと快諾してくれた。全裸になった彼に触れてポーズをつけると勃起してしまった。知らんぷりをした。可愛いと思った。

 アウトローの男が求め続けた女のイメージが掴めなかった。少年を通して男の魂に訊くと、ミカリそのものだという返事がきた。「ブランカ以上にブランカだそうです」何故かすとんと腑に落ちた。鏡に写して自分を描いた。裸になってデッサンした。少年に見られても構わなかった。一人になるのを待てなかった。

 百五十号の二枚の絵がモデルの要らないところまで進んだ。少年を呼んでヌードを描くのは明日で終わりにしようと思った。その夜、夢に女が現れた。

 長い黒髪と鳶色の瞳ですらりとしなやかな手足をしていた。確かに自分に似ていると思った。魂のあり方がそっくりだった。女がこちらに背中を向けた。背骨に沿って裂け目が開いた。中は空っぽになっていた。着包みを着るようにそこに入った。

 目覚めても夢の恐ろしくリアルな印象が消えなかった。一人で二人の心と体を生きる感覚が丸一日続いた。放課後に少年の裸を描いた。胸が苦しく切なくなって、まったりと腰が重くなった。それが性欲であることにミカリは気づいた。クラブの経営者と交わった時に感じたのとはまるで別物だった。もっとずっと切実で純度の高い欲望だった。

 それで夢とは逆に自分の中に女が〝入っている〟ことに気づいた。怖いとも嫌だとも思わなかった。少年に触りたくてたまらなかった。集中できずにナイフを置いた。女の存在が膨らんでミカリの体を内側から満たした。

 少年の雰囲気も同時に変わった。アウトローの男の魂が内側から彼を満たしていた。頭の芯が痺れて溶けた。気がつくと少年のすぐ傍にいて彼の昂ぶりに触れていた。握っただけで射精した。温かかった。脈打っていた。愛しいと思った。放したくなかった。

 少年の右手から血が溢れ出し、固まって紅い拳銃になった。カキリ、と音を立てて撃鉄が上がった。ためらわずに銃身を握った。暴発しそうな感じが収まり、上がった撃鉄が静かに降りた。少年を抱きよせ頬を合わせた。彼の鼓動が乳房に伝わった。

「ルカ」と耳元で囁いた。自分の声に聞こえなかった。二人の心と体を通して女とアウトローが交わろうとしている───そう感じ、それを赦しながら、ミカリの方から唇を求めた。

 我に返ると裸でベッドにいた。隣りで少年が眠っていた。シリウスだと分かる青い星と、輝きの強い金色の星が、ダンスをするように回り合うヴィジョンが、何度も何度も交わった記憶と重なって脳裏で瞬いていた。これまでの性的な体験とは次元の異なる出来事だった。

 少年の横顔をまじまじと見つめた。権力も財力も頭脳も野性味もカリスマも持たない男の子。なのにすごく大きく感じる。少年が目覚めた。目が合った。「あなたは〝星の男〟なの?」子供のように訊いていた。うっとりと見つめ返してから震える声で少年が答えた。「・・・わからない。でも、そうなりたい。先輩と並んで輝きたい」

 生まれた時に失くしてしまった半身が答えたように感じた。「マリオ」と名前を呼んでみた。少年がはにかみ嬉しそうに笑った。その笑顔にミカリはときめきを感じた。生まれて初めて恋をしようとしていた。


<続く>

いいなと思ったら応援しよう!

木葉功一
長編小説は完結するまで、詩は100本書けるまで、無料公開しています。途中でサポートをもらえると嬉しくて筆が進みます☆