マリオガン~THE END OF VIOLENCE~第1部・16章「リビルダーズ(魂の再構築者たち)」
〝紅い拳銃ホルダー〟の候補者が国刀と馬からそれぞれ出揃う。最初なのでテストを兼ねて列島の住人に限定される。国刀は政治家と高級官僚と大学教授と検察官と医者を、馬はミュージシャンと俳優と動画配信者と格闘家とヤクザの若頭を選ぶ。全員がそれぞれの世界において突出した成功者であり、〝魂の再構築〟後に社会に与える影響力の強さが見込まれている。
虎にハッキングして調べてもらった十人の直近の行動パターンを見ながら、どうやってアプローチするのがいいか、国刀と馬が話し合う。そして、個別に誘いをかけるやり方は失敗の確率が高すぎること、先に全員を紅い拳銃で狙撃して一方的に〝再構築〟をかけた後で、それそれに接触を持つ方が現実的だという結論になる。
ビデオ通話のミーティングでそれを聞かされて虎が言う。「いいと思うぜ。魂を焼くとか、血の弾丸で撃つとか、ゴチャゴチャ口で説明してたら、カルトの生贄にされると思われて、逃げられるか警察呼ばれちまうしな」「確かにそうかも。怪しすぎる」と真面目にマリオがリアクションし、国刀と馬が吹き出して笑う。
ミッションは二月の初日から始まる。ダミーの映像をマンションの監視カメラに流しっぱなしにして、『飛頭蛮』のVIPルームに三日間マリオは泊まり込み、高級官僚と検察官とヤクザの若頭以外の七人のホルダー候補者たちを、かつてウリエル・ゴアがやったように、テレビやスマホやパソコンのモニター越しに撃っていく。
政治家はテレビの国会中継で答弁している最中を、大学教授と動画配信者は生配信中を、医者と俳優は報道番組やワイドショーに生出演している時を、ミュージシャンはコンサートのライブ配信を、格闘家は試合の中継番組(勝敗を決した後のインタビューシーン)を、マリオが紅い拳銃でモニター越しに狙い撃ち、金色の炎でそれぞれの魂を焼いて〝再構築〟する。高級官僚と検察官は帰宅したところをマンションの駐車場で、ヤクザの若頭は『飛頭蛮』のダンスフロアで踊っているところを狙撃する。
〝再構築〟の影響は即座に全員に現れる。
政府与党の幹事長で、大企業の連合体や超富裕層向けの政策ばかりを推し進めてきた政治家は、狙撃された翌日の国会答弁で、「貧困化が進んでいる庶民の状況を、もうこれ以上することは放置できない!党利党略を優先していられる段階はとっくに超えてる!与野党の壁を取り払い、国民の生活を豊かにし、社会の荒みを払拭できる、実質的な政策を早急に打ち出し、実行していかねばならないと、今、私は考えている!」と、これまでと真逆の発言をペーパーなしで唐突にしたことで、与野党両方の議員たちに大混乱を巻き起こす。
差別的でニヒリスティックな言動ばかりすることで、一部の層から人気を得ている首都大学の社会学者は、狙撃された二日後に配信した動画の中で、「優生思想を極限まで推し進めると、到達点で人権思想に裏返ってしまうことが判った。レイシズムの最終形態は、基本的人権をあまねく世界に行き渡らせることであり、人類は差別という旧知の感情を、徹底的に味わい尽くした上で、過去の遺物と化さねばならない」と突き抜けた理論を口にして、視聴者たちの度肝を抜く。
人気アイドルグループ出身で、海外の映画賞をいくつも獲った、列島を代表する男性俳優は、狙撃の四日後、性犯罪事件の裁判を描いた主演映画の舞台挨拶で、「実は私も、子役時代、事務所の社長から性虐待を受けたサバイバーで、ヒロインとよく似たトラウマを抱えながら、芸能界のお仕事を続けてきました。ですので、性被害者のために戦う弁護士、という今回の役どころには、かつての自分を救うような気持ちで打ち込むことができました」と、衝撃のカミングアウトを交えたコメントをさらりと口にし、取材陣を驚愕させて、ファンたちに悲鳴を上げさせる。
七千万人のチャンネル登録者数を世界に誇る、大人気の男性動画配信者は、幼児や低年齢層をターゲットの中心に据えることで、人種・国籍・老若男女を問わずに楽しませてきた動画配信のスタイルを、今後は大きく変えることを、狙撃の三日後に配信した動画の中で宣言する。「自然破壊や環境汚染、動物虐待やDVといったネガティブなテーマについて、小さなお子さんの心を傷つけることなく、直観的に理解できるよう表現した動画を増やしていきます。そうしたい、しなければならないという気持ちが、僕の中で抑えられなくなったから」
列島内だけでなく、半島や大陸にも、数百万人のファンを持っている若い女性のミュージシャンは、狙撃の五日後に行われたライブコンサートのステージ上で、今のバンドを解散して、所属事務所を脱退し、ソロになって再デビューすることを発表する。「バンドのイメージを壊すから歌っちゃいけない、って事務所に言われた、未発表の曲が五十曲もあるの。どうしてもそれを歌いたくてたまらなくなったんだよね。わたしの影の部分、闇の部分、無いことにしてきた半分の自分と、合体したくてたまらない───でないと、生きてる感じがしないから!」
国内最年少でヘビー級のプロボクサーとなり、列島を出て北の大陸に渡って、二人のチャンピオンにタイトルマッチを挑み、両方とドローで引き分けてから、MMAに進出し、〝極東の疾風(ザ・ゲイル・オブ・ザ・ファー・イースト)〟の異名で呼ばれ、ヘビー級の次期チャンピオンと期待されている若き男性格闘家は、タイトル・コンテンダーマッチに白星をつけた翌日、緊急の記者会見を開き、無期限の活動停止に入ることを、全世界のファンに向けて呆然しながら発信する。「格闘に対するモチベーションが、突然消えて、無くなってしまった・・・誰かを組み伏せ、殴り倒すことに、情熱や、意味や、喜びを、感じられなくなってしまったんだ・・・」
首都の地方検察庁のトップである中年の男性検事正は、狙撃されて三日後に、司法記者クラブで会見を開き、司法関係者によって捏造された冤罪事件を掘り起こし、関わった捜査官や検察官を厳重に処罰する特別捜査を、地検のルーティンワークとして始めることを宣言する。「もちろん捜査の手が、高等検察庁や最高検察庁に及ぶこともある。そうなった場合、警視庁や法務省といった外部組織の協力を仰ぎ、上位組織からの恫喝や妨害に屈しないようにする」心の底から記者たちは驚き、浄化を決断した理由を訊く。特別なきっかけはない、と真摯な表情で検事正は答える。「強いて言うなら、昨今の司法組織の堕落と劣化を、これ以上放置しておくことはできない、という、個人的な切迫感からだ」
首都圏一帯を縄張りにしている広域暴力団の総本部において、三十代前半の若さで若頭を務めているヤクザは、自分の心に唐突に起きた大きな変化を誰にも言わない。日々の勤めをこなした後で、自宅の書斎に一人で籠もり、文章に落として確かめる。
自分の書いた文章を若頭は何度か読み返し、その内容を頭と胸に刻み込んで、ファイルを消す。
そして財務省主計局の局長を務めている男性官僚は、緊縮財政という間違った政策を何十年も続けてきた上層部の人間たち、彼らに洗脳され、言いなりになって増税を繰り返してきた政治家たち、そして、その誤りに唯々諾々と何十年も従ってきた自分の罪を、狙撃された瞬間に自覚してしまい、体調を崩して寝込んでしまう。そしてベッドの中で悶々としながら、国民を貧困化させ続けているこの省庁のドグマを破壊するため、何ができるか真剣に考える。
十人それぞれが〝再構築〟による強い反応を見せたことを、全員のスマホやパソコンを虎にハッキングしてもらい、メッセージのやり取りや通話内容をデータ化してもらって確認してから、国刀と馬が一人ずつ順番にコンタクトを取っていく。彼らの中で起きている変化と、その変化が始まった正確な日時、こちらのビデオ通話のアドレスを、虎が調べた十人それぞれのプライベート・アドレスにメッセージする。ビデオ通話をコールしてきたら、モザイクアプリで顔を隠した馬と国刀が、紅い拳銃を掌から出すところを見せてやり、「この拳銃を使って、あなたの魂に〝再構築〟をかけました。我々の力に興味をお持ちなら、一度お会いしてみませんか?」とストレートに誘いをかける。怖がったり戸惑ったり怪しんだりするものの、断る候補者は一人もいない。
与党幹事長と社会学者と検事正と主計局局と医者は、官庁街のホテルで部屋を取って、ミュージシャンと俳優は彼らの所有するマンションや別荘で、動画配信者は持ちビルの地下駐車場の車の中で、帰国していた格闘家は会員制のクラブの個室で、ヤクザの若頭は高級料亭で、マリオと馬と国刀の三人にそれぞれに密会する。そして虎と同じように紅い拳銃でマリオの記憶を撃ち込まれ、自分に何が起こり、どんな状況に置かれているかを理解する。
幹事長は呆然と宙を仰ぎ、大学教授は独り言が止まらなくなり、検事正は人権侵害に憤りながらも納得し、主計局長は震えて慄き、女医は医学の常識を打ち破られて青ざめ、ミュージシャンと俳優は心を揺さぶられて涙を流し、動画配信者は面白がって興奮し、格闘家は俯いて黙り込み、若頭は殺意と共感の両方を湛えた目で三人を睨む。十人全員が心の底では〝再構築〟されたことを怒っていない。幹事長と格闘家と若頭は、頭も心も生き方も、前よりスッキリして悪くないと言い、ミュージシャンと俳優と動画配信者は、今の方が前の自分よもり好きだ、とさえ口にする。ただ、あまりにもインパクトが大きすぎ、生き方を根底から変えざるを得なくて、激しく戸惑っているのだと、社会学者と主計局長と格闘家と女医が言う。
「我々二人もそうでした。でも混乱はすぐに治まって、自分の軸が定まりましたよ」太くてよく響く声で馬がおおらかに断言する。「御自分の状態が嫌ではなく、私たちの考えに賛同していただけるなら、〝紅い拳銃ホルダー〟になってもらえないでしょうか?」国刀の真摯な問いかけに対して、十人全員が最終的に「なる」と答えて話がまとまる。
さっそくマリオが紅い拳銃の〝種〟をその場で移植する。それぞれに胸をはだけてもらい、血の弾丸で心臓を撃つ。全員がその場で失神し、全身の皮膚が紅に染まり、数分かけて元の色に戻る。目を覚ましてから紅い拳銃を出せるかどうか試してみる。幹事長からはコルト・パイソンが、社会学者からはベレッタP4が、検事正からはヘッケラー&コックSFP9が、主計局長からはグロック19が、女医からはCZ75が、ミュージシャンからはコルトM1911が、俳優からはスミス&ウエッソンM945が、格闘家からはトーラス・レイジングブルが、若頭からはデザートイーグルが現れる。金色の炎も問題なく撃ち出せることが分かる。
「心の軸が定まったら、その時貴方が思ってることを、素直に行動に移してください。紅い拳銃が役に立ってくれます。私たちは営利団体ではないし、政治活動を行うつもりもない。ただ〝魂の再構築〟を多くの人に受けてもらうことが目的です。もしも〝再構築〟してあげたいと感じる人物が現れたら、金色の炎でその人を撃ってやって下さい。そして彼らに欲しいと望まれたなら、血の弾丸で心臓を撃って、紅い拳銃を分けてやってほしいのです」十人それぞれの目の奥をまっすぐ見つめて国刀が言う。
幹事長と社会学者と動画配信者とミュージシャンと検事正の五人は、国刀の言葉をそのまま受け容れ、すでに公言している自分の〝ミッション〟に次の日から取りかかる。社会学者と女医と俳優の三人は、紅い拳銃を得たことで新しい閃きを得たらしく、これから何をやるべきかじっくり精査すると言う。主計局長と格闘家は何も語らず、しかし決意の込もった熱っぽい目つきで、頷いて三人に一礼する。そしてヤクザの若頭はどうして自分が選ばれたのかを聞きたがり、「昔の俺に似ていたからさ」と馬に言われて、ハッ、と笑う。
こうして馬と国刀が選んだ十人の候補者は、一人も欠けることなく〝紅い拳銃ホルダー〟となる。そして、やりたいこと・やるべきことを形にするため、自分の世界へと戻っていく。
「上手くいったな!」とビデオ通話のミーティングで国刀が言う。「元の自分に戻せって、最低一回は全員から言われると思って覚悟してたけど、杞憂だったよ」車で首都高を移動しながら満足そうに笑みを浮かべる。「僕もそれ、ずっと気になってたんだ」監視カメラにダミー映像を流している自室のマンションでマリオが言う。「金色の炎で焼いた魂を、元に戻す方法なんて知らないし、できるかどうかも分からないし」「まぁ、そうなった場合にどう説得するか、全員分のシナリオを三パターンずつ、考えてはあったんだけどね」国刀がさらりと言ってのけ、マリオは思わず苦笑する。
「これで〝ネズミ講〟がスタートするなぁ。最終的に拳銃ホルダーが何人まで増えるか楽しみだぜ!」クラブ『飛頭蛮』のVIPルームで缶ビールを片手に馬が笑う。「ホルダー一人につき、一ヶ月に二人を紅い拳銃で撃ち続けると、二年三ヶ月で列島に住んでる人間全員が〝再構築〟されるよ」キーボードの音を響かせながらサウンドオンリーで虎が言う。「それ鼠算だろ。ありえないやつだ。俺でも分かるぞ」馬が突っ込み、ふふん、と虎が鼻で笑う。
「まぁ、ベストな結果が出て良かったな。フォローが必要になったらすぐ言ってくれ。秒で対応してやるよ」「ああ。そうする。ありがとう」国刀が生真面目な顔で答える。「じゃ、こっちの〝仕事〟に戻るから」ぶっきらぼうに言い残して虎がセッションから退出する。列島内の候補者たちに三人が働きかけてきたのと並行して、虎は虎で、世界規模で、自分と〝同類〟の候補者たちにアプローチをかけ続けている。
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馬の姪という新しい戸籍、馬诗玥という新しい名前、そして首都の住民票を馬に偽装してもらった虎は、以前女性DJが住んでいた『飛頭蛮』の一室で暮らし始めた。在留カードとパスポートの偽造に必要な写真を撮るタイミングで、舐められないよう少年っぽく外見を装うのを止めた。ボサボサだったベリーショートの黒髪を、ブラウンに染めてウェーブをかけ、眼鏡を黒縁からスケルトンフレームに替えて、服もユニセックスなものにした。
それから必要な機材を買い揃え、搬入からシステム構築までを一週間で終わらせた。そして国刀から頼まれた〝仕事〟───世界に点在するエリートハッカーの中から、紅い拳銃ホルダーにふさわしいと思える人物を、数人ピックアップすること───に取りかかった。国刀が出した条件は、『君自身に似ていること』『君と違って〝魂の再構築〟を望みそうなこと』の二つだった。
最初に虎がやったのは、世界中のハッカーたちを、クロエ・デーモンから完全に隠してしまうことだった。彼女を拉致って利用しようとした集団が、ギャングのアジトを襲撃した事件の顛末をまとめたドキュメントに、警視庁のデータベースから手に入れた凄惨な現場写真を添付して、世界中の主だったハッキング・グループやサイバーギャングのサーバーに送りつけてやった。
ドキュメントの内容を、信じるかどうかはどうでもよかった。彼らのサーバーの鉄壁堅固なファイアーウォールが突破されたことに、怯えてもらうことが目的だった。メールを送ってから三十分後には、すべてのグループのホストサーバーがダークウェブの最深部に潜っていた。仮にクロエ・デーモンが軍事施設並みのサイバーシステムを持っていても、マエストロ級のハッカーたちには絶対にコンタクトできない状態を、虎は作り出したのだ。
その上で虎は、メールしたデータに仕込んでおいた特製のリバースシェル(ファイアーウォールの内側から外側への接続を可能にし、攻撃者を招き入れるプログラム)に導かれ、潜伏しているハッカー集団のマスターサーバーにリーチした。そしてそこで初めて、紅い拳銃や、青いライフルや、紅い剣といった『魂の殺戮兵器』の存在と、その兵器を使った〝魂の再構築〟についての詳細な情報を、マリオとウリエルが列島首都で起こした超自然的な事件の映像を付けて提供し、興味があればコンタクトしてほしいとメッセージングアプリのDLリンクを教えた。
この〝招待〟にすべてのハッキング・グループが応じた。彼らの代表者全員とアバターを通して虎は会話し、その中から国刀の条件に叶う〝紅い拳銃ホルダーの候補者〟として、二つの組織に所属している三人のハッカーを選び出した。
一人は、北の大陸の東海岸を本拠地にしているハッカー集団のリーダーであり、壮年の黒人男性で、南の大陸の南端にある元植民地国家にルーツがあった。残りの二人は若い中東人女性の双子で、西側諸国と中東諸国の衝突の焦点となっている、人工的に作られた小国の占領地で生まれ育った。
三人に共通しているのは、自分たちの民族が、西側諸国によるアパルトヘイトに苦しめられてきたことだった。特に双子の姉妹が生まれた国は、クロエ・デーモンの民族が母国としている人工の小国から、ジェノサイドに近い迫害を数十年に渡って受け続けていた。
彼らから、自分とよく似た強い怒りと憎しみの波動と、自分にはない懐の深さの、両方を虎は感じ取った。そして、この三人が紅い拳銃ホルダーになれば、まさに国刀と馬が求めるような、〝魂の再構築〟を世界に広めるサイバーエリートになるだろうと直観したのだ───。
✶
ビデオ通話のミーティングから三日後に、虎のセッティングで、黒人の男性ハッカーと、中東人の双子の女性ハッカーが、自動翻訳アプリを通してデバイス越しにマリオと対面する。まず最初に、マリオが紅い拳銃を右手から出現させてみせ、AIアプリでリアルタイム加工したフェイクではない、という証拠に、マリオの記憶をスマホ越しに三人のハッカーに打ち込んでやる。アタリと出会って紅い拳銃を渡されたところから、十人の列島民のホルダー候補者に、血の弾丸を撃ち込んだところまでの経験を、圧縮して脳に〝インストール〟され、一気に解凍された三人は、情報爆発のショックでしばらく会話ができなくなる。
数分たって回復し、マリオの記憶を〝読み込み済み〟になった彼らは、『魂の殺戮兵器』の存在と力にもう疑いを抱いておらず、〝再構築〟を受けてみたいと自分から言い出す。虎の時のことを思い出し、念のためマリオは確認する。「もしも、怒りや憎しみや悲しみをアイデンティティにしていた場合、その感情は完全に消えてしまうけど、それでもいいかな?」構わない、と黒人男性が答え、そうなってくれた方がありがたい、と双子の姉妹が笑って言う。マリオは頷き、パソコンのモニターのビデオ通話のウインドゥに、銃口を向けて三人を撃つ。
見えない金色の炎に焼かれて〝魂の再構築〟を終わらせハッカーたちは、さっきとは比べ物にならないほどの強烈な衝撃を受け、通話そのものが不可能になる。翌日、生まれ変わったような表情でコールしてきら彼らに対して、日本人の候補者たちにしたのと同じ問いかけを国刀がする。「今の状態が嫌ではなく、我々の考えに賛同できるなら、〝紅い拳銃ホルダー〟になってもらえないだろうか?」もちろんなりたい、と三人ともが目を輝かせて返事をし、さっそく拳銃の〝種〟を受け取るためのスケジュール調整に入る。そして黒人の青年は四日後に、中東人の姉妹は一週間後に、列島へ来て血の弾丸を撃ち込まれることが決まる。
両者はそれぞれ空港から『飛頭蛮』に直行し、マリオや他の三人と会って、短い会話を交わした後、すぐに血の弾丸で心臓を撃たれる。一時的な昏睡から復活した彼らの手から、彼らの個性にそぐったスタイルの紅い拳銃が現れる。黒人の男性の右手からはヘッケラー&コック45が、中東人姉妹の手からはスミス&ウエッソンM10が出現し、金色の炎も問題なく撃ち出せることが確かめられる。
それぞれの別れ際に国刀が、他のホルダーたちにしたのと同じように請い求める。「〝魂の再構築〟をしてやりたいと感じる人間が現れたら、迷わずそうしてやってほしい。そしてもしも、その人物が紅い拳銃を欲しいと望んだ時は、血の弾丸で心臓を撃って〝種〟を分けてやってほしい」黒人の青年も、中東人の姉妹も、快く同意して列島から去る。
*
中東人の姉妹を見送った後、『飛頭蛮』のVIPルームで四人は軽い打ち上げをする。馬がグランド・キュヴェのNVジェロボアムを抜いて乾杯する。マリオと虎には二杯目からノンアルコール・シャンパンが出される。「忘れそうになるけれど、マリオ君も虎さんも、まだ未成年だからね」そう言いながら国刀が空になったグラスを馬に差し出す。二杯目を注いでやりながら「ものすごく久しぶりに警官らしいことを言ったな」と馬が笑う。
「嬉しそうだな二人とも。十代のガキみたいな顔してるぜ」一杯目のシャンパンのせいで少し頬を赤らめながら、からかうように虎が言う。屈託なく国刀が答える。「そりゃあ、気分が良いからね。すべての候補者たちの魂を問題なく〝再構築〟できた上に、紅い拳銃ホルダーにまですることができたんだから」自分のグラスにシャンパンを注ぎながら馬も言う。「ここまでスムーズに行くとは、正直思ってなかったぜ。特にヤクザと格闘家の二人とは、〝魂の再構築〟を済ませてあったって、間違いなくバトルになると覚悟していたからな。最悪殺っちまった時の〝処理〟の仕方まで考えてたよ」
「警官の前で、そんなこと言うなよ」国刀が靴の爪先で馬の靴をコツンと突く。ハッハァ、と愉快そうに馬が笑う。本当に二人とも楽しそうだ、と思ってマリオも笑みを浮かべる。上手く行ってる。良かったな。きっと今って、奇蹟みたいに思い通りになってる状況なんだ。
でも───。
そこでマリオは考えるのを止め、ノンアルコールシャンパンを飲み干す。
ふいに虎が立ち上がり、ダウンジャケットを持ってベランダへ向かう。「怎么了?」と馬が声をかける。「有件事让我有点头疼。呼吸外面的空气」こめかみを押さえて虎が答え、掃き出し窓を開けてベランダへ出ていく。「アルコールがキツかったかな?」心配そうに国刀がつぶやく。「見てくる」とマリオが言って席を立ち、ダウンジャケットに着てベランダに出る。
虎はベランダの手摺の前に立ち、暗く凪いだ海を見ている。マリオが近づき声をかける。「大丈夫?」虎がチラッと見る。「・・来ると思った」え。何?「話があるんだ」それでマリオは理解する。気分が悪いって嘘だったのか。横に並んで顔を見る。白い息を吐いきなら虎が言う。「クロエ・デーモンをどうするんだ?このまま放っておくつもりなのか?」ああ、来た、やっぱりこの話だ。「今、世界中の主だったハッカーに、あの女はコンタクトできないでいる。タイミングはきっと今だけだ・・・俺と、あの二人に、潰せって───殺れって命令してくれよ」
瞳の底が光らせて虎がマリオの顔を見る。小さく息を吐き、マリオが答える。「クロエの計画は絶対に止める。でも、殺すつもりなんてない。少なくともこっちからは仕掛けない。それに、命令なんて僕はしないよ」虎が目を見開き、繰り返す。「命令・・しない?」マリオは頷く。「そんな気持ちとか、権利とか、僕には無いから」虎が絶句する。掠れた声で問う。「お前───あいつらのリーダーじゃないのか?」リーダー。あ、と思う。もちろん違う。「そんなんじゃない」「・・・・」数秒間フリーズしてから、叫ぶように虎が訊く。「じゃ、お前一体、何なんだよ!」
まっすぐに問われてマリオは詰まり、ギラギラ光る虎の瞳を見ながら、自分自身に確かめる。リーダーじゃない、中心にいない、でも国刀や馬と同じでもない。二人も、虎も、拳銃ホルダーたちも、僕の〝中〟に入っている。そう、みんなを〝お腹〟に入れてる存在───。
「僕は、星だ」
「星・・」母国語で呟いてから、虎が蔑むような顔つきになる。「何だよそれ?」マリオは黙る。それ以上の答えを持たない。感情を昂らせて虎が続ける。
「〝インストール〟された記憶を見たから、お前が大勢の人間の意識を、幻覚の中に取り込む力を持ってることは知ってるよ。でも、あんなの映画を見たようなもんだし、聞きたいのはそういうことじゃない。自分で何も決めないし、命令も下さないお前のことを、何だと思ってつき合えばいいのか、教えろっつってんだよ!」
虎は信じたがっている、と視野の左端でルカが言う。この娘は序列の人間関係───指図するか、されるか、しか知らない。サイバーギャングの仲間内でも、軍の施設でもそうだったから、それ以外の関係性が理解できなくて、怖いんだよ。
ああ───。
軽い衝撃を受けながら、紅い拳銃を逆流するように入ってきた虎の記憶を思い出し、あんな環境でサバイバルしてたらそうなるよな、とマリオは思う。そして、どうすれば虎に信じてもらえるか、夜の海を睨んで考える。ひとつだけ方法を思いつく。いいじゃないか、とルカが言う。俺がお前でもそうするよ。マリオは頷き、虎を見る。
「僕の中に入ってみて」「は?・・どういうこと?」意味がわからず虎が眉をしかめる。「この前は情報としての僕の記憶を打ち込んだ。だから観客席から映画を観たような影響しか君に与えられなかった。今度は君が記憶の中に入り、『真昼の星』だった頃の僕を、体験してみてほしいんだ───それで『僕は星だ』と言った意味を、理解してもらえると思う」
「そんなんこと・・できんのか?」半笑いで呆れたように虎が言う。マリオは頷き、右の掌を虎に向けて血の塊を出し、それを円盤状に引き伸ばす。虎の身長より少し大きな、半透明の紅い楕円が、ベランダの床の上にホログラムのように浮いている。「その中を通り抜けてみて。一瞬で記憶を体験できるから」虎が恐る恐る顔を近づける。「これ・・血なんだよな?」「今は光に近い状態になってる。汚れたりしないよ」
いつの間にか馬と国刀が窓辺に立って見ている。大丈夫、という表情を二人にしてから、虎の顔を見てマリオが促す。「・・我无能为力」虎がつぶやき、一歩下がって深呼吸してから、楕円のプレートを通り抜ける。瞬間、前回とは比べ物にならないスケールの情報爆発が、虎の脳髄で炸裂し、虎の全身の細胞がマリオの記憶を経験する。
北の大陸のネイティブの地下祭礼場でシャーマンから見せられた、白い星が膨れ上がって炸裂する超新星のヴィジョン───吹き飛ばさた自我がどんどん広がり荒野を覆ってしまった衝撃───十数万人の人間と無数の動物や植物たちの感情と感覚と命と魂が自分の内側に含まれている感覚───それらすべてを無自覚なままに操ってしまえる異様な力───その力を暴走させないために、全体でありつつ個人であるという多層化した意識の状態を、なんなく維持してしまえているマリオの〝器〟の巨大さを、我が身のこととして体験した虎は、紅い楕円を抜けると同時にへたり込んで痙攣を起こす。
慌ててマリオが虎を抱き起こし、馬と国刀もベランダに出てくる。三人で抱えて室内へ運び、ソファに寝かせて毛布に包み、痙攣が治まっていくのを待つ。五分ほどしてようやく落ち着き、息遣いも普通に戻る。十分後には起き上がれるようになり、マリオが持ってきた水を飲み干す。青褪めた顔で目を輝かせて「・・・我以为我要死了」と虎がつぶやく。
「やりすぎた。ごめん」と三人全員にマリオが謝る。「必要だったんだ。仕方がないよ」国刀が穏やかにフォローして言う。「お前はあたしの何だ、
って迫られて、〝星〟を体験させたんだろう?」ギョッとしてマリオが国刀を見る。「俺らも紅い拳銃ホルダーだからな。それくらいは想像つくさ」国刀の代わりに馬が答えて、虎から空のコップを受け取る。
「すごかった・・何だあれ・・・」血の気が戻ってきた顔で虎がつぶやく。「自分が弾け飛んで・・・荒野を覆って・・人がいっぱい〝お腹〟に入って・・・精霊っぽいものが歩き回ってて・・・前に記憶を見せられた時には、あんな凄い感覚だって、分らなかった」顔を上げてまじまじとマリオを見つめる。「よく正気でいられたな・・・すげえな、お前・・・怪物だな」虎の目に畏れや怯えはない。怪物という言葉には賞賛のニュアンスが乗っている。「自分は星だ、って言った意味が分かった・・・どうして命令しないのかも・・・大量の人間を〝お腹〟に入れる・・そういうタイプのリーダーなんだな」
違うよ、と言おうとしてマリオは呑み込む。馬と国刀が頷いている。虎と同じ認識なのだ。旅団のリーダーは旅団が選ぶ、と視野の右端でルカが言う。『真昼の星』に触れることで、虎はお前をリスペクトして、新しい関係性を手に入れた。彼らの解釈を拒まずに、ただ〝中〟に入れてやればいい。
ああ、そうだな、と心の中で答えることがマリオにはできない。四人の認識に自分が強い違和感を抱いていることに気づいてしまう。そして、そう感じるの心の底に、虚しさがあることを知ってしまう。
周囲の人間たちが意志を鮮明にすればするほど、逆にマリオは曖昧模糊とし、虚無感がどんどん募っていく。
この虚しさの正体は何なんだろう?
まさか───と思って考えるのを止める。三人の前で答えを出して、自覚してしまっては駄目だ、と思う。
<続く>