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マリオガン~THE END OF VIOLENCE~第1部・15章「虎白露(フー・パイルゥ)」

 翌日の朝、国刀からのメッセージがスマホに届く。

ブラックハッカーの女の子が見つかった。
馬に保護してもらっている。
すぐに〝再構築〟をかけたいので来てほしい。

 マリオはバイクを飛ばして『飛頭蛮』へ行き、最上階のVIPルームへ上がる。応接セットのソファで馬と国刀に挟まれるように、昨日〝居住区〟で助け出した男の子が座っている。良かった、とマリオは安堵する。「この子も見つけ出してくれたんだね、ありがとう・・で、ハッカーの女の子は?」馬と国刀が顔を見合わせ、男の子を指し示す。それでやっとマリオは気づく。ああ───この子だったのか!

 短い黒髪、黒縁のメガネ、荒んだ目つきと固い表情。着古したダウンジャケットとカーゴパンツ。分かった後でも女の子には見えない。「虎白露フー・パイルゥ、十三才。公安のサイバー犯罪対策課が最も逮捕に手こずった、超凄腕のハッカーだ」嬉しそうに国刀が紹介する。フーは床を睨んだまま顔を上げない。国刀が続ける。

「大陸の大国の警察に追われて、同年代の仲間たちと去年列島へ逃げてきたんだ。難民の認定証を偽造して、在留管理庁のチェックをすり抜け、クラッキングで日銭を稼ぎながら、首都圏の各地を転々としていた。検挙したのは半年前だ。仲間の少年たちと一緒に矯正施設へ送ったんだが、三日で脱走されてしまってね。それからは〝居住区〟の大陸系ギャングの元へ身を寄せ、ショバ代がわりにブラックサイトの運営を手伝ってたそうだ」

 語り終えて国刀が虎の顔を見る。変わらず床を睨んでいる。凄い才能と生命力だな、と思いながらマリオは挨拶する。「僕は草薙マリオ。よろしく」返事はない。俯いたままだ。国刀に向かってマリオは訊く。「で、クロエ・デーモンがギャングのアジトを襲った理由は分かったの?」

 その質問に虎が反応する。顔色が青ざめ体が震える。昨日の記憶がフラッシュバックしている、と視野の左端でルカが言う。虎の背中をさすってやっている国刀の代わりに馬が答える。「見当がつかねえってよ。突然マンションに押し入ってきて、この子以外の全員に向けて、紅い剣で斬るような仕草をしたら、ボスが自殺し、部下たちが撃ち合い、仲間たちが殺し合いを始めたんだと」やっぱり『魂の殺戮兵器』が使われてたな、と視野の左端でルカが言う。頷きマリオは眉をひそめる。クロエは何がしたかったんだ?

「〝見つけた〟って、言った・・」涙を浮かべて虎がつぶやく。「あたしを見て〝見つけた〟って・・・その後、みんなをおかしくした・・・何でもするからやめて、って頼んでも・・無視して・・・楽しそうに笑いながら!」
 ああ、そうか、とクロエの意図を理解してマリオは唇を噛む。「どうした?」と国刀が訊く。話せよ、と馬が目で促す。「・・この子の目の前で、仲間たちを殺し合わせることが、クロエの目的だったんだ」かつてガルシアがルカにしたことを思い出しながらマリオが言う。「この子の心を深く傷つけ、その上で紅い剣の炎で焼いて、憎しみと殺意を周囲に撒き散らす『殺戮兵器』に仕立てようとした」

「・・は・・?」虎が息を呑んでマリオを見上げる。
「拳銃や刀でなく人間を?そんなことができるのか?」驚いて国刀が問い質す。「できるよ」マリオが即答する。視野の左端でルカも頷く。「銃も刃物も使えねえこの子が、どんな『兵器』になるっていうんだ?」訝しそうに馬が訊く。「正確には『兵器』じゃなくて『メディア』だろうね」言葉を吟味してマリオが続ける。「世界中の人間の心と魂に暴力の連鎖の〝種〟をばら撒く、『殺戮のメディア』として機能する人間を、クロエは作ろうとしているんだ」

「何の話を・・してんだよ?」虎が三人の顔を見回す。混乱して表情が引きつっている。「そうか。インターネットか!」気づいて国刀が声を上げる。ハッハァ、と笑って馬も言う。「なるほどな!この子みたいなハッカーを集めて『殺戮のメディア』をネット上に張り巡らそうって魂胆か!」うん、とマリオが頷く。「ブラウザやアプリやサーバを通して、数百万、数千万の人間の魂を汚染する気だ」

おい!」と大声で虎が叫ぶ。「さっきからお前ら何言ってんだ?分かるように説明しろ!」三人がハッとし苦笑する。説明しようとする国刀を制してマリオが虎の前に立つ。「すまなかった」しゃがみこんで真摯な声で言う。「僕や、馬や、国刀は、クロエ・デーモンと同じように、特殊な兵器と合体して、体に入れてる人間なんだ」は???となった虎の顔の前に、右手をかざして紅い拳銃を出す。血の塊が現れて瞬時に拳銃のフォルムを取る。「我的妈呀うああっ!」と虎が叫んでのけぞる。馬も国刀もマリオに倣い、右手から紅い拳銃を出してみせる。驚愕のあまり固まってしまった虎に、静かな口調でマリオが続ける。

「何を言われても、見せられても、すぐには信じられないと思う。だから、僕の記憶を───こうなるまでの出来事を、君の頭に移植させてほしい。目眩が出るだけでダメージは残らない。君が何に巻き込まれているのか、一瞬で理解できるから」虎がマリオの顔を見すえる。瞳の奥を覗き込む。マリオも目を逸らさない。「・・・あんたの記憶を・・俺にインストールする、ってことか?」マリオが頷く。虎がため息をつく。腹を決める。「わかったよ。やってくれ」マリオがホッとし、馬と国刀が拳銃を体の中に戻す。

「じゃあ」と言って、マリオが自分のこめかみに紅い拳銃のバレルを刺す。虎が絶句し、目を瞠る。がちり、撃鉄を引き起こしてシリンダーに記憶を装填する。バレルを引き抜き銃口を虎に向ける。虎の表情が恐怖で引きつる。「リラックスして。目を閉じて」虎が吐息を漏らす。目を閉じる。マリオが拳銃をのバレルを虎の額に突き刺し、引き金を引く。「あ」と虎が声を上げびくびくと体を震わせる。銃口を通してマリオの記憶が虎の脳内に流れ込む。同時に、吸い上げられた虎の記憶がマリオの中に入ってくる。想定外のことにマリオは驚く。
 凄い!ゼロ距離で記憶を撃ち込むと、こんな現象が起きるのか!
 そして虎の過去───前に国刀が言っていた〝虐待経験〟の全貌をマリオは知る。

 列島の対岸にある大陸を支配する大国の首都で虎は生まれた。両親はサイバー犯罪者だった。十数人でチームを組み、犯罪シンジケートから依頼を受けて、大企業や資産家から情報や金や不動産を騙し取り、ダークウェブのマーケットで売り捌いて暮らしていた。両親の才能を受け継いだ虎は、早くからハッカーとしての素養を見せた。五才でプログラムを組めるようになり、六才でハッキングアプリを作って大企業のサイトへ侵入してみせた。

 仲間たちは驚き、両親は喜んで、ハッカーとしての英才教育を本格的に施した。それから一年で虎はチームのメインアタッカーとなり、名指しでシンジケートから仕事を依頼されるまでになった。犯罪を犯している自覚は無かった。ゲームとすら思っていなかった。情報を盗めば盗むだけ、両親に褒められ、仲間に評価されることが嬉しかった。ハッキングは虎にとって喜びであり、愛を得るための行為だった。この楽しくて充実した毎日を永遠に続けたいと思っていた。

 もちろんそんなことはありえなかった。終わりは九歳の夏に訪れた。警察にアジトを急襲されてチームの全員が逮捕された。虎を含めた三人の少年たちと、両親や大人のメンバーたちは、別の輸送車両に押し込まれて運ばれた。

 虎たちが連れて行かれたのは軍の秘密施設だった。彼らは処罰されることなく、北の大陸の大国や、西の諸国連合の政府機関にハッキングを仕掛けるサイバー部隊に配属された。上官となった女将校から、今後は国家のために働いてもらう、逆らえば別場所に勾留している大人たちを拷問にかけると脅された。成果を上げれば君らと大人たちの両方の罪状が軽くなる、無罪になることすら可能だ、と言われた。従うしか虎たちに道はなかった。毎日毎日、他国の政府や大企業や大学の施設に対してサイバー攻撃を仕掛けさせられた。あらゆる分野の研究施設をハックし、データを盗んでシステムを壊した。全員を自由にするために彼らは必死に働いた。

 その状況が虎の才能を爆発的に開花させた。軍用の最新デバイスと、ターゲットである大資本組織のファイアウォールの堅固さが、虎の潜在的なスペックを限界まで引き出し磨き上げた。半年後、たった十歳で部隊最強のアタッカーとなった。喜びと愛を得ていたモードでは絶対に到達できないレベルだった。ミッションを成功させるたびに女将校が両親たちの減刑状況を教えてくれた。全員を無罪にして解放できる日も遠くない、ということだった。良かったな、と優しげに微笑みながら将校が言った。

 虎の心を違和感が走り抜け、全身から血の気が引いた。目をギラギラさせながら青褪めた顔で警察庁のホストコンピューターをハックした。思った通り両親や大人のメンバーたちの逮捕記録は見つからなかった。虎と少年たちの記録もなかった。全員の戸籍が抹消されて存在しないことになっていた。減刑も釈放も嘘だった。両親たちも同じ嘘をつかれて別の施設で働かされていた。最初からサイバー戦略の〝捨て駒〟として使い潰す目的で虎たちは拘束されたのだ。最終的には全員を殺害することが決められていた。

 許せない、許せない、許せない───心の奥がざっくり裂けてマグマのような怒りが吹き出し、虎に復讐は復讐を決意させた。痕跡を残さずに暗号化したメールを両親に送って状況を伝え、仲間の少年たちとも示し合わせて脱走の準備を整えた。シンジケートに連絡をつけて全員のパスポートの偽造を依頼し、列島への逃走ルートを確保した上で施設のシステムを破壊した。ホストコンピューターにウイルスを走らせ、あらゆる機能を麻痺させると同時に、ハッキングを仕掛けたすべての政府や企業や大学に、攻撃の履歴をメールして自国の犯罪を暴露した。

 軍人たちが混乱している隙をついて両親たちと合流した。車両部へ行き、トラックを奪って、ゲートを突破し施設から逃げた。一年半ぶりの外の世界は冬で、雪に覆われ輝いて見えた。トラックを捨ててバンに乗り換え、丸一日走って海へ向かった。シンジケートの人間が待つ貨物港にたどり着いたのは深夜だった。そこで全員分のパスポートと金を受け取る段取りだった。しかし埠頭で彼らを待っていたのは軍の一個小隊だった。シンジケートが裏切っていた。先に降りた大人たち全員射殺された。虎の父親も頭を撃たれた。

 運転席にいた母親が叫びながらバンを発進させた。他に車内に残っていたのは虎と少年三人と二人の女性だけだった。小隊が一斉射撃をかけてきた。ボディを穴だらけにされながらバンは倉庫街へ逃げ込んだ。二人の女性は四人の子供たちを庇って穴だらけになって死んでた。母親も腹を撃たれていた。ダッシュボードからペンを取り出し虎の掌に何かを書いた。ここへ行って〝虎の娘だ〟と言いなさい。お前たちは逃げて生きるんだ。四人が降りたのを確かめてから母親がバンを走らせた。追ってきた軍の車両の前に囮になって飛び出した。呆然と虎は見送った。声も涙も出なかった。起きたことを受け止めきれなかった。少年たちに引きずられて港を離れた。

 母親が書いたのは捕まる前に住んでいた場所の近くの住所だった。行ってみると大きな煙草屋だった。言われたとおりカウンターの老婆に〝虎の娘だ〟と告げてみた。老婆から鍵と別の住所を書いたメモを渡された。そこにあるマンションの一室に入れた。両親が用意していたセーフハウスだった。ハッキングができるスペックのパソコンやスマホとある程度の現金が置いてあった。それは列島へ逃げる段取りを組み直すのに十分すぎる環境だった。

 少年たちは安堵して笑った。パソコンを立ち上げ起動画面を見ながら虎はボロボロと涙を流した。号泣しながらマシン環境を構築し、クラウドストレージの隠し部屋から必要なマルウェアをダウンロードし続けた。恐怖が怒りに、悲しみが憎しみに、絶望が力に裏返った。誰も信じずどんな組織の言いなりにもならないと心に決めた。自分だけの力で自分と仲間の命を守ると虎は誓った───。

 互いの記憶を〝インストール〟し終えてマリオが拳銃のバレルを引き抜く。虎がソファにもたれて情報爆発のインパクトに身を震わす。マリオも虎の大陸での過去に強いショックを受けてしまう。確かにこれは国家から受けた凄まじい〝虐待〟だ、トラウマになったっておかしくない。

 クロエ・デーモンの目的を理解した虎が口を開く。「・・・・そっか・・・俺・・ウイルスのキャリアみたいなものに・・・されるところだったんだ・・・俺を傷つけ、怒らせ・・・憎ませるためだけに・・・あの女は、あそこにいた全員に・・殺し合いをさせたんだな?」マリオが頷く。「そうすることで〝魂の再構築〟とは真逆の───〝魂の崩壊〟を世界中に連鎖させたがってるんだと思う」

 ふ、ふふ、ふふふふ、ふ、と切れ切れに虎が息を漏らす。笑っているように聞こえるが表情は怒りに満ちている。「大陸の政府と同じことを・・・しやがった・・・绝对不是絶対に許せない・・・杀死你ぶっ殺してやる・・・」体を起こしてマリオを見る。両目がギラギラ底光りしている。「お前らを手伝ってやる・・・あの女に地獄を見せてやりたい・・・そのためだったら何でもする!」

 「・・ありがとう」と言ったマリオに「ただし」と鋭く虎が被せる。「お前らの道具には絶対ならない。やりたいと思うことしかしない。あと〝魂の再構築〟を受けるのは嫌だ。このままの俺を受け容れろ。それが絶対条件だ!」獰猛な顔つきで虎が睨む。「わかった」マリオが即答して馬も頷く。「どうして〝再構築〟を拒むんだ?」真剣な目つきで国刀が問う。「過去の記憶にさいなまれて苦しむことがなくなるのに」馬鹿を見るような表情で虎が答える。「記憶に伴う感情こそが自分だろ。痛みも怒りも憎しみも生きてくための財産だ───絶対に手放してたまるか!」

 ぽかんとして国刀が虎を見る。「我喜欢它気に入った!」馬が虎の横に座って肩を叩く。「今日からここに住むといい。俺が面倒みてやるよ。戸籍と住民票も作ってやる。カードも用意してやるから必要な機材はどんどん買え。それでいいよな?」と国刀とマリオに確認する。国刀が苦笑しマリオも頷く。「决定了きまりだ!今日からお前は俺の姪っ子だ」馬が虎の頭をくしゃくしゃ撫でる。「停下来やめろ别碰它さわるな!」と虎が逃げる。

 この子はチャンスが訪れた瞬間、お前たちの都合をすべて無視してクロエ・デーモンを殺すだろう、と視野の左端でルカが言う。だろうね、とマリオは心で答える。それでも身内に引き入れるのか?ああ、とマリオは即答する。絶対に必要な人間だって、金色の星が言っているから。虎の顔が目に入るたびに、視野の右上で輝きを強める星を見ながらマリオが答える。満足そうにルカが頷き、予言のようなことを言う。虎白露は、新世界の扉を開く〝鍵〟になってくれるだろう。

 新世界?鍵?どういう意味?ルカが小首を傾げて笑う。はっきりとは見えないんだが、そういうイメージが強くするんだ。「鍵・・・か」とマリオはつぶやき、復讐のマグマを心に宿した十三歳の少女を見つめる。それを挿すのも回すのもこの子自身だろうな、と思いながら。


<続く>

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木葉功一
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