小島健輔『アパレルの終焉と再生』 読書メモ
アパレル業界に限定した話ではないけれど、コロナ禍によって大打撃を受けた。それはアパレルだけでなくデベロッパーが運営するモール、ファッションビルや、百貨店にまで広くアパレル業界と捉えることができるのかもしれない。
数字的な部分の指摘も多く、資料としても重宝する。しかしながら、漢数字で縦書きにパーセンテージを表記されても読みづらい。グラフや図も入っているけれど、数字の変遷はグラフを示しながら文章を最小限にした方がわかりやすい。少し字数稼ぎではないかと勘繰ってしまう。
コロナ以前のように仕事や交友の場で所得や感性の「服装マウンティング」を競う必要もなくなったから、高額なブランド品やトレンディな衣服への出費は急減していく。インバウンド需要の消滅もあって高級ブランドの店が減り、デザイナーブランドの休止廃止も相次いでいる。(P.21)
本業で小売のクライアント先に出向くことがあるが、この問題は本当に深刻らしい。店舗をあけることもできない状況が続くと、ECでの販売に転換することになるが、そもそも需要が無くなってしまったのだから、在庫が行き詰まることは明白だろう。
そして、計画していた生産も上がってきて物流センターのみならず、店頭にも押しかけていく。まるで悪夢のよう。
値下げすれば地方や郊外の店舗で処分できた手頃なブランドはともかく、アウトレットモールも全て休業したから、都心にしか店舗がない好感度ブランドはECしか処分の方法がなく、新規投入の夏物で店頭の顔を作ったブランドも後方のストックや倉庫に春物や初夏物の在庫を大量に抱えていた。(P.80)
コロナ禍以前から指摘されていた業界の先行きが、この危機によって加速されてしまった。
正貨(フルプライス)流通からオフプライス流通へ百貨店ブランドは分水嶺を越えてしまった。(P.81)
大手アパレル各社のなりふり構わぬ在庫処分が広がる様を見て、百貨店関係者は「百貨店ブランド」と「正価販売」の終焉を痛感したに違いない。(P.84)
今まで、よく言われていたセールに対するブランドイメージの棄損、プロパー価格への裏切りということも見せに溢れかえる在庫を現金化しなくてはならない。必然的に値引きが深くなり、それでも売れない場合はレンタルや、バッタ屋に流れる。
百貨店で正価でしか取り扱って来なかったというのは、売る側にも体力があった場合のことなのでしょう。そうなると百貨店からの顧客離れは止まらない。
ロンハーマンの銀座のアウトレット店の事例に続く。
業界がコロナでコレクションを開催できず、新しいトレンドを生み出す余力もなかった。(P.87)
トレンドを生み出さない。そうした生み出されたトレンドに乗らなくてもよくなった。リモートワークや外出自粛で普段着でよくなった。
早回しの世の中にくたびれていたのだろうか。大量生産、消費社会に対して疲弊を感じていたのは業界人だけでなく、生活者も同様だったのかもしれない。
過剰供給が身に染みたアパレル業界も新作の仕込みを圧縮して品揃えに旧シーズン品を組み込むようになった。(P.88)
新旧、新古の垣根がなくなった。様々な服を楽しむリミックスの時代。このことは、京都と東京で開催されていたドレス・コード展で見ていた。
8月には、ドレス・コード展の企画者の話をエスモード・ジャポンで京都服飾文化財団のアシスタント・キュレーター小形道正による解説を聞いた。
ECシフトへの示唆。
コスト削減から海外生産に移り、生産ロットが上がった。それが供給過剰に陥る要因のひとつ。半分以上が売れ残る異常な需給の状況、このような供給過多の業界は他に例がない。
「流通在庫10年分、タンス在庫100年分」と揶揄されて新品の市場規模が八分の一に激減したキモノ業界ほどではないにしても、半減するのは避けられないだろう。(P.118)
本書では次の3点が日本のアパレルをダメにした要因だとしている。
●コスト優先
●売上優先
●POS過信 売場を見ないで配分、値引きをする
コスト優先は既にあげた海外生産へのシフト、労働集約産業であり、コスト削減を求めて生産地が移動して行くものだけど、それも限界にきていると思う。そして、売上優先は、企業であれば仕方がないけれど、予算ありきで計画してしまうから、無理なMD計画なども出来上がってしまう。POS 過信はデータに依存しすぎるということなのでしょう。デジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するコンサルタントの立場からすると耳が痛いものではあるけれど、アパレル産業って、もっと人を見て、もっと人を知らないといけないと思う。ZARAは店長に権限が委譲されているし。
権限が本部に集中して店舗が端末化したアパレル業界にはもはや望むべくもない。(P.120)
顧客の声や反応を見るということか。上のエスモードのセミナーでは、学校を卒業したデザイナーも3シーズンを過ぎると着る人を思い浮かべながら服作りをしていき、卒業展で見られる勢いが丸みを帯びて行くというようなことを話していた。
単純にEC化率を見ていてもいけない。
ニーマン・マーカスのEC比率は36%、J・クルーは50%にも達していたが、店舗事業の損失と負債を支えきれず破綻している。(P.129)
本業の数字が落ちていけば、自ずとEC化率は上がっていく。
徹底的な透明性というエバーレーンのコンセプトの崩壊など、D2Cブランドに対しての評価が続く。
逆に言えば年商1億ドルに到達するまではSNSでの広告費やアフィリエイトなどのマーケティング費用、システム投資や物流投資が先行して収益が苦しいわけで、営業損失を資金調達で埋めて一刻も早く1億ドルの壁を越えたいというのが共通した課題だと推察されるが、そこにD2Cの隘路が指摘される。(P.142)
川中、川下で在庫を分担する。川中は商社であり、店頭の在庫が滞留している場合は、川中が在庫を持って置き、店頭は引き取らない。そうした業界の慣習。ユニクロがあれだけのサプライチェーンを構築しているのに、なんで商社経由の注文をしているのだろうかと疑問に思っていたけれど、持ちつ持たれつの関係性があるのかなと推察した。
コロナ禍をビフォー・コロナ(BC)、アフター・コロナ(AC)と呼び、ACは、それまでの世界秩序の転換を迫られているとしている。
個人も企業も「文明の限界」を悟った。
本書ではポスト・アポカリプス世界として語る。
これはマウンティング消費から、エシカル消費へ転換することとしている。
面白いと思ったのは、『風の谷のナウシカ』をスチームパンク風と評し、ファッションの観点、視点の指摘が面白い。
より日常世界との接続を可視化する現代アートとファッションは、やはり相性がいいと認識した。しかしながら、幾分審美的に過ぎてしまうという点があるかもしれない。ACの世界においては、そうした価値観の転換が見られるかもしれない。
アポカリプスという指摘は、人間が主体としての見方であり、アントロポセン(人新世)に留まっていると見ることができるだろう。思えば、ジル・クレマンもそうなのかもしれない。
コレクションは90年代に衰退、ストリートも2008年までで新しいクリエイションが途切れてしまった。(ヴァージルはストリートから剽窃しきったと言われている。)
クリエイションがポスト・アポカリプスの世界に転じたのなら、過去のソースへの依存が一段と強まるばかりか、過去の作品のデッドストックやユーズドが新作と同列に評価・選択されるのが当たり前になる。(P.155)
アーカイブが重要なファクターになっている。アーカイブMDとしてユーズドや、デッドストックを混ぜた編集を見せる。
新しいトレンド、新しい消費を促す仕組みは、どのみち疲弊し、廃れて行くのだろう。トレンドに乗るのではない自己表現の時代が来るのだろうか。
今までの業界慣習、業態別の特性をざっくりと抑えるのに最適な本だと思う。
ちなみに、再生の方策として語られているのは、キャッシュレス、タッチレス、C&C(クリック&コレクト)という、古くて新しい概念だった。
さて、副業のファッション・アパレルのクライアントと、本件について議論しよう。この先、いかにサヴァイブするのか。
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