人工自然
WIREDの記事、スペキュラティブ・デザインの川崎和也氏によるテキスト
彼が主宰するワークショップに参加したことがあり、WWFFの機械と衣服を聴講したことがある。
この後も書籍出版のトークイベントなどに通った。そろそろ、リアルイベントも頻繁に行われるようになるだろうか。
ジェームズ・グレアム・バラードの短編集の参照から記事が始まる。着る人の感情によって自律的に形状を変化させる衣服、従来の生地で作られた衣服は顧みられない。
わたしたちがいま着ているようなコットンやポリエステルといった繊維は「不活性素材」と呼ばれ、もはや屍衣にしか使われない。マリー・クワントやディオールなどの伝説的デザイナーも、悪夢のコレクションと揶揄される始末。デザイナーではなく、テクノロジカルなマテリアルが衣服をデザインすることのほうが「おしゃれ」だというのである。
引用によるショッキングな描写は続く、古着から着用者のDNAを採取して、それに基づき3Dプリンタでオブジェが現れる。
衣服はローテクのように見えるが、身近であり、衣服無しでの生活は考えられないようになっている。その生活に不可欠な衣服をメディアとして、監視のための手段としたデストピア的な社会の到来の様相を見せる。
衣服をそうしたように捉えたことは無かったな。
ボルタンスキーを見た時も、それぞれの古着から、それぞれの人生を連想、想像したけれど、群としてとらえることは無かった。
古着のジーンズの山を見たとき、為政者あるいは管理者による服を着ていた人それぞれへの監視へは発想が飛ばない。現在の技術ではそれは無理だが、脳波を読み取れる糸が開発されたら、果たして為政者、管理者は、その糸を織り込んだ作業着を着せるのだろうか。
モニターから国民・従業員満足度が高いです。デモ・ストが起こりそうです。まだ、搾取できそうです。そうした近未来のデストピア。
フーコーの生政治に思いが及ぶのは当然のこと。デジタル技術によって、大量のデータが生成、収集されたとしても処理することができてしまう。
記事は、ざっくりと服飾史を概観し、ファッション、デジタル・テクノロジー、バイオ・テクノロジーなどの融合について論が進む。
人新世のファッション。
既製服、大量生産、デザイナーの特権の解体、スペキュラティブ・ファッションとして次の議論まで進めようとしている。
冒頭のリンクはイントロのような内容であり、連載とあるが、去年の9月以降、次のテキストが出ていないみたい。
副業のファッション企業へのアドバイス。こうしたスペキュラティブなことも議論しているが、企業としては目先の課題解決策も欲しい。足元と長期的視点を持って取り組まないといけない。サスティナブルは、お客様から教えてもらっている。ファッション × テクノロジーを伝えている。