マリオガン~THE END OF VIOLENCE~第1部・13章「移植実験」
年が明けてマリオの退院日が一月半ばに決められる。その後の処遇について国刀が説明する。「君は国が用意したマンションで暮らすことになる。部屋には監視カメラが設置され、隣室に常駐する刑事によって二十四時間動向がチェックされる。外出は自由だが尾行がつく。通学や就労は許されない。高校は退学してもらうことになる」病室の窓際で穏やかに伝える国刀を見ながら、まあ、こうなるよな、とマリオは思う。ミカリと二人で予想したより甘い対処だ。
「最低でも数年、政府はマリオの身柄を拘束しようとするでしょう。あんな超常現象を二度と起こさせないよう管理しながら、兵器開発のマテリアルとしてキープしたがるはずだから」
ミカリの言った通りなった、この先どうするかは決めてある、後はタイミングを待つだけだ───そう考えてるマリオに国刀に言う。「タイミングを見計らって国外逃亡する気だね?行く先はユタの聖地かな?費用は周ミカリが出して、後から追いかける段取りだろう?」
思わず絶句し目を瞠る。「どうして分かった?」「僕らはプロだぜ」国刀の瞳が怜悧に光る。その洞察力にマリオは身を震わす。「そんなことしなくても大丈夫。この体制は、君の自由を確保するためのフェイクだから」そう言って国刀が柔らかく笑う。
は?フェイク?自由を確保?
どういう意味だ?
椅子に座って国刀が続ける。「警視庁のトップや、与党の政治家や、その上にいるアメリカ政府から、決定的な拘束命令が下されてしまう前に、君の長期監視プランを上層部に進言したんだ。それが採用されて僕が現場の責任者に指名された。これで君の〝アリバイ〟をいくらでも偽装することができる」あ、とマリオは声を上げる。「尾行には〝魂の再構築〟に賛同している部下をつけて監視カメラの記録もダミーの動画にすり替えていく。一週間もすれば君は完全に自由に動けるようになる。ゆくゆくは長期の不在すら隠せるようになるだろう」
すごい、とマリオが溜め息をつく。それなら海外を逃げ回ってミカリと離れる必要もなくなる。ふわりと肩の力が抜ける。「ありがとう国刀」「君がしてくれた〝再構築〟に比べたら、全然大したことじゃない」さらりと言って国刀が笑う。「ビアンカさんにも伝えてある。自主退学のことも含めて理解し了承してくれた。退院前に一度会って、認識をすり合わせておくといい」
翌週、病室の片付けを手伝いにビアンカが来る。荷物をまとめてから少し話す。ビアンカは動揺していない。現住所管理の名目で、母親とのシッター契約も続くことが分かる。「マリオさんの部屋の物は全部、新しいマンションに移してあります。しばらくは外食と宅配ばかりになりますから、栄養のバランスには気をつけて」「わかった」と答えてマリオが見つめる。「・・時々、顔を見に行くから」「はい」と答えてビアンカが微笑む。
退院当日は国刀の部下が覆面パトカーで迎えにくる。乗り込んで病院を後にする。窓の外を氷雨に霞んだ首都の街並みが流れていく。視野の右上で金色の星が強い光を放っている。ミカリに物理現実世界に連れ戻してもらってから、金色の星の輝きが明らかに強くなっている。ルカの姿は視野の右端にはない。気配はずっと感じているのに夢の中にも現れない。紅い拳銃が爆散して無くなったせいかもしれないな、死んでも生きてもいない状態で、魂の奥に折りたたまれているのかもしれない、と窓ガラスの雨滴を見ながら思う。
警察の用意したマンションは湾岸地区の端にある。ミカリのマンションから遠くない。2LDKの室内には、マリオの部屋の家具類や私物が運び込まれて配置されている。天井や壁には監視カメラが取りつけられている。それらの動作確認をすませて刑事たちが部屋から去る。隣りの部屋に移動して彼らに課された任務につく。録画した映像をコピーしてダミーの動画に加工するのだ。あらゆる瞬間が〝アリバイ〟の素材になるんだからな、自然にしなくちゃ、と心で自分に言い聞かせる。そして翌日からカメラが気にならなくなる。隣室の刑事たちの存在を忘れてシャワーもトイレも普通にできる。即座に適応してしまった自分に呆れてマリオは笑う。
三日後に国刀がやってきて行先を告げずにマリオを連れ出す。「馬と三人で話したいことがある」と車内で言われてクラブ『飛頭蛮』へと向かう。早点が大テーブルに並べられたVIPルームで馬瞬豪が待っている。「已经有一段时间了、兄弟!」と上機嫌で笑う。答えるようにマリオの腹が、ぐう、と鳴って馬が爆笑する。国刀は笑わない。三人は食べる。一番速く食べ終えて国刀が話し出す。
「紅い拳銃で犯罪を減らすプロジェクト案が上層部に却下された。彼らは〝魂の再構築〟を理解することができなかった。マリオ君の行動を永続的に監視しろ、とだけ言い渡されたよ」言い終えて悔しそうな顔をする。それで今日は暗かったのか、とマリオは思う。ふん、と馬が鼻を鳴らす。「なら、俺たちで勝手にやればいい」「そのつもりだ」と国刀が即答する。「ちょっと待って」とマリオが遮る。「紅い拳銃は無くなったんだ。〝魂の再構築〟はもうできないよ」「新しいのを作ればいいだろ」キョトンとして馬が言う。「材料はお前の血なんだろう?何挺だって出せるんじゃねえのか?」「・・・え」マリオが絶句する。「まさか・・試してなかったのか?」驚いて国刀が確かめる。呆然としてマリオが頷く。物として壊れたら終わりだとすっかり思い込んでいた。
急いで残りの点心を食べ終え、新しい拳銃を出せるか試す。右手を開いて念じると同時に、血の塊が現れて拳銃になる。「できた!」グリップを握って叫ぶ。「な?」と馬が言い、国刀が頷く。胸を熱くして二挺目の紅い拳銃をマリオは眺める。フォルムがかなり変化している。全体的にシャープさが際立つデザインになっている。「だいぶ形が変わったな。撃てるかどうか確かめてくれ」馬に言われてマリオが頷き、天井に向けて引き金を引く。金色の炎が勢いよく吹き出す。「大丈夫。炎が出るよ」見えない二人に教えてやる。「なら〝魂の再構築〟も可能だな」明るい声で国刀が言う。
問題なくできるさ、
という声がマリオの頭の中で響く。視野の左端にルカが現れる。ルカ!と思わず心で叫ぶ。今までどこにいたんだよ?ずっと君の中にいた、新しい拳銃を作ってくれるのを待ってたんだ、と答えるルカの姿もかなり変化している。金髪、碧眼、褐色の肌と、顔つきの面影だけを残して、前よりシャープで男性的な印象の造形に変わっている。紅い拳銃というデバイスがなければ、普通の意識状態の時はもちろん、夢を見ている時であっても、コンタクトを取ることはできないんだ、相手がいてもスマホがなければ通話やメッセージができないみたいに、とここしばらくの不在についてルカが説明してくれる。よかった、また会えてすごく嬉しい。ルカが鮮やかな微笑みを返す。お前が拳銃と共にある限り、俺は決して消え去らない。
「で、警察の組織力を使えなくなった穴を、どうやって埋めるかなんだけど」国刀の声が聞こえてマリオは意識を現実世界にフォーカスする。そうだ、拳銃の力で暴力の連鎖を断ち切るミッションの話なんだ。「私と仲間の刑事たちが足を使って候補者を探し、一人ずつマリオ君に〝再構築〟してもらうやり方だと、犯罪発生率を低下させるのに恐ろしく長い時間がかかる───そこで」国刀がマリオの目を見て言う。「マリオ君の血を分け与えることで、紅い拳銃を持つ人間を増やせるかどうかテストしたい」「紅い拳銃を移植するのか!」目を煌めかせて馬が叫ぶ。
「ネズミ講の要領で、紅い拳銃を持つ奴の数を幾何級数的に増やすってわけか!」苦笑しながら国刀が頷く。「ネズミ講、っていうより、ウイルス感染にイメージは近いかな。〝魂の再構築〟のパンデミックを起こしてやろうって思ってる」ハッ、と馬が笑う。「いいじゃねえか!それなら列島中に行き渡るのに一年もかからねえぞ」「いや、多分もっと速い。国民全員が拳銃の持ち主になる必要はないからな」「・・・・」興奮して言葉を交わす二人をまじまじと見つめて、マリオが問う。
「どうしてそこまで〝魂の再構築〟に、二人とも夢中になれるんだ?」
馬と国刀がきょとんとする。プハッと吹き出し爆笑する。「何で笑うの?」ムッとして言う。「ゴメンゴメン!」国刀が答える。「気持ち良いからだよ。自分が自分として変わらないまま、囚われから解放される爽快感がたまらないんだ!」「・・爽快感・・」マリオがつぶやく。ピンとこない。国刀が続ける。「今の自分に比べたら、再構築される前の自分は、鬱病と統合失調症を同時に患ってたようなものさ。宗教のドグマやイデオロギーといった、依存性の高い〝物語〟を使うことなく成立している、ノイズレスで極めて統合性の高いこの明晰な意識状態に、すべての人間をシフトさせることは、人として、いや生き物としての義務だと、本気で僕は考えてるんだ」
熱っぽい国刀の語り口にマリオは圧倒されてしまう。ハハッと笑って馬も言う。「国刀みてえに高尚じゃねえけど、俺の動機も似たようなもんだな。生きてるだけで突き抜けるような気持ち良さを味わってる自分と、そうじゃない連中との、落差っていうか、格差を無くしてえんだ。この幸せな状態が、先へ行って損なわれるのを防ぐために、世界の方を底上げしたいのさ」
やっぱり分からない、とマリオは思う。紅い拳銃で二回も撃たれているのに二人のようには感じてないし、社会を変えようと決意するほど心が動かされることもなかった。
恒星化しかけているお前の感覚が、彼らと異なるのは当然だ、と視野の左端でルカが言う。二人を突き動かしている類いの衝動は、お前の場合、十歳までにすっかり焼き尽くされてしまっているから───。
*
三人で地下二階のダンスフロアへ降りて〝紅い拳銃の移植〟テストをする。最初の実験は馬でやる。トランクス一枚の裸になってフロアの真ん中に馬が立つ。血を弾丸にできること、装填して撃ち出せることを確かめてから、マリオが紅い拳銃を馬に向ける。国刀がスマホで録画を始める。「遠慮しないで、好きなところを狙え」両腕を開いて馬が言う。心臓を狙うんだ、とルカが言う。それですぐに反応が出る。マリオが拳銃の引き金を引く。ちゅいん、と血の弾丸が飛び出して馬の左胸に命中する。
ぐっ、と呻いて馬が後ずさる。しゃがみ込んで倒れる。慌ててマリオと国刀が駆け寄る。白目をむいて痙攣している。呼吸をしていない。「ヤバい!」と叫んで心臓マッサージをしようとするマリオを国刀が止める。弾痕の周りの皮膚の色が紅色に変化し広がっていく。あっと言う間に全身が拳銃の色に染まる。はあっ、と息をし目を開く。真紅に染まりきった肌の色が急速に元の色に戻る。心臓が脈を打ち始める。弾痕の肉が盛り上がって塞がる。一部始終を余さず国刀が撮る。息を詰めてマリオは見守る。大丈夫、移植は成功した、と視野の左端でルカが言う。馬が起きて頭を振る。呼吸を整え嗄れ声でつぶやく。「・・唉、特别吃力・・・」マリオが安堵の溜め息をつく。殺してしまったんじゃないかと思った。
「拳銃を出せるか?」と国刀が訊く。「さぁ、どうかな」右手を開いて馬が見つめる。即座に掌から血が溢れ出し、大きくて無骨な紅いリボルバー拳銃になる。「おお!出た!・・マリオのとは全然違う銃だな」グリップを握ってまじまじと見つめる。「これは───ロシアのRSh12というリボルバーにそっくりだ」拳銃を撮影しながら国刀が言う。「アサルトライフルに使用する亜音速弾を撃てるヤツだ。規格外のパワーがある」「そりゃあ、俺にぴったりじゃねえか!」馬がリボルバーをダンスホールの天井に向けて引き金を絞る。銃口から太い金色の炎がうねりながら吹き上がる。「いけるぜ!これで〝魂の再構築〟のパンデミックを起こせるぞ!」瞳を輝かせて馬が叫び、頬を上気させて国刀が頷く。
そんな二人を見て、かわいい、とマリオは思う。一回りも年上の男たちを守らなければならない子供のように感じる。自分の反応に驚きながら、告白したときにミカリが抱いた気持ちはこれかも、と思い当たる。「可愛らしいけど人には見えない」という言葉のニュアンスが、今になって腑に落ちる。それは、太陽から惑星を眺めているような感覚だ。ふいに五歳の時、ネイティブの祭礼場で見た〝星〟のヴィジョンが蘇る───白い恒星が爆発して飛び散っていくあの光景。お前の心身に起こる変化を怖がって嫌うな、とルカが言う。燃えさかる星の化学反応は止められないし止まらない、怪物は怪物として生きるのが自然だ。わかった、とマリオは答える。成っていく自分に成り続けると、馬と国刀を見ながら決める。
その後国刀の心臓も同じように血の弾丸で撃つ。馬と同じく体が真紅に染まり、失神から目覚め、体の色が元に戻った右手から、コルト・ガバメントにそっくりな紅い拳銃が現れる。試し撃ちすると金色の炎も出る。どうして種類の異なる拳銃が現れるのかは分からない。実在している拳銃の〝形〟を、本人の個性が選んで引き寄せているようだ、とルカが言う。
VIPルームに戻って昼食を摂りながら、紅い拳銃を移植する候補者の条件について話す。「トラウマやドグマに深く囚われている者がいい」と国刀は言う。「強い意志と底なしの生命力を持ってる奴だな」と馬が言う。「どっちも、自分と同じタイプの人間がいい、ってことだよね?」笑いながらマリオは言い、それがいいかもしれないと思う。囚われが強烈な人間ほど〝再構築〟の効果が強く出るし、強烈なポテンシャルの持ち主でなければ拳銃を移植する意味がない。まずは初代の〝拳銃ホルダー〟として十人の候補者を探すことになる。
午後の三時に解散となりマリオと国刀は『飛頭蛮』を出る。晴れた空に雪が舞っている。外出の辻褄を合わせておくよう部下の刑事に電話をしてから、国刀が車をスタートさせる。「実は候補者を一人、もう見つけてあるんだ」「どんな人?」助手席のマリオが訊く。「君に〝再構築〟してもらった後輩の刑事が、捜査で担当していた被疑者でね。君より年下の女の子だ。矯正施設を脱走して行方不明になってて、今部下たちに探させている」意表を突くチョイスだな、とマリオは思う。「見つかったらにすぐ引き合わせるから、拳銃を〝移植〟してやってくれ」「いいけど・・・どうして国刀はその子を推すの?」ギュッ、とハンドルを握って国刀が答える。
「公安のサイバー犯罪捜査史上、最も逮捕に手こずった、凄腕のブラックハッカーだからだ」
あ、とマリオは声を上げる。以前魂を〝再構築〟した国刀の後輩は、サイバー犯罪対策の刑事だったことを思い出す。「そして、幼児期に強烈な虐待を受け、生き延びたサバイバーでもある。僕と馬の出した条件を両方とも満たす逸材だ。彼女が〝紅い拳銃ホルダー〟になれば、サイバー犯罪者を短期間で激減させられる可能性が高い───それに」国刀が暗い森の奥を覗き込むような目つきをする。「何より僕は、あの子の魂が救われてほしいと思ってる。今それができるのは、君と、君の紅い拳銃だけだ」
ぞくっ、と背筋に電流が走り、その女の子の魂に触れたようにマリオは感じる。そのれはマグマのように黒くて熱い。「わかった・・・見つけたらすぐに会わせて」雪の舞う青空をフロントガラス越しにマリオは睨む。
<続く>