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《子羊のこと。》中西凛
中西凛さんの作品との最初の出会いは銀座のギャラリーでの個展だった。チョコレートという食材を用いた作品群は、彫刻と食品の境界を揺るがす独特の存在感を放っていた。今回の東京藝術大学の修了制作では、その表現がさらに先鋭化していた。
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彫刻棟に展示された作品は、ステンレス製の台座の上に横たわる子羊の像である。屠られたような姿で横たえられた子羊の腹部からは、血液ではなくチョコレートが流れ出ている。その傍らに置かれたスプーンは、この作品が「食べられる」ことを暗示する。ステンレスの台座は作家の実家である洋菓子店の作業台を想起させ、制作の文脈に個人的な記憶を織り込んでいる。
羊肉は世界で最も広く食される食肉の一つであり、一方のチョコレートは純粋な嗜好品である。この対比は、生命を養う「食」という行為の二面性を浮き彫りにする。リアルな子羊の造形とチョコレートという素材の組み合わせは、一見すると違和感を生むかもしれない。しかし、その不協和は「食べる」という行為の本質を改めて問いかける。
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傍らに置かれたスプーンの存在は示唆的である。それは単なる食器ではなく、鑑賞と飲食の境界を越境する道具として機能する。スプーンの存在は、作品に「手を出す」という禁忌を、むしろ新たな体験の可能性として提示している。
作品は芸術と食品、あるいは彫刻と工芸菓子といったジャンルの境界を意図的に曖昧にする。しかしそれは単なる形式実験ではない。生命を頂き、糧とする「食」という根源的な行為を、現代における消費の文脈に置き直している。子羊の犠牲的なポーズとチョコレートという嗜好品の組み合わせは、食文化に内在する暴力性と快楽を同時に表現する。それは日常的な「食」の行為の中に潜む、原初的な儀式の痕跡を浮かび上がらせているようである。
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