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マリオガン~THE END OF VIOLENCE~第1部・14章「紅い剣」


そろそろ逢いたい。部屋に来て。わたしは何も気にしないから。

 ミカリから届いたそのメッセージに「行けない」とマリオは返信する。高校を退学し、公安の監視下に置かれる生活に入ってから、もう二週間以上も会っていない。我慢して会わないようにしている。

 監視カメラの映像を使って、〝アリバイ〟として使用するダミー動画を刑事たちが作り、モニタリングシステムに流しっぱなしにできる環境が出来上がるまでに、一ヶ月強の時間がかかると国刀からは聞かされている。「〝アリバイ〟作りの作業が終われば、マリオ君は自由に動けるようになる。あらゆる行動を、大勢の警官に見られてしまうことになるけど、どうかこらえて受け入れてほしい」

 済まなそうに国刀に言われて「全然平気」とマリオは答える。強がりではなく、フルタイム監視が本当にマリオは苦にならない。着替えや入浴や排泄はもちろん、自慰すら平気でできてしまう。きっと幼い頃に、数万人の魂を、自分の中に取り込んだ経験があるからだろう。

 ただし、ミカリと一緒にいる時は別で、絶対に覗かれたくないと思う。二人で話したり食べたりしているのを、撮られてしまうことは耐えられない。特にセックスしている映像を、国刀や、国刀の部下たちや、上層部の官僚たちに見られることになると思うと、激しい怒りが込み上げてきて頭が真っ白になってしまう。

僕だけが知ってる君の姿を、他の誰にも見せたくない。

 監視生活が始まった日の夜に、思い詰めてそうメッセージしたマリオは、「ばか」とミカリに呆れられる。

一度か二度の録画画像があれば、
AIアプリで無数のバリエーションを作れるんだから、
さっさと済ませた方がいいのに。
必要な素材なんだし、我慢にも限界があるでしょう?

 と冷静なリプライをもらってしまう。それで半ば意地になってマリオはミカリに会おうとしない。言う通りなのだと分かっていても、嫌なものは嫌で、どうにもできない。抱きしめたい、キスしたい、という気持ちが昂ぶって狂おしくなると、馬からもらったバイクに跨がり、思い切り飛ばして発散する。今夜も駐車場へ行き、エンジンをかけ、夜の街に飛び出していく。

 マンションを出てすぐ、バックミラーに公安の尾行車が映り込む。構わずそのまま首都高に乗り入れ、ギアを落としてアクセルを開く。深紅のボディが空気を切り裂き、スピードメーターが150キロを超える。ミラーの中で尾行車がどんどん小さくなっていく。いいさ、どうせGPSをつけられてるんだ、と思ってさらに加速する。

 内回りで二周サーキットして、ようやく昂ぶりが落ち着いてくる。続けて三周目に入ろうとした時、頭の中で、ぎいぃぃぃいいん、という振動音が鳴り響く。ルカが発するアラームだ。びっくりしてマリオはアクセルを緩める。視野の左端でルカが叫ぶ。

『魂の殺戮兵器』がある!
たった今、遠くない場所で使われている!

 え? 青いライフルか?公安の倉庫から盗まれたのか?
 銃器類じゃない、刃物だ、とルカが答える。『陰陽魚』に近いものだが、凶々しさのポテンシャルの桁が違う!青いライフルを上回っている!ぎぃぃぃいん、とまたアラームが鳴って、背筋を悪寒が突き抜ける。また使われた、これ以上やらせちゃいけない!切迫した口調でルカが言う。

「わかった、止めてやる、ナビしてくれ!」声に出してマリオは言い、改めてバイクを加速させる。ルカの指示に従って次のインターで高速を降り、首都の南の端へ向かって一般道を走り抜ける。

 やがてバイクは通称〝居住区〟と呼ばれる場所にさしかかる。他国で発生した戦争や飢餓や災害の難民たちを、数年前から政府が受け入れ、暫定的に住まわせているエリアだ。警察の手が入りにくいため、社会的にドロップアウトした人々や不法入国者が流れ込み、全体的にスラム化が進んでいる。老朽化したタワーマンションや集合住宅の中で、凶悪なギャングチームが形成されている、という噂もある。

「ガサ入れしたいのは山々なんだが、住人たちから要請がないので、巡回パトロールしかできない状態が、もう何年も続いてるんだ。住人たちはギャングに脅されて黙らされていると私は踏んでいる。ブラックハッカーの集団もあそこに潜伏している可能性が高いと、サイバー犯罪担当の後輩が前に言っていた」以前、国刀から聞かされた話を、流れすぎていく荒んだ街並みを見ながらマリオは思い出す。

 あそこだ、と先端が見えてきたツインのタワーマンションをルカが指差す。しばらく走って敷地に入り、エントランスの傍にバイクを停める。北塔の最上階フロアの奥だ、とルカが言う。そこに『魂の殺戮兵器』がある、またすぐ使われそうだ、急いでくれ!ヘルメットを脱いでミラーに引っかけ、入口へ向かってマリオは走る。

 オートロックは機能しておらず、簡単に中に入れてしまう。玄関ホールは照明が半分しか灯されておらず、不穏な雰囲気が漂っている。停止しているエスカレーターを駆け上がり、ロビーの奥にある高速エレベーターに乗って、最上階のボタンを押す。ドアが締まってエレベーターが動く。

 上昇に合わせて心臓の鼓動がバクバクと急激に激しくなる。『魂の殺戮兵器』がある、近づいている、とはっきり分かる。どんな状況で、誰によって、使われてるのか分からないけど、やるべきことは決まってる───紅い拳銃の金色の炎で撃って、『再構築』して無害化する。それで不法侵入になったとしても、国刀がどうにかしてくれるはずだ!

 最上階でエレベーターが止まると同時に、ドアの向こうに威圧感を感じる。二人いる、とルカが教える。ひゅう、と息を吐き、身構える。ドアが開いて、SPのようなスーツを着込んだ白人が二人いるのが見えてくる。ギャングじゃない、と思って意表を突かれる。持っていた警棒を、がちっ、と伸ばして手前の男がマリオに向ける。もう一人がエレベーターに乗り込み、マリオの腕を摑みにくる。

 体の中で拳銃の力を開放して巡らせるんだ、と視野の左端でルカが言う。言われたことをそのまま念じる。じゅわっ、と全身が熱くなって、すべての感覚が加速する。ぐぐっ、と動きがスローモーになった手前の白人の腕をすり抜け、奥の白人の警棒をさばいて、エレベーターの外へ出る。

 広くて長い廊下の奥に両開きのドアがあり、その脇にもスーツ姿の白人が二人立っている。あいつらは拳銃持ってるぞ、と視野の左端でルカが言い、彼らがすでに懐から銃を抜こうとしているのをマリオは見る。ダッシュして走り、二人が銃を抜き切る前にドアの前へ着く。左側の白人から拳銃を奪い、銃口をドアのラッチに押し当て、全弾撃ち込み、蹴り開ける。

 ダイニングとリビングの間仕切りを無くし、ぶち抜きの構造に改装してある、広々とした室内にマリオは入る。そして一番奥のオフィススペースの、大きなデスクの前に立つ、一人の人物が目に飛び込んでくる。

 最初は若い白人の『女』だと思う。体のバランスが非現実的で、頭がとても小さくて、腕と脚が驚くほど長く、骨格としては細長いのに胸や腰にはボリュームがあって、青みがかった白い肌の透明感が凄まじい。プラチナブロンドの癖のない髪が、顎下の長さで切りっぱなしのショートボブにされている。アーモンド型の目の中で水色の瞳が鮮やかに映え、鼻は高くてすっきり尖り、ローズレッドに光る薄い唇がきゅっと引き結ばれている。

 白いジャケットとブルーのシャツとグレーのパンツを身に纏ったその人物は、造形的には間違いなく女、それも一種異様な美しさを備えた女性であるにも関わらず、〝あれは男だ〟と直観的に感じてしまってマリオは戸惑う。認識が二つにバリッと裂けて、激しい目眩めまいに襲われる。間違ってない、男でもある、と視野の左端でルカが言う。あれは、生まれながらに両方の性を宿している人間だ。

 ああ、うわ、そうなのか、とクラクラしながら彼/彼女の右手にマリオは目を移す。大きなつるぎを持っている。1メートルほどの長さの直刀で十字型の鍔クロスガードがついている。中世の騎士が使っていたクルセイダー・ソードによく似ている。そして全体が紅い拳銃と同じ色───深紅に染め上げられている。
 
 あれが『魂の殺戮兵器』だ!五百年で七千人を斬り殺している!
 ルカが叫ぶ。同時に彼/彼女に集中していたマリオの認識の呪縛が解け、部屋全体の情報が頭になだれ込んでくる。

 彼/彼女の奥にある、壁際に置かれた大きなデスクで、椅子に座って中華系の中年男が死んでいる。首の左側から右胸の下まで斜めに斬られて絶命しており、大量の血飛沫が天板にぶちまけられている。デスクの横や手前の床には、四人の若い男が倒れている。全員が血溜まりに突っ伏していて一人も息をしていない。

 そして彼/彼女の周りの足元に、三人の少年が倒れている。全員が中学生くらいの年齢で、体をあちこち切り裂かれている。さらにもう一人、小学生くらいの男の子が、壁際に座り込んで震えている。華奢な体格で、髪が短く、黒縁の眼鏡をかけている。その子の顔に、彼/彼女が紅い剣の切っ先を向けている。

 殺戮の現場を目にしたショックで、紅い拳銃がマリオの右手から反射的に飛び出してしまう。大きな血の塊が掌から現れ、SPから奪った拳銃を押しのけ、リボルバーのフォルムに瞬間的に変化する。同時に感覚の加速が解除され、スローモーションだった周囲の動きが一気に元の速さに戻る。濃密な血の臭いと断末魔の残響が堰を切って押し寄せてくる中、マリオは思考をフル回転させて、眼の前の状況を整理する。

 この部屋は死んでいる男たちの住居で、白人たちは侵入者で、〝居住区〟に巣食っているギャングたちとは無関係な連中だ、何かを奪いにここへ来た、でも抵抗されたから皆殺しにしたっていう感じじゃない、そうではなくて───。

「近づいてきてたのは分かっていたよ」と、紅い剣を男の子に向けたまま、滑らかな日本語で『彼/彼女』が言う。その声は銀で作られた鈴の音のように涼やかだ。「ふうん・・・そうか・・〝魂の再構築〟をあちこちでしてたのは、君なんだね?」『彼/彼女』がマリオの顔を見る。目が合った瞬間に、ぞわっ、と全身が総毛立ち、近づいただけで即死するような猛毒を宿した人間であることが、一瞬でマリオに伝わってくる。初めてガルシアの亡霊を見た時でさえ、これほどのおぞましさは感じなかった───一体何者なんだろう?

 室内に飛び込んできた四人のSPが背後からマリオに飛びかかる。「いいからジャス・リーヴィ」と彼/彼女が英語で言って、SPたちの動きを止める。それから左手を差し出して、こっちへ、とマリオに手招きする。ごくり、と唾を呑み、マリオは歩く。ダイニングとリビングを歩いて抜けて、オフィス・スペースに入って止まり、三メートルの距離を置いて彼/彼女と向かい合う。そして八人の大陸系のギャングたちの死に様を確かめ、やっぱり、と思う。

 デスクで死んでいる中年の男は、右手にナイフを握っている。それで首から脇腹にかけて自分を斜めに切り裂いている。周りで死んでいる男たちも拳銃で互いを撃ち合っている。三人の少年たちも、デスクの上にあったペーパーナイフやペンや置物で殺し合いを演じている。

 怒りで腹を熱くしながら、マリオは彼/彼女を睨みつける。この人たちは『魂の殺戮兵器』としての紅い剣の力を振るわれ、殺し合いをさせられたんだ!彼/彼女が紅い剣を男の子から外してマリオに向ける。

「僕はクロエ。クロエ・デーモン。君は?」穏やかに名乗って訊いてくる。声を震わせてマリオは答える。「草薙、マリオ」クロエが微笑み、小さく頷く。「マリオ・クサナギ───うん、覚えた」来るぞ、と視野の左端でルカが言う。ぎりっ、とマリオがグリップを握る。

 紅い拳銃を振り上げてマリオが引き金を引くと同時に、紅い剣を体の前でクロエが斜めに振り上げる。銃口から吹き出した金色の炎と、剣から放たれた漆黒の炎が、ぶつかりあって四散する。金と黒の見えない火花を浴びて、その場にいた二人以外の全員が失神してしまう。リビング・スペースで待機していたSPたちは、なぎ倒されるように床に転がり、壁際の男の子は体を捻ってうずくまる。マリオもクロエも揺らがない。見つめ合って対峙する。

「君の『殺戮兵器』も紅いんだね」微笑みながらクロエが言う。「違う!僕は殺さない!」叫んで答えてマリオが撃つ。金色の炎が撃ち出されてクロエの体を包み込む。「このまま剣と魂の、両方を『再構築』してやる!」マリオが炎の火力を上げる。体の表面を覆っている魂の膜を焼かれながら、クロエが剣を胸の前でまっすぐ立てて抱きしめる。するとブレードから漆黒の炎が吹き出し、金色の炎を弾き飛ばす。

 うそだろ、とマリオは目を瞠る───『再構築』の炎が打ち消された!
 クロエがその場にしゃがみ込む。さすがに今ので消耗したらしく、青ざめて目を伏せ息を切らす。透明感の増した凄みのある表情に、思わずマリオは見入ってしまう。今だ!というルカの声を聞き、我に返る。弾かれたように壁際へ走り、失神している男の子を抱きかかえて出口へ向かう。

 ドアを押し開けて飛び出し、廊下を走り、高速エレベーターに乗ろうとした時、遠く離れた部屋の中でクロエが立ち上がる気配がする。ヤバい、と思いつつ、エレベーターに乗り込み、男の子を下ろして拳銃を構える。『魂の殺戮兵器』から撃ち出される炎はあらゆる障害物を貫通する、紅い拳銃にも青いライフルにもできた、あの剣にだってできるだろう、と思った瞬間、部屋の中で殺気が放たれる。

 動き始めたエレベーターのドアに向かってマリオは撃つ。直後にすべての構造物を貫いてきた漆黒の炎を、金色の炎がブロックする。高速で下降し続けているマリオに対して、恐ろしく狙いが正確だ。クロエの中にもルカのような存在がいて、攻撃をナビをしているのかもしれない、と何度も何度も飛んでくる炎を迎え討ちながらマリオは思う。確実にいる、とルカが言う。俺やガルシアと同等か、それ以上に強力な〝何か〟が憑いているのは間違いない、でないとこんな〝狙撃〟はできない。

 一階に着いてエレベーターから飛び出し、男の子を背負ってホールを走る。エスカレーターを駆け下り、エントランスを出て、バイクの傍に男の子を座らせる。体を揺する。全然起きない。まだ来るぞ、とルカが言う。紅い拳銃を振り上げて頭上を撃つ。銃口の一メートル先で二つの炎がぶつかり合う。

うわっ!」と叫んで男の子が起きる。今の〝衝突〟の衝撃波で魂を揺さぶられたらしい。マリオを見てギョッとし、後ずさる。「君を助けて外まで連れてきたんだ、上から狙われてる、バイクで逃げよう」と日本語で言うだけ言ってから、ヘルメットをかぶりエンジンをかける。男の子は動かない。躊躇している。

赶紧急いで!」と馬から聞きかじった大陸の言葉でマリオが急かす。それで男の子がハッとして、状況を飲み込み、シートに跨がる。男の子が背中に抱きつくと同時にギアを落としてバイクを出す。ギロチンのように落ちてくる漆黒の炎をかわしながら、急加速してタワーマンションの敷地の外へバイクを出す。それから二百メートルほど道路を走って、ようやく炎が来なくなる。どうやら諦めてくれたらしい。ため息をついてマリオはクセルを緩める。

 赤信号で停まったところで「お前、誰?」と男の子が訊く。日本語だ。よかった、会話ができる。「何しにあの部屋へ来たんだよ?今からどこへ連れていく?」ムチャクチャ警戒されてるな、まあ、飛び込んできた知らない奴についてきたわけだし、当然か───そう思って、できるだけ穏やかな声でマリオは答える。「大丈夫、心配しなくていい。とりあえず安全な場所へいこう」

 男の子の声のトーンが低くなる。「警察へ行くのか?」え、とマリオが振り返る。国刀や公安の刑事たちをイメージした瞬間のニュアンスを感じ取り、「你一定是在开玩笑冗談じゃない!」と男の子が叫ぶ。シートから飛び降り、走って逃げる。「待って!」とマリオが追おうとした時、信号が変わってクラクションが鳴らされる。

 交差点を渡って歩道に乗り入れ、バイクから降りる。もう姿が見えない。仕方がないな。スマホを取り出し電源を入れて国刀をコールする。男の子のことはもちろんだけど、『魂の殺戮兵器』を持っていて〝再構築〟を知っている人間が、首都にいて殺人を犯してることを知らせなければ。

 クロエ・デーモン───二つの性を体に宿した非現実的な美しさと、ありえないほどの邪悪さを、呼び出し音を聞きながら思い出す。生まれて初めて他の人間を〝怖い〟と思って、マリオは震える。


<続く>

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木葉功一
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