《底なしの輪》田崎蟻
田崎蟻の個展「あなたの家の地下に棲むものです」を見るため、根津に出かけた。展覧会は美の舎で開催されていた。十数点の作品が展示された空間、小作品から大型作品まで様々なサイズの作品が提示されていた。
《底なしの輪》は、大型のキャンバス1303×1620mm(F100号)に描かれた作品である。入り口から入った正面の壁にかけられていた。
一見すると不穏な暗色だが、画面の奥からこちらにやってくる手をつないだダイバーと中央にある魚の尾から水中であると認識できる。魚の尾びれの付け根あたりに、「かごめかごめ」のような人の輪がある。あるいは魚の尻尾をつかむ手のようにも見える。背を向けた魚は、身体の半分あたりから見切れており、画面の端に猛禽類の鉤爪が見える。どうやら今まさに獲物を得たようだ。魚の尾の人の輪は、描かれた影により二重三重に魚を取り囲んでいるように見え、影が示しているように人の姿が俯瞰の視点で立っていることから、水中にあって天地がわからなくなる錯覚を得る。
今まさに命を繋ぐために獲物を得たオオワシとその糧になる魚。作家は人間社会、文明を支える社会インフラによって、オオワシが死んでしまうことをテキストとして作品に添えている。 野生動物保護の活動経験やインタビューに基づくという。よくみると画面全体にかかる暗色のフレームは、ゴーグルの形をしていることに気がつく。つまり画面を見ている鑑賞者は、ダイバーの視点であり、向こう側で手を繋いでいるダイバーの輪の一員になっているのだろう。
作家の世界に参加させられる鑑賞者、鉄道や社会インフラが野生動物に与える被害は、自分のせいではないと言ってみても、現代文明の恩恵を受けている人は等しく関与者なのである。反省というよりも、そうした影響の連環が延々と連なっていることを淡々と伝えているようであるが、それを伝える画家もまた、その連環に関与しなくてはならない。
中央に描かれた魚の尾と、その上方に見えるオオワシの鉤爪は、自然界の食物連鎖を象徴し、生存競争の厳しさを端的に表現しているが、この自然の営みに人間社会が介入している。人の輪はオオワシの狩りを妨害するようにひとつ、それを取り囲むようなダイバーの輪がひとつ、輪から離れた傍観者ともとれる人は緩やかに狩りを取り囲んでいるように見える。道徳的な啓発的な雰囲気を感じるが、キャンバスとほぼ同じ大きさに描かれたゴーグルが、 主客を強制的に入れ子にしたような具合である。
「かごめかごめ」は、社会構造や人間関係の複雑さを表現しているようであり、さらに興味深いのは、この人の輪が画面からはみ出していること。これは、描かれた世界と現実世界の境界が曖昧であることを示唆している。
作品全体を囲むゴーグル状のフレームは、この作品の革新的な要素のひとつ。このフレームは鑑賞者の視点を作品内に取り込むしかけとして機能する。つまり、鑑賞者もまた、作品世界の一部となることを期待しており、世界へと関心を向けることを促している。とはいえ、ゴーグルに気がつくかどうかは鑑賞者次第であり、ここに主客の入れ子構造を見た。この構造は、観察者と被観察者、主体と客体の関係を見せようとしている。鑑賞者は作品を見ているが、同時に作品に取り込まれ、その一部となる。