3分でわかる 『ソクラテスの弁明・クリトン』
(3分でわかる)
いまから2500年前のアテネで
世界最初の民主制による政治が行われ
さらに「裁判員裁判」まであった
ソフィストの反感をかった
哲学者ソクラテスは裁判にかけられ
僅差で有罪の判決を受け死刑に
すでに民主制のしくみの欠点が浮き彫りに
生涯一度も本を書いていない哲学者
ソクラテス(紀元前469年頃~399年)は対話を重んじ、生涯に一度も本を書いていない哲学者です。釈迦や孔子と同じですね。でも、ソクラテスの思想には、弟子のプラトンやアリストテレスを通じて間接的に触れることができます。
「無知の知」を知る
ソクラテスが生きていたころのギリシャ・アテネでは、お金をもらって弁論術を教える職業があり、ソフィストと呼ばれていました。特にアテネは、世界最初の民主制を導入していたので民衆の政治参加が盛んであり、言論や説得技術、レトリックの習得などに大変熱心でした。そこに目をつけたのがソフィストたちです。
弁論術を教えると言いながら、富裕層の子息などを相手に屁理屈や詭弁を教えたのです。あたかも知っているかのように物事を話すので、ソフィストは世間から人心を惑わす輩と言われ、非難の対象となってしまいました。ソフィストたちを批判する急先鋒がソクラテスでした。
ソクラテスの「無知の知」はソフィストの対極の考え方です。
ソフィスト:詭弁家。知っているようで知らない人たち
ソクラテス:知らないことを認める
知らないと意識したほうが、真理に接近できます。新しいことを知る機会が増えるからです。そうすることでソクラテスが提唱する「善く生きる」ことができるのです。
ソクラテスの弁明
ソクラテスは、ソフィストたちを無知だと言い募ったため、彼らからの反発によって告発されてしまいます。公開裁判にかけられたソクラテスは、のちにプラトンが、「ソクラテスの弁明」として書き残した弁明を行い、自説を決して曲げることはありませんでした。結果として、有罪とされ死刑を言い渡されます。
当時のアテネの裁判は、501名の市民からなる裁判員による古代の、「裁判員裁判」でした。ソクラテスは、市民に対して自分の行為について弁明を行いますが、僅差で有罪の判決を受けます。
自分の知識は完全でない
ソクラテスのもう一つのテーマである「汝を知れ」は、彼の持ちこんだ哲学の大きな課題です。自分の知識は完全でないと自覚していることが、知恵者を自任したり演じたりしている人より優れていると言うソクラテス。物事に対して「無知である」として接した方が、謙虚になり真実を究めることになります。学ぶ意欲も高まり、より良き深い人生を作ることができます。「無知である自分を知る」とする姿勢が求められます。
死は一種の幸福である
ソクラテスは、あえて最後まで自己の正しさを主張し続け不当な判決に屈して命を長らえても仕方ない、と弟子たちにつぶやくのでした。死刑を言い渡されたソクラテスは、死は一種の幸福であるという。死ぬとは全然たる虚無に帰することを意味し、また死者は何ものについても何らの感覚を持たないか、それは一種の更生であり、この世からあの世への霊魂の移転である。また、もしそれがすべての感覚の消失であり夢一つさえ見ない眠りに等しいものならば死は驚嘆すべき利得といえると。
現代にも影響を与えるソクラテスの哲学
ソクラテスは、裁判には完敗したといえますね。でもこの裁判はあきらかに誤判でした。彼が闘っていたのは裁判ではなく、彼の哲学そのものとも言えます。ソクラテスは弟子のプラトンの著作を通じて2500年後にも世界中の人たちに尊敬され、名だたる哲学者に影響を与え続けています。
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