《快楽の門》水村芙季子
水村芙季子さんの展示は立体と平面作品で構成されていた。《快楽の門》は《地獄の門》のオマージュとして制作されたという。
大きな構造物は支柱と冠木から門であろうと想像する。想像するとしたのは、門扉ではなく障子が取り付けられているためであり、むしろ外から障子戸の屋内を眺めているように感じた。そして冠木に乗せられた三体のヒトガタに目が行く。さらに視線を下ろしていくと、冠木の下の横たわるヒトガタは手が上へ抜けている。ピンクの画面が鮮やかな絵画がある。首を絞められている女性が中心にあり、様々なモチーフが画面全体を埋め尽くしている。中心の人物はのっぺらぼうであり、表情は読み取りようがないが、中央にある目のようなものが不穏な雰囲気を出している。そして画面左上には学校があり、飛び降りのような描写があり、それらを注目しているような目の描写が校舎の窓を埋め尽くしている。
ステートメントによれば、快楽とは暴力であるという。暴力を振るう理由に対して、正当性を認めることによって人は暴走してしまう。暴力を振るう側の正義があれば、理不尽であっても暴力はエスカレートしていくということ。ここまでは誰しもが認めていることと想定するが、その裏側に快楽があるという。その快楽を見えないように覆い隠すのが障子である。《地獄の門》のブロンズに対して軽い素材を使っているのは、軽く(簡単に)正義によって暴力が振るわれてしまうことを示唆しているようである。
障子に目あり。障子に隠された奥の絵画を確認するようにじっくりと見る。学校の窓が目で埋め尽くされている様子を見る時、画面のこちら側にいる鑑賞者にも、暴力を見るという快楽を突きつけられているのかもしれない。隠されたものを見たいと思う欲求が快楽へと繋がっていく。
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