アルティアム最後の展覧会
様々な用事があり、福岡に出かけた。そのうちのひとつが三菱地所アルティアムの最後の展覧会を見る事だった。ギャラリーを閉じるだけと考えていたけれど、館そのものが終了になるということに驚いた。
アルティアムとは、昨年髙木正勝の『星の時間』の鑑賞のために訪れたのが初めてだったと思う。
そこまで思い入れのある館ではないが、最後の1ヶ月を思い出を作ってきた人達と見せるような、そんな時間が流れていた。
空き店舗にポスターアーカイブが展示されており、閉館に合わせて作成されたと思われるタブロイド判の冊子が置かれていた。
様々なポスターアーカイブ、そこに並ぶコピーから、地域の文化を牽引していくかのような、そんな役割を持っていたのでしょう。渋谷パルコを連想していた。
いつもは、ほぼ無人の地下一階のスペースにあるベンチ、間隔を空けるようにというサインを除いて座っている人で満席だった。
閉館後、どのような計画があるのかは知らないけれども、この終わりを次に繋げるような物語を館全体で語っているのだろうと思った。
だから、言葉なのだろう。展覧会のタイトルが最果タヒの詩のような理由は、このあたりにあると思う。展覧会では最果タヒの詩も提示されていた。そして塩田千春の作品が圧巻だった。
それほど広くない展示スペース、壁で仕切られた部屋は4つ+その脇を通れる廊下があった。
塩田千春の作品は一番奥のスペースにあり、片方だけの靴に赤い糸が繋がれている。靴にはメッセージが添えられているものもあった。全ての靴が赤い糸で繋がれているようだった。放射状に延びる赤い糸、繋がる靴、そうした靴は、これまでの歩みとこれからの歩みを繋ぐかのようなギャラリーのメッセージではなかろうか。
淺井裕介の部屋もあったが、エスカレーターのガラス壁に描かれた壁画が圧巻だった。これをゆっくり見るために、エスカレーターを使って地下一階から上がってきた。
垂れた絵具、生命のほとばしりのような力強さと、やがてここが無くなるという儚さを連想する。そして生命は連続していくのでしょう。
当初はギャラリーだけが終わりだと思っていたが、館そのものが終わりであり、期せずして、館の最後に立ち会う時間を得ることができた。
このメッセージを鑑みるに、単純な建て替えではない企画が進行しているのでしょう。物理的な制約は、やがて無くなっていくだろうけど、それを中心として捉えることの無い企画になるものと思う。
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