032c の トランプ-バレンシアガ コンプレックスを読んで考えたこと
ベルリンの032cのマガジンに掲載されていた記事を読んで考えたことを書いてみる。この記事は、ヒト・シュタイエルの作品とケンブリッジ・アナリティカを引き合いにし、トランプとブレグジットキャンペーンがファッションから学んだことを示している。話題の中心はソーシャルメディアに。
ソーシャルメディアは新たな民主化のプラットフォームとしての仕組みを提示する。民主的に見えるソーシャルネットワークの仕組みは、そのネットワークに参加している人達に、同等にいいね、シェア、リツイート、etc、表明に対する支持を示すことができる。ソーシャルメディアのこうした評判に依拠した仕組みは、既存の権力構造を分解、分散していく。こうした"いいね"の支持と数は、新たな階級を出現させた。キム・カーダシアンのクリック数、いいねの数。支持を集めるものと支持をするもの。評判君主制とでも言うべきか。
バッキンガム宮殿、エリザベス女王がソーシャルメディアマネージャーを募集という求人広告が引用された。もはや宮殿のソーシャルメディア発信によるブランディングは、カニエ・ウェスト、バレンシアガなどとも競争しなくてはならない。支配者の力、どのように支持者にリーチしていくか。ソーシャルメディアでトレンドになれば、他の場所でもトレンドに躍り出る。最近のワイドショー、ニュースなどを見れば納得。
これってポスト・トゥルースのことだ。
ヒト・シュタイエルの作品《MISSION ACCOMPLISHED: BELANCIEGE》は、ブランドがソーシャルメディアを使って、どのようなイメージを作っているのか、エビデンスとともに提示する。そして政治的な接続についても。
ブランドの意味、コンテンツ、成功は、ユーザーによって創造され、彼らの無報酬労働は、追跡するのが難しく、止めるのが難しい搾取の新しいモデルに繋がっている。
そんな大げさな。いや、大掛かりな仕掛けは目立たないようにやってくるものかもしれない。ソーシャルメディアを使った啓蒙、もしくは扇動と表現した方がいいのかもしれない。どれだけフォロワーを集めたか、そして思想化するか。その意図はますます巧妙になり、潜行していく。こうした状況、Twitterの政治広告禁止のニュースは扇動を警戒してのものだと思う。
ただ、何が政治的で何が政治的でないのかの判定、そして広告に限定されているために、まだ入り口なのだろうと思う。ややもすると言論統制、検閲の問題も絡んでくる。政治権力以上の権力をソーシャルメディアが獲得したということだろうか。(トランプ大統領とTwitterの攻防のニュースが入ってきたけれど、それはまた別のnoteで考察してみたいと思う)
情報統制と情報流通は、組織運営に欠かせない。組織を超えた社会活動と集団、そうした活動というか集団に、双方向的なメディアが登場し、手軽に数万人にリーチできるようになった。そうしたプラットフォームを誰しもが利用できるようになった。国家体制も危うくなるわけだ。2015年に話題になった文系不要論、理系学部、産業界からの総スカンを食らった、今こそ人文系の研究が必要な時だと思う。
ソーシャルメディアの普及によって、情報商圏というものが、否応なしにグローバルに広がっていった。メディアを通じてではなく、Twitterを見ていれば、海外の生活者が何を思っていて、何を支持しているのか見えてくる。藤原ヒロシは、今の繋がっている世界は便利だけど退屈だと言った。
ミーム、学習あるいは伝染する雰囲気。インターネットと相性が良いみたいで、インターネットミームという言葉を作った。これは退屈どころの騒ぎではない。トイレットペーパーが店頭から無くなったことが証明しているようにも見える。
現実がイメージを作るのではなく、ソーシャルメディアでイメージを作り、それを現実に反映するという逆転現象。これは現実を予測し、製造するものであり、人々は、もはやスクリーンの前に座って、情報を消費しているだけではなく、文化的なコンテンツが氾濫するネットワークのノードとなり、価値付けし、転送し、伝搬させていく。この世界では、すべての視線は商業的な投機の源泉となり、追跡され、保存され、集約されて販売され、販売機会を逃してもリターゲティングされていく。
扇動社会。大きな流れの中から現れてくるイメージ、そして現実、それを暴くのではなく、個ではない集団の意思を収斂させていく、あるいは拡散させていく。まるで伝染病のように、バリエーションを持って伝搬していく。そのうねりの大きな大きな対象群、それは"いいね"や、クリック数などのデータになり、そうしたビッグデータを解釈するのはAIである。これは警鐘ではなく、新しいゲームのルール、こうなった(なっている)のだという実態を提示しているに過ぎない。大衆によって操作できるイメージ、そのイメージから作られる現実、そうしたビッグデータを操作するセレブ、ブランド、インフルエンサーあるいはAIによるアドバイス(選別)。まさに、新しい世界が登場しようとしている。
ヒト・シュタイエルの作品は政治、ファッション、メディアの関係性をあらわにしているよう。
「ファッションの政治性をテストし、ゾンビ黙示録のスキンヘッドの美学をテストするための実験室」。アイデアを説明するために表示されたプレス写真には、ホワイトハウスでトランプ氏を訪問しているヴェトモンを着たキム・カーダシアンが写っていた。
ヴェトモンは、バレンシアガのチーフディレクター、デムナ・ヴァザリアが立ち上げたブランド。ヴァザリアは、アレキサンダー・ワンの後任としてバレンシアガのヘッドデザイナーに就任した際に、ヴェトモンでのブランディング手法を用いた。シュタイエルの作品は、バレンシアガの服を着たセレブたちの映像と、高級ファッションブランドの2017年メンズコレクションのルックを組み合わせたもので、バーニー・サンダースの失敗した大統領選挙キャンペーンのグラフィックアイデンティティをハイジャックしていた。バーニーは大統領選挙に勝てなかったが、彼のブランドは、高度に私有化された流用主義的なコンテキストで、確かに支持された。
バレンシアガの円形のSUMMER 20のショー会場、ダンテの地獄の円環を彷彿とさせるメビウスの輪のように反り返っており、EUのシグネチャーカラーであるブルーは、2017年にBALENCIAGAがリメイクして1個2,145ユーロで販売したイケアのショッピングバッグを思い起こさせる。もはやバレンシアガがブランドとして取り込めないものはないだろう。
グルジアで内戦の中で育ったヴァザリアは、ファッションを裏返しにして、高級品に価値を与えている。「89年生まれの私の世代は、壁ではなく透明なスクリーンを通して世界を知るようになった」(記載が見当たらなかったので推測になるが映像作品を作った学生の言葉だと思う。)内戦下では服はサイズが合わない寄付されたもの、流用、オーバーサイズというのは、こうしたことを投影しているのだろうか。意味の問題、自由経済で育った世代、89年以降生まれの世代、そうした世代にバレンシアガはアピールしている。フレーミングとリフレーミングの原則に基づいてテストを行い、それによって消費者に誇大広告の作成を協力させている。
YouTubeのチュートリアルを模したビデオの中で、シュタイエルはIKEAのバッグをカットしてひっくり返し、接着剤で貼り合わせたものを掲げている。これは「バレンシアガの原則」であり、旧東側の民主化の原則を踏襲したものだと彼女は説明する。バレンシアガが民営化したのはバッグの形ではなく、バッグを取り巻くすべてのもの。まず第一に、画像の作成、アップロード、共有だけでなく、その他の枠にはまらない活動やユーザーの嗜好が追跡され、蓄積され、収穫され、採掘される。
ケンブリッジ・アナリティカ。データサイエンティストによるユーザーの可視化と操作の可能性。そうしたものを提示することで、大口のコンサルティング契約を取ることができる。評判を作ることの仮説、実験、評価と仮説の修正を繰り返す。文化的なシグナルをパラメータとして、未来に起こりそうなことをシミュレーションする。政治的な変化は、文化的な変化のステップを辿るという仮定。政治的な過激さは、ファッションによる過激さに先行的に現れていたという。ネットワークのノードで、文化的な情報がどのように増殖していくのか。こうした仮説は理論化、アルゴリズムとして定義するのではなく、実践しながら修正、補正していくほうが効率がいい。やりながら考える。
大衆は受け手ではなく、ネットワークのノードになった。マスコミからの一方通行ではなく、双方向、輻輳的あるいは発散的なメディアを形成しだしたということ。バレンシアガがとったSNSのメディアを活用したブランディング、トランプ陣営がどのように適用したかを説明している。消費者は商品を3回見る必要があるという理論があり、"この衝撃とそれに続く正常化のダイナミックさこそが、トランプ氏の選挙運動の狙いだった"とシュタイエルは説明する。
オバマ前大統領の選挙キャンペーンでは、元Googleのデータサイエンティストが参画した。そこで展開された選挙戦ではA/Bテストの手法が確立された。そのあたりのことは、次の本に詳しい。
ポスト・トゥルースあるいはトランピズム、そうした人物が大統領になる。ハイファッションがやるようなネットでのイメージ形成の結果として。最初の数千人の濃厚情報にさらされる人を選定、あとは勝手に広がっていく。
H&Mに持続可能性(サステナビリティ)のためにデータサイエンティストが採用されているが、倫理的な責任をさらに観客に押し付けるというキャンペーンを展開している。これはエシカル消費のこと。いわゆるグリーンウォッシングとも呼ばれるだろうか。(この現象は、当初ハイブランドから始まった。この話も別のnoteにまとめたい。)
私たちが不信感を持ってスペクタクルを見れば見るほど、私たちはすぐに鏡の中のカメラが自分自身を撮影しているように、その中心にいることに気づくだろう。
SNS ユーザーの故意の参加によって生み出された巨大なフィードバックの結果、それはエラーとも呼べる集団意識を作り出す。評判とラベリングに加担しているのは自分自身であり、インターネット・ミームを拡散させている。
シュタイエルは流用を祝うことにして、ブランド価値が単にユーザーによって創造されるだけでなく、ユーザーによって所有され管理される未来の企業の名前としてバレンシエガを主張した。
アートを学び始めたことによって、知らなかった世界が現れた。
ヘッダーイメージのトランプ大統領の写真、なんと再利用OKの画像サイトに掲載されていた。公人って、こういうことなのね。