オープンゼミ: イタリアンデザインの本質、プロジェッタツィオーネについて考える 聴講メモ
東京藝大でハンス・ウルリッヒ・オブリストの講義を聴講した翌日、武蔵美の市ヶ谷キャンパスのオープンゼミを聴講してきた。
講師はイタリア在住の多木陽介氏。年に一回くらい帰国して、そのタイミングで武蔵美でオープンゼミを開催しているらしい。
イタリア・デザイン
プロジェッタツィオーネとはデザインの替えてに用いた言葉、アキッレ・カスティリオーニが使った言葉だという。イタリアデザイン、まだ、デザインという言葉に馴染みがなかった時代に使われていた。
2018年は生誕100周年だった。
フィルムをサングラスにするなど、レディ・メイドとしてデザインを行なっていたことがわかる。
講師は、2007年に本を出版したけれど、既に絶版になっている。
インダストリーの合理的思考と工房的世界の豊かな知性。これはお互いに逆向きの矢印。インダストリーの合理性とは、現在の資本主義と工業化、経済成長を促す活動であり、工房的世界は手工業のこと。インダストリーは進歩で、工房は退行。これでいいのかと問いかけること。インダストリーの矢印が大きくなりすぎているのが現代。
デザインにあたっては、現在あるモノの形に向き合う。なぜ、その形になっているのか。それは、そこにどんな知恵が込められているのか。
例として提示されたのが腕時計のタイポロジー。
100年、腕時計の基本デザインは変わっていない。腕時計の前は懐中時計を使っていた。軍隊で手榴弾の爆発時間を正確に知るために懐中時計を腕に巻いていたことから、腕時計のデザインに行き着いた。それ以来、スマートウォッチは出現したものの、腕に巻くという基本スタイルは変わっていない。
モノがある形をしている限り、必ず経緯があり、ある知恵や技術が注がれている。
そうしたことに耳を傾ける。当たり前のように聞こえるけれど、改めて講義という形で提示されると考えさせられる。
では、どうやって形を読み解くのか。
手に取り、いじり、身に付け、鳴らしてみる。道具に動作が隠れている。
機能と形。それは動詞と名詞。
打製石器で見てみても、斧に柄がついた。柄は手の替わりに石器に据え付けられ、斧としての道具をより進歩させた。
控えめな創造力 ⇔ 押し付ける創造力 = 素材に寄りそう、過度の負荷をかけない
プラネタリーバウンダリー、行き過ぎた資本主義による合理性重視のために加速度的に進んでしまった事態を戻す力が働いている。アートの勉強を始めて、そうした情報につぶさに触れるようになった。昨今の気候変動が、体験として更にリアライズさせるように思う。
カルトゥージア出版
絵本の出版社。単なる絵本ではない。イタリアは移民が多く暮らす国。小学校ではイタリア語を教えるが、その親はイタリア語を中々学ぶことができない。子もなかなかイタリア語の習得に苦労する。そうしたギャップを埋めるために23ヶ国語で物語をつむぐ。
子が小学校で母国語とイタリア語とを学び、その絵本を持って家庭で親にイタリア語を教える。そうした循環を促すためのツールとしての絵本。
絵本づくりは独特で、フォーカスグループというグループを作り、そこには絵本の主題とするテーマに沿った専門家が集められる。絵本作りの専門家では無い人も参加する。そこでディスカッションを行い、作家、画家も協力し、絵本を作り上げる。この絵本を子供達に見せて反応をもらい修正する。
こうして、小児がんの子供達向けの治療のための絵本が生まれた。
小児がんの治療にあたっては、ピンポイントで放射線照射をする必要がある。大型の機械(MRIに似た機械)に入る際に、どうしても子供は怖がって動いてしまう。そうならないために、マスクをつけて頭を固定している。泣き出したり、暴れたりすることがあるために麻酔を使うこともある。
この絵本は、マスク、機械をアナロジーを使って表現する。この絵本によって勇気をもらい、麻酔無しで治療ができるようになった。
よくデザインシンキングの事例として紹介されるMRIの話よりもずっとよい。なんて思った。
こうしたフォーカスグループによって作られた絵本があり、日本からの視察を企画すると、参加者は数冊の絵本を買って帰るらしい。
地区の家
みんなの場所を作る試み。公共空間、例えば公民館がそこにあたるかと思うけど、公共が入ると、どうしても市民のためにはならなくなってしまうよう。このあたりの事情は、イタリアでも、日本でも変わらないみたい。
市民団体が手を上げて、市民活動を行なっていく。それが地区の家。行政からの資金を受けないために、行政へも強く市民の意見を伝えることができるという。
自分たちで助け合うコミュニティ、例えば格安の給食サービスだったり、職業の斡旋、語学のトレーニング。
格安で建物(ほぼ廃墟)を借り受け、DIYで自分たちのスペースを作っていく。そうして作ったスペースだから愛着もひとしおだろうと思う。シェルターも用意しており、一時的に滞在することができるようにもなっている。
衣類は持ち寄り。以前は無償で提供していたらしいけれど、今では最低限の料金を徴収するらしい。それが尊厳につながるということ。
この施設で働いている人は、もともとこの施設に助けられた人達、助かったから助けたいということ。
ソーシャルイノベーションあるいはクリエーション
こうした活動はイタリアでもマイノリティだと言うけれど、とても素晴らしいことだと思う。
こうしたイタリアの研修ツアーは、大阪のMEBICで開催されているらしい。
とても参加したかったけれど、デザイン系に従事している若手ということで、僕はどうやら対象にはなれないみたい。
この他にも、A4用紙一枚で考えることとか、刑務所の中の演劇とか、とてもとても濃い時間だった。
とても示唆の多いセッションだった。今までの企業人生活、資本主義の尖兵として商業、工業発展に疑問も持たずに邁進してきたけれど、アートを学ぶようになって、そのあたりのギャップを感じるようになった。直近の課題は、ここをどう折り合いをつけるか。かな。