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「マリオガン~THE END OF VIOLENCE~」第1部・2章「ルカ」

2・ルカ

 南北戦争末期のアメリカの紅い荒野でルカは生まれた。父親は白人の兵士だった。母親は部族の女だった。ルカの肌は褐色で瞳が青くて金髪だった。それで村中の人間から憎まれた。白人が起こした戦争のせいで部族の半分が殺されていた。

 母親は村を離れて聖地の岩穴に住み着いた。たった一人でルカを育てた。九才の時に通りかかった騎兵隊に撃たれて死んだ。ルカは何日か死体と暮らした。聖地の力で生き返るかもと思った。母親は死んだままだった。墓を作って彼女を埋めた。一人で荒れ地を彷徨った。部族も白人も恨まなかった。動物のように季節を生きた。

 戦争が終わって町へ行くようになった。十一歳で人を殺した。酒場の裏の道端で男を刺した。相手の命を奪ったときに痺れるような快感に満たされた。自分の中に飢えた獣が棲んでいることをルカは知った。それは殺人と破壊を好んで食べた。

 ガンショップへ行って拳銃を探した。紅い拳銃が飾ってあった。塗料に混ぜて血を塗ってある、気味悪がって誰も買わない、それでよければ売ってやるよ、と嘲笑うように店主が言った。殺して銃と金を盗んだ。街角にルカの手配書が貼られた。馬を盗んで町を離れた。

 いくつもの州を渡り歩いた。店や銀行を襲って奪った。邪魔する奴は撃ち殺した。紅い拳銃を持った幼い悪魔の噂が西部全体に流れた。気にせず宿屋や酒場に入った。拳銃も顔も隠さなかった。誰にも密告されなかった。幼い悪魔が人を殺すところを誰もが見たがった。ルカは血塗れのアイドルになった。

 無法者たちが集まってきた。保安官や賞金稼ぎたちと撃ち合うたびにその数が増えた。十七才で強盗旅団のリーダーになった。銀行や列車を襲うだけではもう飢えが満たせなくなっていた。世界を丸ごと荒野にしたい。そのためだけに襲って奪った。殺した相手の血を塗料に混ぜて紅い拳銃に重ね塗りした。

 二十歳のときに連邦議会が一人の刺客を放ってきた。ガルシア・アズールという軍人だった。三千人の頭の皮を剥いだ元南軍の将校だった。これまでの追っ手とはタイプが違った。いつまでたっても手を出さずに影のように尾行してきた。挑発しても乗らなかった。

 ルカは旅団を割ることにした。怖がりすぎだ、と幹部たちが笑った。一人ひとりと目を合わせながら静かな声でルカは言った。ガルシアはプロのハンターだ、人間という生き物の狩り方を徹底的に知り抜いている、舐めてかかると皆殺しにされるぞ。三百人を五つの集団に分けた。二ヶ月後に落ち合う約束を交わして男たちは散って行った。十人の護衛たちと共にルカは彼らを見送った。それが旅団を見た最後になった。

 ひと月後の嵐の夜だった。渓谷の洞窟に潜んでいた。入り口に麻袋が投げ込まれた。髪の毛のついた頭の皮が何百枚も詰め込まれていた。それで残した旅団が全滅したことをルカは知った。大きな樽が転がってきた。導火線が燃えていた。逃げろ、と護衛たちに向かって叫んだ。

 直後に洞窟の中で大爆発が起きた。馬の背中にしがみついて洞窟の外へ飛び出した。紅い拳銃しか持ち出せなかった。雨を裂いて闇の中から銃弾が何発も飛んできた。一直線に駆け抜けた。着いて来れた部下はいなかった。

 朝になった。一人になった。それでもルカは旅を続けた。世界を丸ごと荒野にしたい気持ちは変わらず胸にあった。ガルシアの気配は消えなかった。空気を読みながら南へ下り、一年荒野をさすらった。

 夏の終わりに女と出会った。森で野宿をしていた時に闇の中から現れた。焚き火の光に照らされた姿は二十歳を超えていなかった。ナイフを見せても怖がらなかった。近くに座って話し始めた。「売春宿を逃げ出して祖父のいる村へ向かっているの」鳶色の瞳、艶やかな髪、ふくよかな胸、すらりとした手足。「私はブランカ。あなたは?」

 ルカ・ロッホ・サングレ、と適当に名乗った。ブランカがウィスキーの小瓶を勧めてきた。断ると自分で一口飲んだ。横になって体を丸めた。足が腿までむき出しになった。胸元が開いて乳房がのぞいた。態度があまりにも怪しすぎた。

 紅い拳銃に手をかけた時、ずるり、とルカの体の奥で飢えた獣がうごめいた。殺戮や破壊を求めるように目の前の女を求めていた。暴力衝動と性欲が混ざり合のは初めてだった。側に立ってブランカを見つめた。鳶色の瞳が薄く開いた。炎を映して揺れていた。ゆっくりと覆いかぶさった。甘い肌の匂いがした。

 「一緒に旅をしてほしい」と朝になってブランカに言われた。ルカは無視して答えなかった。野宿の後始末をしてから荷物をまとめて出発した。女は後をついてきた。ルカは馬を走らせた。荒れ地に入ってしばらく駆けた。振り返ると陽炎の向こうにぽつんとブランカが立っていた。舌打ちして馬を返し脅しつけた。ついてくるな、徒歩だと死ぬぞ。

 ブランカがまっすぐ見返して言った。「あたし、あなたと旅がしたいの」女を求めて飢えた獣がルカの中で昂った。抗うことができなかった。腕を差し出し、引き上げて馬に乗せた。嬉しそうにブランカが笑って背中に頬を押し当てた。さっさと村へ送って別れてしまおう。そう思いながら毎晩抱いた。

 変化は急速に起こり始めた。世界を荒野に変えたい気持ちが日に日に薄れて小さくなった。飢えた獣が萎んでいった。生まれて初めて恐怖を感じた。ブランカは俺を変えてしまう、自分が自分で無くなっていく。真夜中に悪夢を見て跳ね起きた。冷たい汗が止まらなかった。隣りで女が寝息を立てていた。殺さなければ、とルカは思った。

 大きな湖のそばを通った。ほとりに草原が広がっていた。馬を並べて二人は進んだ。夕陽が草の波を金色に染めた。ここがいいと思った。拳銃を抜いてブランカに向けた。気がついて女がルカを見た。透き通るような表情をしていた。怒りも恐怖も絶望もなかった。鳥肌が立つほど美しかった。

 馬を降りて女を見上げた。引きずり下ろして犯すように抱いた。ブランカは抵抗しなかった。敗北感とともにルカは射精した。飢えた獣の最後の欠片がブランカの子宮に放たれて溶けた。女の腕に抱かれて黄昏の空を見ながらルカは死を予感した。そしてそれは現実になった。

 村に着くと女の祖父の家でガルシアが待っていた。二メートルを超える巨漢だった。つるりとした陶器のような顔をしていた。右目に義眼を入れていた。ガルシアがブランカに微笑みかけた。「おじいさんを開放して」と無感情な声で女が言った。そういうことか、とルカは思った。脅して餌に使う。上手い手だった。

 「紅い拳銃の悪魔を捕えるためには銃も軍隊も必要ない。女を一人あてがって愛を与えてやればいい」甲高い声でガルシアが言った。まったく大したハンターだ。不思議と爽やかな気持ちになった。

 州境いの大きな町の保安官事務所に連行された。裁判なしで死刑が決まった。処刑の当日は晴れていた。大勢の見物人が押しかけた。町外れにある大きな岩に鎖で両腕をつながれた。磔にされたような格好だった。

 百人の銃殺隊を整然と率いてガルシアが現れた。隣りにブランカを連れていた。銃殺隊が馬蹄形の二列横隊に整列してライフルに弾丸を装填した。その隊列の中央後ろの位置に馬から下りたガルシアが立った。右隣りにブランカが立った。まっすぐルカを見すえていた。怒っていた。嘆いていた。責めていた。悔やんでいた。激しくルカを求めていた。

 あの女を拒んだことが俺の犯した最大の罪だ───そう思ったら心が割れて真新しい感情が吹き出してきた。自分の命の瑞々しさを感じた。死に際でルカは生まれ変わろうとしていた。銃殺隊がライフルを構えた。ガルシアが用意の号令をかけた。ブランカに向かってルカが叫んだ。もっと生きたい、お前と一緒に!

 女の瞳から涙が溢れた。

「撃て!」とガルシアが命令した。百発の弾丸が飛んできた。衝撃とともに世界が消えた。爆散するようにルカは死んだ。ブランカが絶叫して崩れ落ちた。見物人が歓声を上げた。岩の窪みに溜まったルカの血を掬ってガルシアが紅い拳銃に塗りつけた。

 飛び散った死骸は無法者たちへの見せしめとして放置された。野次馬と銃殺隊とガルシアが処刑場から立ち去った。ブランカだけが残っていた。夜になっても動かなかった。月に照らされじっとしていた。明け方になって彼女も去った。

 朝日が血まみれの処刑岩を照らした。コンドルの群れが舞い降りてルカの肉と内臓を喰った。コヨーテが骨を奪い合った。虫の群れが皮と筋を食べた。昼の熱気と夜の冷気が残った残骸を粉々に砕いた。風が塵を舞い上げて飛ばした。

 死んでから二年と少したってルカの魂は空へと昇った。青、群青、紺、漆黒と空間の色が変わるのを見た。成層圏で止まって裏返った。北アメリカ大陸全体が視野に収まっていた。黒い虚空に太陽が昇った。朝と夜が大陸を渡った。何百回となく繰り返された。ルカはそれを見つめ続けた。地表の隅々まで見渡すことができた。

 あるとき戦場に紅い拳銃を見つけた。使っているのはガルシアではなく見知らぬ若い将校だった。容赦なく捕虜を撃ち殺していた。かつての自分を見るようだった。紅い拳銃は弾丸と一緒に金色の炎を吹き出していた。人間には見えない炎だった。

 敵も味方も関係なしに戦場にいる兵士の魂を焼いていた。魂を焼かれた者たちは必ず直後に命を落とした。激しい戦闘に突入して敵も味方も全滅した。若い将校は砲弾の直撃をくらって飛び散った。紅い拳銃は壊れなかった。別の人間に拾われて別の戦場で火を吹いた。

 魂の大量殺戮兵器───そういうものがこの世界に存在していることをルカは知った。その兵器と死後の自分が結びつけられていることを知った。どうしてそうなったのか判らなかった。知りたいとも思わなかった。肉体を失って人間的な心の働きが消えていた。自分が誰で、何故ここにいるのか、ほとんど忘れかけていた。ただ、ブランカと生きたい、という気持ちだけが心の隅に残っていた。

 朝と夜が何万回も巡った。紅い拳銃が人から人へと渡っていくのをルカは見た。数え切れない魂が金色の炎に焼かれて消えた。拳銃が移動する後を追って荒野がどんどん広がった。

 百三十年の時が流れた。拳銃は極東の島国にあった。テロリストの男が持っていた。そしてルカは一人の少女を見つけた。その顔つきに衝撃を受けた。感情と感覚の焦点が合わさりルカは意識を取り戻した。自分が誰だか思い出した。少女はブランカよりもブランカだった。彼女の魂が強くしなやかに蘇っているようにルカには見えた。

お前と生きたい!

 と処刑の直前に抱いた願いをもう一度願った。瞬時にルカの魂は地上に降りて紅い拳銃に宿っていた。さっそくテロリストの男を操り、少女に恋している少年に近づき、拳銃を渡して憑依した。彼の意識を虚無に落として肉体を奪い取った。

 目を開け、光を見、息を吸った。少年の部屋のベッドの上で紅い拳銃を朝日にかざした。百三十年ぶりに味わう物理的な世界の感触だった。これであの少女と生き直すことができる、と思いながら体を起こそうとした。

 左の首筋に違和感を感じた。触るとそこに瞼があった。鼻があり唇があり額があった。少年の顔が浮き出していた。ばかな、と思わずつぶやいた。めきめきと音をたてて少年の顔と頭が生えてきた。激痛で失神しかけながらルカは呆然とその光景を見つめた。ひとつの体にふたつの頭が並んで生えてる形になった。髪の毛まで完全に再生させてから少年が目を開け、にっこりと笑った。

「ありがとう、ルカ。僕と一緒に生きよう」

 驚きと怒りと屈辱で頭の中が真っ白になった。憑依して肉体を奪った時に少年の記憶は見れるだけ見ていた。理不尽に差別され、忌み嫌われて、命を狙われた経験もなく、人を殺したことはもちろん、誰かを殴ったことすらない、こんなペットか赤ん坊みたいな奴が、ありがとうだと?一緒に生きよう?

 ふざけるな!!!

 反射的に握っていた拳銃を振り上げた。銃口を少年の顎の下にガツンと押し当て引き金を引いた。発射された金色の炎が少年の頭を包んで焼いた。炎はそれで止まらなかった。ルカの顔にも燃え移ってあっという間に全身を包んだ。炎を吹き出し続けながら紅い拳銃もオーバーロードして溶けた。二つの魂と一つの肉体と一緒の拳銃が混ざり合った。人のかたちをした金色の炎が、朝日の差し込むベッドの上で輝くように燃え続けた。


<続く>

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木葉功一
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