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「マリオガン~THE END OF VIOLENCE~」第1部・1章「マリオ」

1・マリオ

 草薙マリオには十歳までの記憶がない。気がつくと都心のマンションで家政婦のビアンカに世話されている。父親はいない。母親もいない。家族が誰も傍にいない。でも寂しいとは思わない。マリオは独り身で満ち足りている。

 母親が画家であることをビアンカから聞かされる。画集を何冊も見せてもらう。知らない土地の知らない景色と知らない人たちが描かれてる。色彩の深さと鮮やかさとイメージの豊かさにゾクゾクする。すごいすごいと何度も見返し夜になっても手放さない。「僕も描きたい!」と夜御飯を食べつつ目を輝かせてビアンカに言う。

 次の日彼女がスケッチブックとペンタブレットを出してきて、鉛筆と絵の具と画像ソフトの使い方を教えてくれる。さっそくマリオは描いてみる。母親の絵を真似てみる。もちろん描けない。メチャクチャ下手だ。でも嫌にならない。どんどん描く。線と水の扱い方が少しつづ分かってくる。

 「周りにある物を描いてみたら?」とビアンカに言われてすぐに試す。自分の左手をデッサンしてみる。良い感じに描けて嬉しくなる。コップやビンやナイフやフォークやスプーンや椅子をデッサンする。水彩で全部に着色してみる。良い感じに塗れてすごく嬉しい。鏡を見ながらタブレットを使って自分のポートレートを描く。椅子に座ったビアンカの全身像も描く。色味や塗りのタッチを変えたバリエーションを作ってみる。面白すぎて止められない。食事を忘れて没頭しペンを握って寝落ちする。

「そろそろ勉強を始めましょう」と二枚のポートレートを完成させた次の朝にビアンカが言う。「勉強って何?」と朝御飯のサンドイッチを頬張りながらマリオが訊く。「社会へ出るためのミッションです。絵を描き出したら始めるようにお母さんから言われてます。来年の春からは学校です」「学校?何それ?」「社会生活をシュミレーションするために子供が入る大きな〝箱〟です」出るために入る箱かぁ、変なの、と思ってカフェオレを飲む。

 五人の家庭教師が日替わリでマンションにやってくる。小学校四年生までのカリキュラムを消化する生活が始まる。月曜は国語で主語と述語と修飾語の使い方、火曜は算数で掛け算・割り算・分数と三角形や四角形の性質、水曜は理科で日本の自然とそこで生きてる動物たちの生態、木曜は社会でざっくりした歴史と都道府県の名前と場所、金曜は体育で近くの競技場で短距離走とマラソンの走り方を学ぶ。

 次から次へと出される課題をクリアするのが面白い。でも楽しさがどくどくと吹き出してくる絵の面白さにはかなわない。勉強が休みの土曜と日曜は夢中になって描きまくる。

 飛ぶように秋と冬が過ぎて十一歳になり春を迎える。近所の小学校に転入して五年生のクラスに編入される。同年代の子供たちとの集団生活にたった一日でマリオは慣れる。情緒が恐ろしく安定していて何を言われても機嫌が良い。あまりにも屈託がなさすぎてクラスメートたちが気味悪がる。

「性格良すぎてキモいよね」「急にキレそう」と裏で言われる。「どうもあの子は自分と他人の境界線が薄いように感じます」「乳幼児みたいに〝開いてる〟っていうか」「きっと記憶喪失の影響でしょう」と教師たちの間でも噂になる。

 だからといって虐められることはなく、情緒障害児とも見做されない。そういう次元の話じゃないと実は誰もが分かっている。〝サイズの違い〟のせいだと知ってる。マリオの中にはでかいものがある。

 ある日国語の作文の授業で〝将来なりたいもの〟という題を出されて『星になりたい』と書いてしまう。は?何これ??とびっくりする。深いところから言葉が出てきた。全然意味が判らなくてその後が書けなくなってしまう。

 「進まなくなったら一回消して、作文の内容を変えましょう」と机と机の間を歩いて見回りながら教師が言う。何人かが消しゴムを使い出すけどマリオは消さない。これでいい、あってる、まだ分かってないだけ。でも〝星になる〟ってどういうことだ???

 そう思った瞬間、ばん、と何かが自分の中で爆発し、球形の衝撃波が教室を突き抜け、校舎全体に広がって、さらに拡大する感覚に襲われる。うわっうわ、えええ、今の何???鳥肌を立てて呆然としてると、チャイムが鳴って授業が終わり作文が回収されてしまう。

 放課後一人だけ居残りになる。やっぱり書けなくて原稿用紙を睨む。初めて見せるマリオのこだわりに教師が配慮してフォローを入れる。「星になるってどういうことか、それだけ書いてくれればいいから」パッとマリオが顔を上げ、瞳の底を光らせて言う。

「分からないことは書けません。嘘をついたら星になれなくなる───あっ!」自分の言葉で何かを閃き、かかか、と鉛筆を走らせる。立ち上がって原稿用紙を教師に渡す。そこにはこう書いてある。

『僕は星になりたいです。
でも、それがどういうことで、何をすればなれるか、わかりません。
だから、その謎を解く人になります』

 それからの日々をこの誓いに忠実に従ってマリオは生きる。

 小学校を卒業し、中学校に入学してすぐ、美術部と陸上部に勧誘されて入部し、どちらも三日で辞めてしまう。部活動という枠組みがあまりにも狭くて〝星になる邪魔になる〟と感じたのだ。これまで通りに自宅で絵を描き、競技場や街路を走っている方が、晴れ晴れ自由で気持ちが良くて、技術や能力がどんどん高まる。〝星になる〟ことの謎を解く鍵は〝ひとりでいる〟ことにあると心に刻む。

 そんなマリオは中学校という〝箱〟の中で浮きまくる。小学生の時以上に異物として悪目立ちしてしまう。上級生を含めた一部の男子が虐めようと寄ってくる。彼らはマリオのおおらかさっぷりに〝返り討ち〟に合ってしまう。どんなに脅したり馬鹿にしたりしても上機嫌に反応され続けるせいで、威嚇的な空気を保てなくなり、最後には仲良くなってしまう。

 だからといって仲間や友達の関係へは進めない。マリオの感情のサイズが大きすぎて男子たちの感情と噛み合わず、どれだけやり取りを積み重ねても親密な関係性が育たないのだ。

 悔しくも物欲しそうな目つきで男子たちが見ているマリオのことを、上級生を含めた一部の女子たちが好きになって告白する。その全員を家に呼んでマリオはモデルにしてしまう。水彩画や油絵やデジ絵に描かれて彼女たちはことごとく失恋する。悪意も友情も恋も届かない。誰にもマリオは掴めない。

 しかしそんなアンタッチャブルな状況は中学時代いっぱいで終わりを告げる。高校生になったその日にマリオの世界は激変する。

 入学式が済んだ後、講堂の外へ出たところでマリオは一人の少女と出会う。すれ違って体が激しく震え、衝撃でしばらく棒立ちになる。ひゅう、と止まっていた息を吸い込み、振り返って校舎の方を見る。少女の後ろ姿が昇降口の影の中へ消えていく。追いかけようとして踏み留まり、すたたた、とその場で足踏みしてから、駅まで走って電車に乗ってマンションへ戻って部屋に飛び込み、スケッチブックを引っ張り出して目に焼きついている姿を描く。

 漆黒に光る艷やかな瞳、肩口までのストレートの黒髪、桜色に萌える唇、スレンダーとグラマラスが調和した体躯。誰なんだろう。名前を知りたい。

 次の朝、校舎の玄関脇で上級生に絵を見せて訊いてみる。五分かそこらで名前がわかる。二年生のあまねミカリ先輩。大企業の経営者一族の令嬢で、美術部の副部長だという。

 さっそく美術部に入部して昼休みと放課後に通い出す。〝枠に入らない〟〝ひとりでいる〟という星になるためのルールが吹き飛び、あれだけ安定していた情緒が激しく乱れ、息が詰まって胸が苦しい。何が起きているのか判らない。「こんなマリオさんを見るのは初めて。どうしたの?」とビアンカに訊かれても答えられない。

 入部して三日目の放課後にミカリが美術室に現れる。入ってきただけで部屋の空気が変わり、通った場所の明度と彩度が明るく鮮やかになってしまう。陶然としながらマリオは目で追う。一緒の部屋にいる間じゅう、心臓の高鳴りが収まらず、背筋のゾクゾクが止まらない。

 家へ帰って夜御飯も食べずにミカリの肖像画を描き始める。油彩とデジタルの両方で描く。毎晩徹夜し、授業中に眠り、昼休みと放課後は美術室へ走る。夢の中で生きているような一ヶ月をマリオは過ごす。直接ミカリの姿を見ながら描きたい気持ちがどんどん募る。

 五月の土曜日、部活のない日に、もしかすると、と思って美術室へ行くとミカリが一人で絵を描いている。いた、と思って息を呑み、呼吸を整えて室内に入る。ミカリの描いている絵が背中越しに見える。八十号の海景キャンバスの中で黒い馬が荒野を駆けている。

「あの」と思い切って声をかける。振り返ったミカリとカチッと目が合う。その衝撃で舞い上がってしまい、モデルになってください、と言うつもりで「つきあってください!」と叫んでしまう。

 え、あ、うわあああ、何言ってんだ!ていうか、僕ってそうだったのか!!と、またしても深いところから出てきた言葉に驚愕して棒立ちになってるマリオに、無感動な目をしてミカリが答える。

「嫌」

 恋を自覚すると同時に振られて、鈍器で殴られたような衝撃を受け、崩れ落ちそうになってる自分を、支えるためだけにマリオは続ける。

 「誰か好きな人、いるんですか?」ミカリは答えない。マリオは待つ。鼓動の音だけがしばらく響く。ペインティングナイフとパレットを作業台に置いてミカリが口を開く。「草薙君は、動物に恋をする?」「・・・は?」意味が分からない。ミカリが続ける。「ときどき綺麗な牡がいて、いいな、触りたいなって思う。でもそれは恋じゃない」「・・・・」「羊や牛に恋はしない」

 頭の奥で、きゅうっ、と変な音が鳴る。意味が分かった。「僕、動物ですか?」と確かめる。「人には見えない」即答される。ぐらりと再びよろけてしまう。踏み留まってどうにか訊く。「じゃあ・・・人間の、男って?」完全に正面を向いてミカリが答える。

「星みたいな人」
 耳を疑う。
「自分で自分を内側から燃やして、たった一人で輝ける人」
 あっ、と思わず声が出る。四年越しで抱えていた謎が解ける。
 〝星になる〟ってそういうことだ!

 自分の殻がぱっくり割れて開いたようにマリオは感じる。そして星───青い恒星のイメージが閃くように頭に浮かび、失っていた幼い頃の記憶の断片が蘇る。

 まだ四才か五才くらいの自分が、山の奥にある湖のほとりで、母親と一緒にキャンプをしている。時間は夜で、月はなくて、湖面に星空が映っている。焚き火の炎に照らされながら、深みのある声で母親が言う。「人間は星なの。ひとりひとりが星。太陽と同じことができるんだよ。でも、そうだと分かって生きてる人は、この世界にはほとんどいない」

 マリオの目から涙が溢れる。ミカリが近づいてきて目の前に立つ。「どうして泣くの?」まじまじと見つめる。頬に向かって右手が伸びてくる。指先の絵の具に気づいて止まる。ミカリの顔が近づいてくる。唇がそっと涙をぬぐう。

 マリオの口から吐息が漏れる。動物の子供か赤ん坊にしている感覚なのが伝わってくる。一歩下がって小首を傾げ、大丈夫かな、平気そうだな、という表情をミカリがする。背を向けてイーゼルの前まで戻り、パレットを持って絵を描き出す。それきり後ろを振り向かない。マリオは動けず突っ立っている。やがてのろのろと歩き出し、美術室を去る。

 学校を出て地下鉄の駅へと向かう。家とは反対方向の電車に乗る。ターミナル駅で降りて地上に上り、スクランブル交差点を渡る。街頭ヴィジョンに黒煙を吹いて燃える炎が映っている。どこかで火事が起きてるらしい。大勢が立ち止まって見上げているけど、マリオは見ない。どんどん歩く。知らない街を道なりに進む。

 真っ暗な空から大粒の雨が落ちてきて激しいスコールになる。ガード下に入って雨宿りする。歩道に座り込み、水しぶきを上げて走り過ぎていく車を眺める。ふいに立ち上がり、リュックからデッサン用のコンテを取り出し、ガードの壁面に絵を描き出す。

 ミカリの顔、瞳と唇、うつ伏せになった肩から胸元、横たわった腰と脚、と壁いっぱいに描いていく。十二本あったコンテがみるみる無くなり、彼女を囲んでいる動物たち───羊と牛と馬の頭を描いたところで尽きてしまう。真っ黒になった手で顔をこすり、座り込んで絵を見上げる。強烈な精気を放っている。ふふ、とマリオは笑ってしまう。

 赤ん坊かペットみたいに扱われて体の芯が甘く痺れた。星みたいに生きてる男が好きだと聞かされて心が震えた。振られてもっと好きになった。「そうだよ」と熱っぽい声で呟く。「モデルにしたいだけじゃない。抱きしめて彼女にしたいんだ」

 低い振動音が近づいてくる。雨のカーテンをくぐり抜けてバイクがガード下へ入ってくる。1000CCオーバーのアメリカンが減速してマリオの横で停まる。フルフェイスのヘルメットのバイザー越しにライダーの男がこっちを見る。びっくりしてマリオは身構える。自分と壁の絵の両方を見てる。体つきが物凄く大きい。2メートルは超えていそうだ。

 男がエンジンを切って話しかけてくる。「お前が描いたのか?」マリオは頷く。「誰だこれは?」更に訊かれる「好きな先輩」素直に答える。ハッ、と声に出して男が笑う。「こんな女を好きになるのは、同じ種類の男だけだ。お前は違う。嘘をつくな」

「嘘じゃない!」叫んでしまう。男がヘルメットを脱いでマリオを見つめる。スキンヘッドで鷲のような顔つきをしている。鼻が大きくて鼻梁が高い。水晶みたいな目をしている。心を覗かれているように感じる。

「・・でかいな」と男が呟く。「お前、どうしたいんだ?何になりたい?」訊かれて反射的にマリオは答える。「星になりたい。自分で自分を燃やして、光って、先輩と並んで輝きたい!」愉快そうに男が笑う。「それは、怪物になるってことだぞ。分かってるのか?」

 怪物?分からないよ。首を振る。「家族も友達も仲間も持てず、人間社会から弾き出され、燃え尽きて死ぬまで一人きりってことだ。それが星の一生だ。惑星たちとは関われない。それでもなりたいと思うのか?」青く輝く星のイメージが再び鮮やかに脳裏に浮かぶ。マリオは答える。「なりたい。構わない!」「・・・・」

 男が右手で手招きする。ガードレールを跨いで車道に降り、オートバイの横に立つ。ライダージャケットの内側に手を入れ、男が脇の下から何かを抜き出す。それは古いスタイルのリボルバー拳銃で、紅く塗装されている

 は?何?モデルガン?差し出されてマリオは受け取ってしまう。ずっしりと重い。本物だ。「弾丸はない。必要ない。使い方は銃に教われ」それ、どういう意味、と訊きかけて息を呑む。男は血を流している。ライダージャケットの背中に穴が開いてる。撃たれた痕のように見える。シートに血が滴っている。心臓がバクバクと脈打ち出す。

 パトカーのサイレンが近づいてくる。ヘルメットを被りながら男が言う。「星になれ。銃に喰われるなよ」エンジンをかけギアを落として男がバイクをスタートさせる。急加速して雨の中へ飛び出す。入れ違いにパトカーの列が入ってきて、マリオの目の前を走り抜ける。追いかけてガードの外へ出ると同時に周囲が光って明るくなる。

 警察のヘリコプターが上空でサーチライトを使ってる。プロペラの轟音が鳴り響く中、白く光る雨に打たれながら、遠ざかっていくパトランプをマリオは見つめる。「喰われるなって、どういう意味だよ?」大声で言って右手を見る。紅い拳銃の艷やかなボディが雨の雫を弾いている。

 マンションに戻った時には夜の九時を回ってて「遅くなるならメッセージしなさい!」と玄関先でビアンカに怒られる。冷え切った体をシャワーで温め、リュックを部屋に置き、リビングへ行くと、黒煙を吹き上げて燃えているビルがテレビの画面に映っている。

「中央証券取引所が爆破された事件の続報です」とニュース番組のアナウンサーが言う。街頭ヴィジョンで見た火事はこれだったんだな、と腑に落ちる。奇跡的に死傷者は出てないらしい。

 防犯カメラが捉えた犯人の映像が映される。アメリカンタイプの大型バイクに乗っている。ヘルメットの顔がアップになる。さっきの男に間違いない。『動機は不明』『現在も逃走中』『都内に潜伏している可能性』とテロップが重なる。反政府勢力のテロかもしれない、と強張った声でコメンテーターが語る。

 そうか、あの男テロリストだったんだ、と考えながら、ビアンカが出してくれた夜御飯のビーフシチューとパンを食べる。自分の体験とニュースの両方にリアリティを感じられない。体がだるくなり朦朧としてくる。食べ終えてから熱を測ると八度五分を超えている。

 風邪引いちゃった。まあ引くよな。凄い色々あったし、雨にも濡れたし。薬箱に解熱剤を見つけて飲む。部屋へ戻ってリュックから拳銃を取り出しベッドに入る。シリンダーを頬に当てるとひんやり冷たくて気持ちがいい。これ持ってることが分かったら警察に逮捕されるかな、と思いながら滑り落ちるようにマリオは眠る。そしておぞましい夢を見る。

 叫びながらマリオは目を覚ます。全身に鳥肌が立っている。見たばかりの夢を思い出せない。ただ禍々しい感触だけが残っている。

 視界の隅で何かが蠢く。ドアの横に人影がある。ギョッとしてマリオは目を凝らす。若い男のように見える。金髪で褐色の肌をしている。青い目がこっちを見つめてる。誰だよあいつ?何なんだ?起き上がろうとするけど動けない。金縛りに遭ってしまってる。

 ああ怖い、怖い、気持ち悪い。再び眠りに引きずり込まれ、切れ切れに夢を見て目を覚ます。夢の中で繰り返し殺されたような感覚がある。馬のたてがみと硝煙と血の臭いを微かに覚えてる。目覚めるたびに男は近づき、今はベッドの脇にいる。身を乗り出して覗き込んでるその顔面は真っ黒で、二つの青い瞳だけがギラギラと光を放っている。幽霊だ、と慄きながらどうすることもマリオにはできない。

 失神したのか眠り込んだか、気がつくと朝になっている。カーテンの隙間からレモンイエローの爽やかな朝陽が差し込んでる。男の姿はどこにもない。消えている。良かったぁ、と思いかけハッとする。右手に握った紅い拳銃が、カチカチと微かに振動しながら薄桃色に光っている。

「どけ」

 と耳元で声がする。同時にマリオの顔が真ん中で、スパッ、と縦に裂けてしまう。裂け目は首から性器の先まで一直線に走っていく。両腕も両足も二十本の指も付け根からすっぱりと縦に裂け、その裂け目から押し出されるようにして別の肉体が現れる。マリオの体は脱ぎ捨てられて、ぐしゃぐしゃに畳まれて溶けてしまう。

 ベッドの上には血塗れの別人───ドアの横に立っていた金髪・碧眼・褐色の肌の男が、たった今生まれ落ちた赤ん坊のように横たわって朝陽を浴びている。体を失くしたマリオの意識は虚無の底へと沈んでいく。虚無の闇は宇宙空間に似ている。沈みながらマリオは〝ヴィジョン〟を見る。

 見えない、聞こえない、感じない。体がない、世界がない、闇しかない。でも自分がいる、存在している、闇を見ている。見えない、見たい、憧れがつのる。その高まりが闇を歪めて、圧縮していき、臨界点を超える。

 炎が生まれて起爆する、光が膨れて火の球になる。煌々と輝く星が、闇の中に生まれる。すごい、やった、星になれた。白く明るく光っている。見たいと強く憧れたのは、自分の輝きだったと知る。

 光は闇に含まれている、闇がなければ星にはなれない。自分の中には闇がなかった、丸ごとごっそり欠け落ちていた。金髪碧眼褐色の男がその欠落を埋めてくれた、まるで失った半身が戻ってきたように。怖くもなければ嫌でもない、ひとつになれてとても嬉しい。喜びが星の光を変える、白から金へと輝きが変わる───。

 マリオは目を開ける。開けることができる。自分の顔を触ってみる。鼻があり耳があり口がある。二つに裂けて溶け落ちたはずの顔が元に戻ってる。すぐ横に〝彼〟の顔がある。驚愕の表情でこっちを見てる。

 僕の半身、僕の闇。〝彼〟の名前をマリオは知っている。かつてどんなふうに生まれ、どんなふうに生き、どんなふうに死んだかを知っている。混乱している〝彼〟に向かって、微笑みながら話しかける。

「ありがとうルカ。僕と一緒に生きよう」


<続く>

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木葉功一
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