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《貌》芦澤まりや

東京藝術大学の卒業・修了作品展。東京都美術館の彫刻の展示、芦澤まりやさんの《貌》を見た。後から分かったけれど、これはパフォーマンスだった。

《貌》, ©︎芦澤まりや

当初はぬいぐるみを彫刻として提示したと捉えた。ほぼ等身大に思える大きさ、造形の細かさ。毛並みのよい白い毛皮は人工的な風味がある。腹の上から裏返された内側が、毛皮を防寒用として利用している。だから動物というよりも加工された道具として見えた。とはいえ腹部から頭までが人型であることから、獣と人との融合か、毛皮を履いた妖精かと思えた。

この彫刻が動いている。

ゆっくりと同じような動作をしているため、内部に機械機構が組み込まれていると捉えた。ところがキャプションのマテリアルを確認すると、フェイクファー、ウレタンフォーム、ラテックスとある。つまり、動いているのは中に人が入っているからだ。冒頭にも書いたパフォーマンスであることがわかった。ということは着ぐるみなのでしょう。造形の精巧さもさることながら、疲れることを感じさせない。それも機械仕掛けと誤読した所以だろう。

今のテクノロジーなら、機械でこの動作を行うことができる。そうした知識があるから、これは機械仕掛けだろうと捉えた。脳の解釈を裏切るかのようなパフォーマンス、作品の仕上がりも脳が誤解する仕掛けかもしれない。

優れた科学は魔法だと捉えられることがある。この作品はそれを逆行させるようである。

あとから調べたら、チワ族のハクア様という。

パフォーマンスについては多摩美の卒展でもテキストを書いた。

彫刻について、彫刻とは何かという点について、ピエール・ユイグから考えた。


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