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マリオガン~THE END OF VIOLENCE~第1部・16章「リビルダーズ(魂の再構築者たち)」

 〝紅い拳銃ホルダー〟の候補者が国刀と馬から出そろう。
 国刀は政治家と高級官僚と大学教授と検察官と医者を、馬はミュージシャンと俳優と動画配信者と格闘家とヤクザの若頭を選ぶ。全員がそれぞれの世界で突出した成功者であり、〝魂の再構築〟後に社会に与える影響の強さで選ばれる。虎にハッキングして調べてもらった十人の行動パターンを見ながら、どうやってアプローチするか国刀と馬が話し合う。そして、個別に誘いをかけるより、先に紅い拳銃で撃った後で接触しようという結論になる。

「いいと思うぜ」とビデオ通話のミーティングで虎が言う。「魂を焼くとか、血の弾で撃つとか、ゴチャゴチャ口で説明してたら、カルト宗教だと思われて、逃げられるか通報されるしな」「確かに。怪しすぎるよね」とマリオが素でリアクションし、国刀と馬が吹き出して笑う。

 ミッションは二月の初日から始まる。監視システムにダミー映像を流しっぱなしにしてもらい、『飛頭蛮』のVIPルームに三日間マリオは泊まり込む。そして高級官僚と検察官とヤクザの若頭以外の候補者たちを、かつてウリエルがやったようにテレビやスマホ越しに撃っていく。政治家は国会中継で答弁している最中に、大学教授と動画配信者はライブ配信中に、医者と俳優は報道番組やワイドショーに出演している時に、ミュージシャンはコンサートのライブ配信中に、格闘家は試合の中継番組でインタビューされている時に、それぞれ魂を〝再構築〟する。高級官僚と検察官は自宅のマンションの駐車場で、ヤクザの若頭は事務所から出てきたところを狙撃する。

 変化はすぐに現れる。
 政府与党の幹事長で、大企業や超富裕層向けの政策を推し進めてきた政治家は、狙撃された翌日の国会答弁で、「貧困化が進んでいる庶民の状況を、もうこれ以上放置できない!党利党略を優先していられる状況はとっくに超えている!国民の生活を豊かにし、社会の荒みを払拭できる実質的な政策を、与野党の壁を取り払って早急に実行しなければならない!」と、これまでと真逆の発言をペーパーなしで唐突に行い、議事堂に大混乱を巻き起こす。

 差別的な言動ばかりすることで、一部の層から人気を得ている首都大学の社会学者は、狙撃された二日後に配信した動画の中で、「優生思想を極限まで推し進めると、到達点で人権思想に反転してしまうことが判った。レイシズムの最終形態は、あまねく世界に人権を行き渡らせることであり、人類は差別という旧知の感情を、徹底的に経験し尽くした上で、過去の遺物と化さねばならない」と突き抜けた理論を口にして、視聴者たちの度肝を抜く。

 新型感染症のパンデミック対策として、遺伝子製剤を全国民に定期接種させるキャンペーンを、政府の依頼で推し進めていた医師グループのリーダーの女医は、狙撃された三日後にメディアを集めて記者会見を開き「この遺伝子製剤には欠陥があり、深刻な薬害を引き起こす可能性が高いです。ベネフィットがリスクを上回ること、国家プロジェクトであることを理由に、これまで黙認してきましたが、欺瞞は許されないという思いが高まり、告発することを決意しました」と述べて医療業界を激震させる。

 人気アイドルグループ出身で列島を代表する男性俳優は、狙撃の四日後、性犯罪事件をテーマにした主演映画の舞台挨拶で「実は私も、子役時代、事務所の社長から性虐待を受けていたサバイバーでして、ヒロインとよく似たトラウマを抱えつつ芸能のお仕事を続けてきました。性被害者のために戦う弁護士、という今回の役どころには、かつての自分を救うような気持ちで役作りに打ち込みました」とカミングアウトを交えたコメントを口にし、取材陣を驚愕させファンに悲鳴を上げさせる。

 七千万人のチャンネル登録者数を誇る男性の動画配信者は、幼児や低年齢層をターゲットに据えてきたこれまでの配信のスタイルを変えることを、狙撃の三日後、最新の動画の中で宣言する。「自然破壊や環境汚染、動物虐待やDVといったネガティブなテーマについて、直観的に理解できるよう表現した動画の数を増やしていきます。そうしたい、しなければという気持ちが、抑えられなくなったので」

 半島や大陸にも数百万人のファンを持つ女性ミュージシャンは、狙撃の五日後に行われたライブコンサートのステージ上で、バンドを解散してソロ活動に入ることを発表する。「イメージを壊すから歌っちゃいけない、って事務所から止められてた未発表の曲がたくさんあって、それを歌いたくなっちゃったんだ。わたしの影の部分、闇の部分と合体したくてたまらない───でないと生きてる感じがしないから!」

 国内最年少でヘビー級のプロボクサーとなり、北の大陸に渡って二人のチャンピオンとタイトルマッチを引き分けてから、MMAに進出して連勝している若き格闘家は、タイトル・コンテンダーマッチに白星をつけた後、緊急記者会見を開き、無期限の活動停止に入ることを、全世界のファンに向けて発信する。「格闘に対するモチベーションが突然消えてしまったんだ。誰かを組み伏せ、殴り倒すことに、情熱や意味や喜びを感じられなくなってしまった・・・」

 首都の検察庁のトップである中年の男性検事正は、狙撃されて三日後に司法記者クラブで会見を開き、検察官によって捏造された冤罪事件を掘り起こす特別捜査を、今後の地検のルーティンワークに定めることを宣言する。「もちろん高等検察庁や最高検察庁にも捜査の手が及ぶこともある。そうなった場合、警視庁や法務省といった外部組織の協力を仰ぎ、妨害に屈しないようにしたい」驚いた記者たちに、浄化を決断した理由を訊かれて検事正は淡々と答える。「劣化した昨今の司法組織を、これ以上放置しておくことはできない、という個人的な切迫感からだ」

 首都圏一帯を縄張りにしている広域暴力団の総本部で、三十代前半の年齢で若頭を務めているヤクザの男は、自分の心に唐突に起きた大きな変化を誰にも言わない。自宅の書斎に一人で籠もり文章にして確かめる。

 〝凌ぎ〟を時代に最適化させることばかりに血道を上げるのは間違っている。矛盾を極めるのが極道の使命だ。ヤクザがヤクザとして生き残るためには、人助けの任侠道と強欲なビジネスを同時に突き詰め、光と影のコントラストを極限まで高める必要がある。でないと我々の存在意義は消え失せ、半グレや素人の犯罪者と変わらない強欲なだけの存在に堕ちる。実際、トップから末端に至るまで我が組はそうなりつつある。急いで全体を〝再構築〟して軌道修正しないといけない───。

 自分の書いた文章を若頭は何度も読み返し、頭と胸にその内容を刻み込んで、ファイルを消す。

 そして財務省主計局の局長を務める男性官僚は、緊縮財政という間違った政策を続けてきた上層部と、彼らの言いなりに増税を繰り返してきた政治家たち、さらに、その誤りに諾々と従ってきた自分の罪を、狙撃された瞬間にはっきり自覚し、体調を崩して寝込んでしまう。ベッドの中で悶々としながら、国民を貧困化させ続けているこの省庁を解体するため、何ができるかを考える。

 十人のそれぞれの反応を虎にハッキングして確かめてもらってから、国刀と馬が一人ずつコンタクトを取っていく。彼らの中で起きている変化と、その変化が始まった正確な日時、こちらのビデオ通話のアドレスを匿名で全員にメッセージする。ビデオ通話をコールしてきたら、馬と国刀が右手から紅い拳銃を出して見せてやり、「この拳銃を使ってあなたの魂に〝再構築〟をかけました。我々の力に興味をお持ちなら会ってみませんか?」と誘いをかける。怪しんだり戸惑ったり怖がったりするものの、断る候補者は一人もいない。

 与党幹事長と社会学者と検事正と主計局局と女医は官庁街のホテルで部屋を取って、ミュージシャンと俳優は彼らの所有する別荘で、動画配信者は持ちビルの地下駐車場の車の中で、帰国していた格闘家は会員制のクラブの個室で、ヤクザの若頭は高級料亭で、マリオたち三人と密会する。そして虎と同じように紅い拳銃でマリオの記憶を撃ち込まれ、自分に何が起こり、どんな状況に置かれているかを理解する。幹事長は呆然と宙を仰ぎ、学者は独り言が止まらなくなり、検事は人権侵害を言い立てながらも納得し、主計局長は震えて慄き、女医は常識を打ち破られて真っ青になり、ミュージシャンと俳優は感動し、動画配信者は面白がり、格闘家は俯いて黙り込み、若頭は殺意と喜びの両方を湛えた目つきで三人を睨む。

 十人全員が〝再構築〟されたことを嫌がっていない。幹事長と格闘家と若頭は、頭も心も生き方もスッキリして悪くないと言い、ミュージシャンと俳優と動画配信者は、今の自分の方が好きだと言う。ただ、あまりにもインパクトが大きすぎて戸惑っているのだと、学者と女医と格闘家と主計局長が口にする。「我々二人もそうでした。でも混乱はすぐに収まって、自分の軸が定まりましたよ」馬が朗らかに断言する。「御自分の状態が嫌ではなく、私たちの考えに賛同していただけるなら、〝紅い拳銃ホルダー〟になってもらえないでしょうか?」国刀の真摯な問いかけに対して、十人全員が最終的に「なる」と答えて話がまとまる。

 さっそくマリオが紅い拳銃の〝種〟をその場で移植する。それぞれに胸をはだけてもらって血の弾丸で心臓を撃つ。全員がその場で失神し、皮膚が紅に染まって元に戻る。目を覚ましてからそれぞれに紅い拳銃を出してもらう。幹事長からはコルト・パイソンが、学者からはベレッタP4が、検事からはヘッケラー&コックSFP9が、主計局長からはグロック19が、女医からはCZ75が、ミュージシャンからはコルトM1911が、俳優からはスミス&ウエッソンM945が、格闘家からはトーラス・レイジングブルが、若頭からはデザートイーグルがスムーズに現れる。金色の炎も問題なく撃ち出せることが分かる。

「心が定まったら、貴方の望みを素直に行動に移してください。きっと紅い拳銃が役に立ってくれます。私たちは営利団体ではないし政治活動を行うつもりもない。ただ〝魂の再構築〟を多くの人に受けてもらうことが目的です。もしも〝再構築〟してあげたいと感じる人物が現れたら、紅い拳銃の金色の炎でその人を撃ってやって下さい。そして彼らが欲しいと求めたら、血の弾丸で心臓を撃って拳銃を移植してほしいのです」十人の瞳をまっすぐに見つめながら国刀が言う。幹事長と学者と動画配信者とミュージシャンと検事の五人は、そうする、と即答する。学者と女医と俳優の三人はこれから何をやるべきかじっくり考えてみると言う。主計局長と格闘家は何も語らず、しかし決意の込もった熱っぽい目つきで頷く。若頭はどうして自分が選ばれたかを訊きたがり「昔の俺に似ていたからさ」と馬に言われて、ハッ、と笑う。

 こうして十人の候補者全員が〝紅い拳銃ホルダー〟となる。そして、やりたいこと・やるべきことをするため自分の世界へ戻っていく。

「上手くいったな!」とビデオ通話のミーティングで国刀が言う。車で首都高を移動しながら満足そうな笑みを浮かべる。「元の自分に戻せって、全員に言われると思ってたけど杞憂だったよ」「僕も、それ言われたらどうしようって思ってた」監視カメラにダミー映像を流しながら自分のマンションでマリオが言う。「金色の炎で焼かれた魂を元に戻す方法なんてないから」「まぁ、そうなったらどう説得するか、全員分のシナリオを考えてはあったけど」さらりと国刀が言ってのけ、マリオは呆れて笑ってしまう。

「これで〝魂の再構築〟のネズミ講がスタートするなぁ。拳銃ホルダーが何人まで増えるのか楽しみだぜ!」クラブ『飛頭蛮』のVIPルームでビールを片手に馬が笑う。「ホルダー一人につき、毎月二人を紅い拳銃で撃ち続けると、二年三ヶ月で列島の人間全員の魂が〝再構築〟されるよ」キーボードの音を響かせながらサウンドオンリーで虎が言う。「それ鼠算だろ?ありえないやつ」馬が突っ込む。ふふんと虎が鼻で笑う。「まぁ、ベストな結果で良かったな。フォローが必要になったら秒で対応してやるよ」「頼む」と国刀が生真面目に答える。「じゃ、こっちの〝仕事〟に戻るから」ぶっきらぼうに言って虎がセッションから退出する。三人が国内の候補者に働きかけるのと並行して、虎はずっと世界規模で〝同類〟の候補者たちにアプローチしている。

 馬の姪という新しい戸籍、馬诗玥シーユェという新しい名前、そして首都の住民票を偽装してもらった虎は、女性DJが住んでいた『飛頭蛮』の一室で暮らし始めた。そのタイミングで少年っぽく外見を装うことを止めた。ボサボサだったベリーショートの髪をブラウンに染めてウェーブをかけ、眼鏡を黒縁からスケルトンフレームに替えて、服をユニセックスなものにした。それから必要な機材を注文し、搬入からシステム構築までを一週間で終わらせた。そして国刀から頼まれた〝仕事〟───世界に点在するエリートハッカーの中から、紅い拳銃ホルダーにふさわしい人物をピックアップすること───に取りかかった。国刀から出された条件は『君自身に似ていること』『君と違って〝魂の再構築〟を望みそうなこと』の二つだった。

 最初に虎がやったのは、世界中のエリートハッカーたちをクロエ・デーモンから隠すことだった。クロエが自分を拉致ろうとした事件をまとめたドキュメントに、警視庁のデータベースから手に入れた、ギャングのマンションの凄惨な殺人現場の写真をつけて、世界中のハッキング・グループやサイバーギャングのサーバーに送りつけた。信じてもらえるかどうかはどうでもよかった。彼らのサーバーのファイアーウォールが虎によって突破された事実に怯えさせることが目的だった。メールを送ってから三十分ですべてのグループのホストサーバーとマスターサーバーがダークウェブの最深部に〝潜った〟。これでクロエが軍事施設並みのサイバーシステムを持っていても、ハッカーたちにコンタクトするのは不可能な状態になった。

 その上で虎は、メールしたデータに仕込んでおいた特製のリバースシェル(ファイアーウォールの内側から外側への接続を可能にし、攻撃者を招き入れるプログラム)に導かれ、潜伏しているハッカー集団のマスターサーバーにアクセスした。そして紅い拳銃や青いライフルや『魂の殺戮兵器』の存在と、その兵器によって可能になる〝魂の再構築〟に関する情報を、マリオとウリエルが起こした超自然的な事件の映像をつけてアップロードした。すべてのハッキング・グループが、この〝招待〟に応じてきた。リバースシェルを辿ってアクセスしてきた彼らの代表者全員と、アバターを通して虎は会話し、二つの組織に所属している三人のハッカーを候補者に選んだ。

 一人は、北の大陸で活動しているサイバーギャングのリーダーだった。壮年の黒人男性で、南の大陸の南端にある元植民地国家にルーツがあった。残りの二人は中近東に拠点を置くハッカーグループのアタッカーだった。若い双子の中東人女性で、西側諸国と中東諸国の衝突の焦点となっている小国の占領地で生まれ育った。

 三人の共通点は、彼らの民族が、西側諸国によるアパルトヘイトに苦しめられてきたことだった。特に双子が生まれた国は、クロエ・デーモンの民族が母国としている小国から、ジェノサイドに近い迫害を半世紀以上に渡って受けていた。自分と同じ怒りの波動と、自分にはない平和を求める心の、両方を虎は彼らから感じ取り、〝魂の再構築〟を世界に広める拳銃ホルダーになると直観したのだ───。

 ビデオ通話のミーティングの三日後に、黒人男性と双子の中東人女性が、虎のセッティングで翻訳アプリを通してデバイス越しにマリオと対面する。最初にマリオが紅い拳銃を右手から出現させてみせ、自分の記憶をスマホ越しに三人のハッカーたちに撃ち込んでやる。情報爆発のショックから数分たって回復した彼らは、『魂の殺戮兵器』の存在にもう疑いを抱いておらず、〝再構築〟を受けてみたいと自分の方からそれぞれ言い出す。虎の時のことを思い出してマリオは一応確認を取る。「怒りや憎しみや悲しみをアイデンティティにしている場合、その感情は浄化されて消えてしまうけど、それでもいい?」記憶が残るなら構わない、と黒人男性が穏やかに答える。そうなってくれた方がありがたい、と双子の姉妹が笑って言う。マリオは頷き、ビデオ通話のウインドゥに銃口を向けて三人を撃つ。見えない金色の炎に焼かれて魂を〝再構築〟されたハッカーたちは、さっきとは比べ物にならない衝撃を受け、その日は通話不可能になる。

 翌日、生まれ変わったような表情でコールしてきた彼らに対して、他の候補者たちに国刀がしたのと同じ問いかけをマリオがする。「今の状態が嫌でなく、僕らの考えに賛同してくれるなら、〝紅い拳銃ホルダー〟になってほしい」もちろんなりたい、と三人ともが目を輝かせて即答する。そして黒人男性は四日後に、中東人の姉妹は一週間後に、列島へ来て血の弾丸を撃ち込まれることが決まる。

 両者はそれぞれ空港から『飛頭蛮』に直行し、マリオや他の三人と会って短い会話を交わしてから、血の弾丸で心臓を撃たれる。そして一時的な昏睡から復活した彼らの手から紅い拳銃が現れる。黒人男性からはヘッケラー&コック45が、中東人姉妹からはスミス&ウエッソンM10が出現し、金色の炎も問題なく撃ち出せることが確認される。「〝魂の再構築〟をしてやりたいと思える人間が現れたら、迷わずそうしてあげてほしい。そして、その人物が紅い拳銃を望んだら、血の弾丸で心臓を撃って〝種〟を分けてやってくれ」別れ際に国刀が他のホルダーにしたようにお願いする。黒人の青年も、中東人の姉妹も、快く同意して列島を去る。

 中東人の姉妹を見送った後、『飛頭蛮』のVIPルームで四人は軽い打ち上げをする。馬がグランド・キュヴェのNVジェロボアムを黒服に運ばせて乾杯する。マリオと虎には二杯目からノンアルコール・シャンパンが出される。「忘れそうになるけれど、二人とも未成年だからね」と言いながら国刀が空になったグラスを馬に差し出す。「久しぶりに警官っぽいこと言ったな」二杯目を注いでやりながら馬が笑う。「二人とも、ガキみたいな顔になってるぜ」少し頬を赤らめて虎が言う。

「そりゃ気分が良いからね。すべての候補者の魂を〝再構築〟できた上に、紅い拳銃ホルダーにまですることができたんだから」屈託なく国刀が答える。自分のグラスに注ぎながら馬も言う。「こんなスムーズに行くなんて、正直思ってなかったからな。特にヤクザと格闘家とは〝再構築〟を済ませてあってもバトルになるって覚悟してたよ。最悪、殺っちまった時の〝処理〟の仕方まで考えてた」「おい、警官の前でそんなこと言うな」国刀が爪先で馬の靴を蹴る。ハッハァと声を上げて馬が笑う。本当に二人とも楽しそうだ、と思ってマリオも笑みを浮かべる。
 上手く行ってる。良かった。でも───。
 そこでマリオは考えるのを止め、ノンアルコールシャンパンを飲み干す。

 ふいに虎が立ち上がり、ダウンジャケットを持ってベランダへ向かう。「怎么了どうした?」馬が声をかける。「有件事让我有点头疼何かちょっと頭痛い呼吸外面的空气外の空気吸ってくる」こめかみを押さえて虎が答え、掃き出し窓を開けてベランダに出る。「アルコールが強かったかな?」国刀がつぶやく。「見てくる」と言ってマリオが席を立ち、ダウンジャケットを着てベランダへ出る。

 虎は手摺に手をつき海を見ている。近づいて声をかける。「大丈夫?」虎がちらっと見る。「・・来ると思った」え?「話があるんだ」あ、気分悪いって嘘だったのか、とマリオは理解し横に並ぶ。白い息を吐いて虎が言う。「クロエ・デーモンをどうするんだ?このまま放っとくつもりなのか?」来た。やっぱりこの話だ。「世界中の主だったハッカーたちに、あの女はコンタクトできないでいる。潰せるタイミングは今しかない。俺と、あの二人に・・殺れって命令してくれよ」

 瞳の底を光らせて虎が見る。小さく息を吐いてマリオが答える。「クロエの計画は絶対止める。でも、殺すつもりなんてない。それに・・命令なんて僕はしない」虎が目を見開く。「命令、しない?」マリオは頷く。虎が絶句する。掠れ声で訊く「お前───あいつらのリーダーじゃないのか?」リーダー?もちろん違う。「そんなんじゃない」しばらく固まってから虎が叫ぶ。「じゃ、お前一体、何なんだよ!」

 まっすぐに問われてマリオは詰まり、自分自身に確かめる。リーダーじゃない、中心にいない、でも国刀や馬と同じでもない。二人も、虎も、拳銃ホルダーたちも、僕の〝中〟に入ってる。そう、みんなを〝お腹〟に入れてる存在───。
「僕は、星だ」
シン・・何だそれ?」虎が蔑むような顔つきになる。マリオは黙る。それ以上の答えがない。感情を昂らせて虎が続ける。「お前が大勢の人間の意識を取り込む力があるってことは、記憶を見せられて分かってる。でも、あんなの映画みたいなもんだし、聞きたいのはそんなことじゃない。自分で何も決めないし、命令も下さないお前のことを、何だと思ってつき合えばいいのか、俺に教えろっつってんだよ!」

 虎は信じたがっている、と視野の左端でルカが言う。この娘は序列の関係しか知らない。サイバーギャングの仲間内でも軍の施設でもそうだった。指図するかされるかにしかリアリティを感じられない。それ以外の関係性が理解できなくて怖いんだ。
 ああ、そうか───。
 マリオは軽い衝撃を受けながら、拳銃のバレルを逆流してきた虎の記憶を思い出す。そして、どうすれば虎に信じてもらえるか海を睨んで考える。ひとつだけ方法を思いつく。いいんじゃないか、とルカが言う。俺がお前でもそうするよ。マリオは頷き、虎を見る。

「僕の中に入ってみて」「は?どういうこと?」虎が眉をしかめる。「この前は〝情報〟として僕の記憶を君の頭に打ち込んだ。だから映画を観たような影響しか与えられなかった。今度は君が僕の頭に入って、『真昼オータタヴン』だった頃の記憶を、映画の登場人物のように体験してみてほしいんだ。それで『星だ』と言った意味を理解してもらえると思う」「・・・そんなんこと、できんのか?」呆れたように虎が訊く。マリオは頷き、右手から血の塊を出して、それを大きく引き伸ばす。虎の身長よりも少し大きな半透明の紅い楕円が、ホログラムのように床の上に浮く。「この中を通り抜けてみて。圧縮した記憶を体験できる」虎が恐る恐る顔を近づける。「これ、血なんだよな?」「今は光に近い状態になってる。体について汚れたりしない」

 いつの間にか馬と国刀が窓辺に立って二人を見ている。大丈夫、という表情を向けてから、もう一度虎を見て「さあ」と促す。「・・我无能为力しょうがねえな」虎がつぶやく。一歩下がって深呼吸してから楕円のプレートを通り抜ける。瞬間、これまでとはスケールもクオリティもまったく異なる情報爆発が炸裂し、虎は体全体の細胞でマリオの記憶を〝体験〟する。

 ネイティブの地下祭礼場で見せられたシリウスβ星が超新星爆発───吹き飛ばさた自我が広がり荒野を覆ってしまった衝撃───十数万の人間と無数の生き物が自分の中にある感覚───それらすべてを無自覚なまま操ってしまえる特殊の力───その力を暴走させないために、全体でありつつ個人であるという異常な意識の状態を、あっさりと維持できてしまえているマリオの〝器〟の大きさを、我が身のこととして体験した虎は、紅い楕円を抜けると同時にへたり込んで痙攣する。

 慌ててマリオが抱き起こし、馬と国刀もベランダに出てくる。三人で抱えて室内へ運び、ソファに寝かせて毛布でくるむ。しばらくして痙攣が治まり、呼吸も普通に戻っていく。青褪めた顔で起き上がり「・・・我以为我要死了死ぬかと思った」と虎がつぶやく。「やりすぎた。ごめん」三人全員にマリオが謝る。「必要だったんだ。仕方ないさ」国刀が穏やかにフォローする。「虎を納得させるために〝星〟を体験させたんだろ?」びっくりしてマリオが国刀を見る。「俺らも紅い拳銃ホルダーだからな。それくらいの想像はつくさ」水の入ったコップを虎に渡しながら馬が言う。

「すごかった・・・何だあれ」一息で水を飲み干して、血の気が戻った顔で虎が言う。「自分がバーンと大きくなって・・・荒野も町も覆っちゃって・・・人がいっぱい〝お腹〟に入って・・・精霊っぽいものが歩き回ってて・・・前に記憶を見せられた時には、あんなに凄いって分らなかった」まじまじとマリオの顔を見る。「よく正気を保ててたよな・・・すげえな、お前・・・怪物だ」虎の目に畏れや怯えはない。怪物という言葉には賞賛のニュアンスが乗っている。「自分はシンだ、って言ってた意味が分かった・・・何で命令しないのかも・・・そういうタイプのリーダーなんだな」

 違うよ、と言おうとしてマリオは呑み込む。
 馬と国刀が頷いている。虎と同じ認識なのだ。旅団のリーダーは旅団が選ぶ、と視野の右端でルカが言う。『真昼オータタヴン』に触れることで、虎はお前をリスペクトして、新しい関係性を手に入れた。馬や国刀の二人もそうだ。彼らの解釈を拒まずにお前の〝中〟に入れてやれ。

 ああ、とマリオは答えられない。四人の認識を自分がはっきり拒否っていることに気づいてしまう。リーダーになること、〝旅団〟を率いることへの嫌悪感の激しさに血の気が引く。

 どうしてこんなに嫌なんだろう?

<続く>

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木葉功一
長編小説は完結するまで、詩は100本書けるまで、無料公開しています。途中でサポートをもらえると嬉しくて筆が進みます☆