オラファー・エリアソン ときに川は橋となる @ 東京都現代美術館 鑑賞メモ
ようやくオープンしたオラファー・エリアソンの展覧会『ときに川は橋となる』、小学生の娘二人を連れて鑑賞に出かけてみた。小学生を連れて行ったのは、このオラファーの展覧会が、教育的な意味があるのではないか?そうしたゼミ同級生の問いかけがあり、僕も、それに興味があったから。
平日の休み、時間短縮の小学校の授業終了を待って、清澄白河までやってきた。午後になっていたからか、想定よりも人が多いなと思った。K先輩は展示再開初日に訪問したと話してくれて、開館1時間前から行列ができていたというから、それでも、この日は空いていたのだと思う。
整理券を配るサンライト・グラフィティに最初に立ち寄ったのだけど、12時半の到着で、回数券の順番は16時半だった。そこまで時間を取ることができないので諦める。ただ、ちょうど体験が始まるタイミングだったので、鑑賞していく。
リトルサンを使って、体を動かす。リトルサンの光をカメラがキャプチャして、光の軌跡をモニターに映し出すという仕組み。10分ほどのアクティビティ。
僕が小さなころ、懐中電灯の先を取って、電球を露出し、暗い中で素早く動かして、目に残る光の残像を楽しんだ。まさしく、その遊びだった。
不思議だったのは、リトルサンのアクティビティに参加している人が、手持ちのカメラでビデオを撮影していたこと。これでは、ドローイングの楽しみが半減するんじゃないかなと思ったのだけど、ゼミの同級生から聞いた情報によれば、案内の際に、むしろビデオ撮影を推奨されていたらしい。
そうなんだ。映えスポット・キャンペーンの関連かな、なんて勘繰ってみたり。
このニュースについても、ゼミの同級生と話し合ったけれど、ジェンダー・バランスになるのは話が大きすぎないかとか、映えるは、問題視しないのか、とか。けれども、この話題に関連した宮島達男氏のツイートが興味深い。
オラファー・エリアソンの展覧会、10歳と8歳にも、とても分かりやすい展示になっている。難しいこと抜きに展示と一体となって楽しむことができる。特に、虹を見る作品《ビューティー》が気に入ったみたい。
姉妹は、ミストに入ってもいいと聞くや否や、まっすぐに入っていく。びしょ濡れになることはお構いなし。ミストに髪を濡らしながら、「虹って丸いんだね」と発言する。
光、鏡、水、身近にあるものの見方を変えるだけで、世界が変わって見える。
自分の眼で確かめて、立ち止まって考えることができるか。彼の作品は、深くまで思慮していける懐をもっていながら、間口を広くとっている。美術館に自然を再現する。そうして再現された自然から、思いをはせていく。
オラファーの作品は、感覚を開くこと、先入観を壊し、柔軟な傾聴姿勢を作ること。そうした先入観の解きほぐしができるのだろうと思う。いろいろな批判があるけれど、そうした心の解放こそ、アートの力だと思う。