WWFF:対話編 第3回「機械と衣服」人工知能とファッションにおけるコンピューテーショナルな生成力 - パターン / パラメータ / アルゴリズム 聴講メモ
2019年8月の話。渋谷で開催されたセミナーに申し込んだ。
登壇者は次の通り。FBで友達の友達だったりする人も講演している。世の中狭いものだと、常々思う。
岡瑞起: 工学博士、筑波大学システム情報系・准教授。
砂山太一: 建築・美術研究者。京都市立芸術大学専任講師(芸術)
藤嶋陽子: ZOZO テクノロジーズ研究者
川崎和也: (主催者)スペキュラティブ・ファッションデザイナー
セミナーは各人からのミニレクチャーを行ったあとで、パネルディスカッションを行うという流れ。ファッションをキーとして各人の専門から、人工生命、コンピューテーショナル・デザインを踏まえた建築とファッションの近似性、ファッション・デザイナーと人工知能との関連について議論していく。
1. 岡瑞起 人工生命
人工生命とは聞きなれない。人工知能の間違いではない。
人間の目には生物と無生物を見分けるセンサーのような能力が備わっている。この生命を認識する仕組みを探求するのが人工生命の研究であり、アルゴリズムなどを駆使して、生命のようなもの(生命の動きをシミュレーションするようなプログラム)を作り出し、器物であっても生命と認識させることができるのではないか、生命、形ができて、自己複製していき、集団ができあがり、社会を形成する。あるいは進化していく。そのような様子を観察することで、生命と認識する境界がどこにあるのかを探るということ。遺伝子研究も関連分野であり、大きなカテゴリでいえば、ライフサイエンスに分類される。
生命が持つフレッシュさ、ファッションと連携した研究として2015 年に渋谷パルコで、坂部三樹郎とともに『絶・絶命展~ファッションとの遭遇』にて、『マヌカン・レクチャー』という作品を提示する。
展示のテーマとして生命の持つフレッシュさとファッションにおけるフレッシュさを接続する試みを行ったということ。
ファッションにおいてのフレッシュさはトレンドということで、社会集団の中にあって形成されているものと仮定し、生命との繋がりがあるのではないかと考えたのが出展の動機。人間が服を着ている時とマネキンが服を着ている時の違いは何か。マネキンを人に近づけるためにはどうすればいいのかという試みだった。マネキンの顔に、実際に人の顔を3D プロジェクションマッピングし、レクチャーを行うという展示であった。
展示期間の中で実験を継続している中で、一番の生命性を感じたのはエフェクトを加えたときである。人間が持っていないようなエフェクトを加えることで、鑑賞者が足を止めるようになった。人が持っている人のイメージを壊した時、つまり予測不能性を出している際に、フレッシュさを感じるポイントではないかという研究結果を得た。そこから予測不能性というのは、クリエイティビティに影響していると考えた。
2009 年にフロリダ大学のKenneth O. Stanley によるPicbreeder とう実験があ
る。アルゴリズムによって生成した任意の図形を選び、次の段階では選んだ図系に基づいて、少し変化させた図形を提示する。それを繰り返すことで、形らしきものが現れてくる。このシステムを使って実験を行い、形らしきものにたどり着いたのが以下の画像である。
引用元: https://fivethirtyeight.com/features/stop-trying-to-be-creative/
車のようなもの、目的意識を持たずに進めているうちにある瞬間に車が現れた。何か形らしいものを探索する場合、図5のように、およそ5世代くらいで意味のある形が現れてくる。
クリエイティビティはAIももてるのか。
人工知能を使って同様の実験を考える。目的とする画像を与えた上で、同様のことを人工知能で実施しようとすると3万回の反復を超えても、およそ形らしいものが生まれてこない。こうした人間の持つ能力がどのような器官、脳の機能、資質に由来するのか。人間に目的を設定して、やってみると十数世代で目的画像に近い画像が得られる。
目的設定すると、袋小路に陥ってしまうことがある。目的が無く進めていくうちにとてもよいものができあがることがあり、それがクリエイティビティに関連しているだろうと考えられる。
2. 砂山太一 建築とファッション
空間デザイン、ファサード設計を行なっている。ベニスビエンナーレに建築家として出展する。他に水戸芸術館の『ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて』の論考を執筆。
コンピューターを使って設計のシミュレーションを行う。デザイナーが設計をするのではなく、コンピューターにデザインをさせるのが実験建築である。
構造エンジニアとしてエルメスのリブゴーシュに携わる。
引用元: https://www.yatzer.com/An-elegant-dive-into-Hermes-Rive-Gauche-by-RDAI/slideshow/3
Hermès Rive Gauche by RDAI
デザイナーが描いたイメージ図(えたいのしれない絵)を、コンピューターを使って、空間と密度と強度などのパラメーターを与えることで設計を行う。デザイナーの納得するポイントを探りながらプログラミングしていき、一本一本の構造を生成するのはコンピューターである。これがジオメトリーエンジニアのタスクである。2000年代の終わりから欧州で職業として確立した。
人工知能に建築の勉強をしてもらうというテーマにあたって、雑誌新建築を使用する。
90年の歴史があり、建築のデータの蓄積をしている。これは人が読んで学習するよりも、コンピューターが読んで学習した方が効率がいいのではないかということでデータ化しているということ。
人間のカテゴライズとコンピューターによるカテゴライズが異なる。この建築が、どの建築と接続しているかという点が、新たな発見となった。
90年代前半に折りたたむという概念が建築設計に導入された。2000年代後半になるとパラメーターを操作することによって都市計画の最適化を行う。例えば公害発生装置をどのように配置するか。あるひとつのニーズによって答えをひとつだすのではなく、ニーズの幅に応じた答えを出していく仕組み。
適当なイメージをどのようにモノにしていくのか。3D CADによって生成することができるようになったのが2000年代である。この頃、横浜大さん橋など日本がコンピューターを使った建築で最先端であったが、欧州がキャッチアップし、中国、西アジアの勃興があり、2000年代後半に追い越された。
フランス人デザイナーのフィリップ・モレルにより、コンピューテーショナルチェアを作った。自己組織化アルゴリズムを使い、人工知能をエージェントとし、椅子の形を作るという試みであった。これはソフトウェアの機能を人間が使っていたが、これはコンピューターがどのようにデザインを生成するのかという点が新しい試みであった。
2008年頃にコンピューテーショナル・デザインの手法としては頂点を迎えた。後は一般化、社会実装のフェーズに入っている。
2007年新国立美術館で開催された『スキン+ボーンズ-1980年代以降の建築とファッション』展でキュレーター、ブルック・ホッジが務め、建築とファッションの展開が紹介された。
ブルックの論考を二点提示している。ファッションと建築の近似性、脱構築と建築 – 相容れない解釈 – である。2000年の構造とコム・デ・ギャルソン展などを参照して建築とファッションの関連性を提示している。建築とファッションは共通言語が多い。ドレープ、折る、人間を包み込むという点で共通点を見出している。ここに着るという行為と建物の中に居るという行為のデザイン性の共通点を見出している。
ファッション・デザイナーのイリス・バン・ヘルペンが3Dプリンターを使ってコレクションを作成する際に、建築家のデザイナー2名がサポートした。展覧会でのファッションと建築との共通性、2008年以降のコンピューテーショナル・デザインの社会実装と連続する事項としてファッション・デザインに建築家が携わり、クロスボーダーが起こった。
3. 藤嶋陽子 人工知能のファッション・デザイン
ファッションの価値の作られ方。商業的なファッションの作り方とコンセプト的なファッションの作り方に違和感を持ち、ファッション・デザイナーではない研究者を選んだ。(理研とZOZOテクノロジーで研究職)
研究は服飾史と社会学。データの権利、プラットフォームキャピタリズムが批判的に見られている。データコロナイゼーションを専門とする。(と言いながら、自身はプラットフォーマーであるZOZOに在籍…。)
ファッションの位置付けは、研究者も注目している。ただし、ファッションを専門としている研究者はとても少ない。ファッションと関連する研究としては、デジタリゼーションの中でのファッションの話題が中心であり、ファッションの終焉について研究者が議論する。
ファッションは二元性を持つことでも特殊な領域。芸術的な創作物としてのハイファッションと日常的な商業的な面を持つファストファッション。二つの側面があるため、一括りにできない。
ブランドへの憧れからのファッション。時代とともに、それが、インフルエンサー、モデルへと遷移、自己表現としてのファッションへと推移するが、そうしたファッションの考え方は無くなってきている。解体されている。その背景にグローバル化、デジタル化がある。
ニューヨークメトロポリタン美術館で開催された「マヌス×マキナ:テクノロジーの時代におけるファッション」では、Apple社がスポンサーとなっていた。キュレーターのアンドリュー・ボルトンは、ファッションの両義的な側面、芸術性と商業性、人間と機械との対立構造をコンセプトとした。「手仕事=オートクチュール」と「機械縫製=プレタポルテ」というファッションの歴史が、もはやボーダーレスだということを示した。
手仕事と機械生産をなぜ分けたがるのか?ファッションが芸術であるという思いからであろう。しかしながら、ファッションの再現可能性と大量生産というのは、芸術性をそぎ落としてしまう側面がある。
展覧会では様々なファッションに関わる人達のインタビューが提示されていた。例えば、イタリアの親方はテクノロジーを否定する。大方のデザイナーは、テクノロジーを、インスピレーションを得る道具と見ているが、冷たさがあるから、そこをどうするかを課題としている。
2017年くらいからファッション研究が盛んになる。
新唯物論、ポスト・ヒューマン。ファッションは人間主義的な産業である。アダムとイブが服を着ることで人間になった。子供が大人になるにあたって、服のルール、ドレスコードを守っていくことが大人とみなされる。人間中心的産業であるために、これを見直す必要があるというラディカルなグループがある。
人工知能を使ったファッションとして話題になったイギリス人のAIアーティストRobbie Barratが提示したのは、バレンシアガの架空のショー。バレンシアガのルックブック、ショーの映像、広告などをインプットとして、バレンシアガ風のショーを作った。
AIが生成したバレンシアガ風のスタイル。
テクスチャーの再現が難しい。とはいえ、バレンシアガっぽいという評価を得る。この発表から言えることとしては、機械学習がコレクションなどからブランド・コードを解釈し、真似していくことができそうだということ。
ファッションと人工知能で、何が起きているのか?
ファッション・デザイナーが積極的にAIを活用する事例としてエマリーエのファッション・デザインがある。過去のコレクションをインプットし、GANでイメージを生成したが、ピンとこない。次にコレクションに加えて、普段のデザインでも使用しているインスピレーション・ソース(自然のモチーフ)を組み合わせて出てきた結果は、それなりの結果だった。ファッション・デザイナーは、こうした機械学習の学習プロセスを美大生に教えているような感じと表現した。
こうした機械生成のコレクションに対して、ファッション批評家は、過去の作品を見せられているような感じがあり、どのような意味があったのかが不明であったと評している。
アートボード、リサーチデベロップメントであれば、AIは有用に見えるのではないだろうか。
人工知能の国際学会では、人間の感性、定量化しづらいところ、どう人工知能がカバーしていくのかがテーマとして議論されている。
クチュール・デジタル社は、デザイン画からパターンを起こす操作をAIによって支援するソフトウェアを提示している。
マイクロソフトの人工知能、シャオアイスは、言葉として与えたコンセプトからイメージを生成する。
IBMのワトソンは、コグニティブ・ファッションの取り組みとして、コグニティブ・クチュール、過去データと流行色を与えてデザインパレットを作る。
FIT(Fashion institute Technology)は、トミー・ヒルフィガーの協力のもと、スタイルとパターンを提供し、学習データとしての活用を進めている。
ZOZOスーツは自動計測で止まっているが、その後のスマートファクトリーにつなげるべく活用されたテクノロジーであった。人体のアバターに合わせてパターンを変形する。人間だけでなく、サイに着せてもパターンを変形させることができる。そうした世界を目指していた。
Style.comのジャーナリストの言葉を学習パラメーターとして参照し、どのブランドが影響を与えていたかを見る機械学習モデルがある。これを需要予測につなげる。ただ、ジャーナリストの言葉なので、それが影響力あるのか?という議論もある。
機械学習によるパーソナライズを突き詰めると、新しいものに出会わなくなる。そうすると、全体の興味が下がっていくために、業界そのものがシュリンクしてしまう。そこで、実店舗の新たな役割が問われるだろう。ECの分野で言えば、ライブコマースが隆盛している。この分野はアリババの研究が最先端である。