岡山芸術交流 2022 鑑賞メモ
岡山芸術交流にかけこんだ。会期終了の前の週。修士論文はピエール・ユイグ論を書いた。
前回の岡山芸術交流のアーティスティック・ディレクターのピエール・ユイグ、徹底的に分からない作品に翻弄されつつも、その後のワタリウム美術館で見たフィリップ・パレーノで全部がつながった。
ゼミの後輩からは、なんでフィリップ・パレーノではないのか?という質問があったが、逆になんでピエール・ユイグではダメなのか?と問い返したような気がする。
岡山空港の朝一番の便で降りて、バスに乗って岡山駅に到着する。全日空の飛行機を使っているが、路線毎に客層の特徴があると思う。一番多く使うのは羽田ー伊丹路線だけど、この路線は仕事の客が多い。
旧内山下小学校に到着する。
今回は迷わなかった。前回は山陽放送の壁に巨大なLEDパネルが設置されてカエルが浮いていたな、なんて思い出す。
チケットを購入、前回は学生料金だったけれど今回は一般料金。何かと入場料は負担が増えた。ボランティアスタッフは明るく、説明も丁寧だった。
朝食としてティラバーニャのカレーを食べる。パッタイ食べたかったけど、マッサマンカレーもいいでしょう。
地元岡山のキッチンかいぞくが提供する。メニューは三種類あって、マッサマンカレーを注文した後で、岡山名物のえびめしにするべきだったかな、と思った。けれども、えびめしにマッサマンカレーがかけられていて、両方を楽しむことができた。
用意されている中で、一番辛いとあったが、マイルドだった。
前回は築山にティノ・セーガルのパフォーマンスがあったが、今回は芝生が広がり、そこでカレーを食べている。残念ながら、他に人はいなかったけれど、知った顔が、ここに来たら面白いだろうな。
プールでオコヨモンを見る。巨大な熊のぬいぐるみが仰向けになっている。彼女は今年のヴェネチアン・ビエンナーレにも作品を出していた。とてもハッピーな作品だと思う。それでいて悲しみを感じるのはなんでだろうか。
プールでは、男女の二人組が撮影(会?)をしていて、ボランティア・スタッフに注意されていた。
小学校に入る。前回は小学校全体がインスタレーションになり、そこを舞台とした映像作品があった。ディープフェイクのニクソン大統領の口の動きは今も覚えている。今回は教室毎に展示がされているみたい。
片山真里の作品は素晴らしかったが、展示方法は、なんだか文化祭のようだった。島袋は映像作品が提示されていて、ドイツ人のアルバイトに日本語の歌を覚えてもらって歌ってもらったという作品とスワンボートで海に行くという映像作品。市内の小学校だろうか、十人くらいが見学に来ていた。
同時に二人のみが鑑賞できるアピチャポンの展示が素晴らしかった。島袋の作品に呼応するかのようなインスタレーション。インスタレーションなのに、映像として脳裏に立ち上がる。
2階の窓から今回のフレーズ DO WE DREAM UNDER THE SAME SKY を眺める。シネマクレールの時間もあるから、そろそろ体育館に移動しないと。
滑り台とステージ、パフォーマンスはなく、ステージに上がろうかと思ったが、足が冷たかった。後からボランティア・スタッフが、スリッパ出すの忘れてごめんなさい、と言われた。そうだね、11月だとスリッパ欲しいね。
女の子三人に男の子一人のグループ、滑り台を体験していた。その様子を見て、中々激しいなと思ったものの、体験しないで帰るわけにはいかない。
滑り落ちるような滑り台、体幹がポイントだと思う。
シネマクレールでは、アピチャッポンの長編映画『ブンミおじさんの森』が上映された。2時間くらいの上映時間、なんとも不思議な体験をしたように思う。
山珍で豚まんを買う。何か定食を食べていこうと思っていたけれど、レストランはもうやめてしまったらしい。
林原美術館では、映像作品と竹の風鈴が提示されている。入り口でそのように説明された。ここでティノ・セーガルのアンリーを知らずに見ていたな。
ワン・ビンの《名前のない男》。洞穴で暮らす男、社会や制度を拒絶し、言葉も話さない。ステートメントの一部に"疎外を受け入れている"とあった。
岡山城で池田亮司を見ようと思ったら16時からという。天神山文化プラザに向かう。書道とダンスを見つつ、地下の展示を見る。様々な作品がアーカイブのような感じで展示されていた。
これはどういうことか。
ティラバーニャは自身がキュレーションする展覧会では、自身の作品は出さない主義であるという。体育館のオイルドラムステージは、ティラバーニャの作品とされていたけれど、実際には曽根裕が作った。オーサーシップを放棄した上で、参加しているアーティストがどんな応答をするか、何を提示するか。とてもとても高度なSEAをやっている、ということに気がついた。
そうなると文化プラザ地下一階の展示が、まるで別物に見えてきた。島袋、オコヨモン、池田亮司、その他にも多くの作品。そこに提示されている作品の外側と、作家とティラバーニャと、そうした部分まで思索が飛躍していく。ただ、墓場のようにも思えた。
最後の会場、岡山市立オリエント美術館に向かう。ここではラゼル・アハメドの映像作品《誰がタニアを殺したか》を見た。実際の事件からインスピレーションを得たものの、クィアのダンサーにまつわる人間関係、難民申請、恋愛、化粧のコツなどがセリフとして語られるが、それはナレーションとして客体化されている。そこに、どこか遠さを感じ、逆に没入していく。
2回見た
オリエント美術館は好きな美術館。先史時代にとりわけ興味があるからだし、文字の起こりや、それよりはるか以前の造作物などが大量に展示されているし、教科書がここにあると思う。そんな展示を見ながら館内を進むと、フリーダ・オルパボの作品にドキッとする。アートって、こうした側面がある。
そろそろ池田亮司の作品上映が始まる時間だ。
小学校の横の道を通りがかると、演奏の音が聞こえてきた。オイルドラムステージでパフォーマンスをしているみたい。
すごく短いオリジナルの楽曲をスマホで演奏を流しながら歌っていた。岡山芸術交流の総合プロデューサーの件、ロシアとウクライナの件を主張した後で、岡山の公立幼稚園が民営化されるという件について主張していた。
総合プロデューサーの問題は説明が足りない、というだけで済ませられないのでしょう。岡山芸術ごっこのZINEは読んでいる。
夕焼けに向かう岡山城で上映される池田亮司の作品、大型パネルと提示されている空間と、崇高さとは、これのことだろう。
素晴らしい作品とそれを巡る体験だった。前回よりも展示会場が少なくなっているのは、時期的に見てもよくやっていると思う。重奏性のある展示は、よくよく咀嚼しないと、その意味あいがよく取れないのではないだろうか。