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「Gucci Garden Archetypes」鑑賞メモ

6年間の広告表現の集約する展覧会、天王洲で10月末まで完全予約制で開催されていた。フィレンツェに見に行きたいなと思ってたが、無理だろう。そんな風に考えていたから天王洲で見られるのは、とてもラッキーだった。

https://www.gucci.com/jp/ja/st/stories/inspirations-and-codes/article/gucci-garden-archetypes



アレッサンドロ・ミケーレのポエトリーを最大限に表現し、マニフェストとして提示した広告ビジュアルとムービーという。そうした表明から展覧会がスタートする。

最初の部屋はコントロールルーム。アーキタイプのコントロールルームであり、イントロである。映像と音声を変化させ、多層性を表現している。映像は時間を表現し、音楽は精神を表現するだろうか、それをコントロールするという。広告としての欲望のコントロールを隠喩しているのだろうか。

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次の部屋はグッチコレクター。18AWの世界観を提示している。

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コレクターを偏執狂と呼ぶ。

確かに何かをコレクションするとき、どうにも他人には理解できないモノを収集することがある。昔、UX (ユーザー体験)の講義で、とある主婦の部屋を見せてもらった。ミッキーのぬいぐるみ、フィギュアで溢れていたが、ミッキーは好きでは無いという。コレクションするものが欲しかった。ミッキーはいろいろなグッズがあり、コレクションのやりがいがあるということだった。

希少品を蒐集して秘密の部屋に集める。神聖であり、秘密であるが、欲望の視線を向ける。そうした欲望の底が見えない様子を鏡で表現する。

コレクターは、この部屋で眩暈を覚えるのではないだろうか。

収集品の種類、数量、ディテール、これをグッチのコレクションに関連付ける仕掛けである。


20SSコレクション。

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ハイブリッドな性質と不可思議な存在、複数の手と髪を持つ。中央の毛の束は馬の尻尾、文字通りポニーテールである。

カオスな状況に秩序をもたらすデウス・エクス・マキナ。古くて新しい概念として参照しているのだろう。

主体と客体の混同あるいは錯誤だろうか。ただ、広告キャンペーンはスターの個性を前面にだした個人主義という。ハイブリッドに溶けていく様子が逆説的に個人主義を前景化するのだろう。



複数のディスプレイが並べられたグッチ・ビューティー・ネットワーク。

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リップスティックの広告表現をビデオポスターとした。美の形式を疑う映像、微妙にフレームを外す感覚だろうか。これは広告であるが、商品の訴求というよりは、価値観の転換を謀るかのような挑戦的な雰囲気を感じる。


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地下鉄の車内に女性が立っている。明らかに人間ではないように見えるが、目端に捉えた限りでは、生きているようにも見える。このマネキンの製造に2か月かけた。バイオプラスティックで3Dプリントし、シリコンで覆っている。窓の景色はロサンゼルス。地下鉄と説明があったので、田園都市線で多摩川に出たあたりをイメージしてしまった。

地下鉄のまだ来ないと行ってしまったという感覚から、狭間の世界であると解釈している。映像とマネキンは広告キャンペーンから切り取られ、旅を連想させるという。


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デコトラが目に入る。禍々しく点滅するネオンサイン、クラブのような感覚だが夜が昼よりも明るくなったトウキョウライツを表しているという。

デコトラは細部にまでこだわりがあり、技術による美の調整を行う。パチンコや暴走族のバイクもデコトラに共通する美学があるという。そこにカスタマイズ文化を接続させた。そして、同じ部屋に展示されているグッチのバッグに視線が移る。

東京からパリに飛ぶ。

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2018年のプレフォールコレクション。フランスの5月革命から50周年にあわせたメッセージ。

ランボーの詩の朗読会から言葉が生まれ、アレッサンドロ・ミケーレの「美は路上にある」というインスピレーションの源になっているという。

五月革命、修論には言及をそれほどしなかった。けれども、これが何だったのか別に研究していきたいと考えている。


2017AWコレクション、グッチ・アンド・ビヨンド。

SF映画のようなミニチュアのジオラマが提示され、その反対側に植物の通路が現れる。これはイン・ブルーム。2017年に発表された女性用フレグランスのインスタレーション。

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香りによって心を動かす。広告キャンペーンは妖精が庭で遊ぶという。これが、その広告だろうか。


いくつかの部屋を抜けて、最後からひとつ前の部屋へ。

パーティを予感させる食器の格納庫、そこに映像が提示され、華やかなパーティの様子が流れている。シャンパンを飲んで、プールにダイブしたり。

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秩序的に並べられているように見える食器だが、映像からは感じられるのはカオス、二項対立というわけではなく、記憶の想起だろうか。上の写真には写っていないが、中央に冠が置かれている。


原宿のルイ・ヴィトンの展覧会とはかなり違ったグッチの世界を見た。アレッサンドロ・ミケーレの世界かな。





ブルータスにも詳しいレポートがあった。








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Tsutomu Saito
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