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『写真とファッション90年代以降の関係性を探る』 @ 東京都写真美術館 鑑賞メモ
東京都写真美術館の写真とファッション展、ファッション写真というのは、商業写真の一分野だと思う。ただ、僕が知っているのはECでの話。1990年代は雑誌が隆盛を極めていた頃、今とはファッションの写真の需要と求められていることが違うだろうと思う。
ECで服を売る。
とても重要なことは、商品写真。ドコモ傘下になったファッションECモールのマガシークは、物流費用低減のために倉庫を地方に作ったが、モデル、カメラマン(未だにカメラマンなんだよね、カメラパーソンとは聞いたことがない。)の手配がとても大変だった。そして、そうした手配と商品である服の準備の段取りが、想像以上に大変だった。結果として倉庫を関東に戻した。コストと柔軟性の天秤に、柔軟性が勝った形だ。
とはいえ、こうした段取りをそのままにしておかないのも商業的な動き、モデルの素体写真と服の3Dイメージを組み合わせて、EC写真にできる技術が開発されつつある。服のデザインを3Dで実施しておけば、サプライチェーンのかなりの高速化ができる。コスト削減と効率化、そうした変化にどこまで追随できるのか、むしろハックできるのか。
アパレルECのささげと呼ばれる業務(撮影、採寸、原稿の頭文字)。ここにもデジタルトランスフォーメーション、人工知能(機械学習)の影響が見られる。洋服の説明・販売原稿を機械学習によって生成することもできる。もちろん、どんな服かを認識する。人の仕事と機械の仕事。そんな過渡期が2020年。
髙橋恭司氏の《Tokyo Girl》を見ることが、ひとつの目的だった。
1992年の作品、オンラインでも作品は見ていたし、記憶は定かではないけれど、雑誌でも見ていたと思う。けれども、実際の作品、この大きさで見た時のディテイル、その詳細な部分に、思っていたのとは少し違った発見があった。実物と対面した後、オンラインに戻ってくると、その気付きを見つけることができる。
見ることとコンテキスト、これから数年で、アート・ワールドが試行錯誤していくテーマだと思う。
ホンマタカシ氏の作品。ネイビールック、直立、正面、そうしたファッション・スナップ。
ファッション雑誌の衰退、それは批評力の低下から始まったとする説がある。ストリートスナップの隆盛が取って代わった。
2010年あたりまでの話題だけど、『モードとエロスと資本』では、ファッションを他人の目に対するものから、自己の表現として変化してきた。セクシーからエロへの転換があったとする。セクシーは他者に対して、エロは自己に対して。
雑誌の衰退については、西谷真理子先生の講義で聞いた。
この講義の中で、林央子氏の話題があったが、この展覧会は彼女の監修によるものだった。
ファッションそのものの時代を見つめる目、現代アートとの違いを常々考えている。交差する場もあるし、平行していく場もある。社会を見る目、現代アートは多様に接続していくが、ファッションも思わぬところで社会批評が出現する。大学院、修士課程を修了するころには、このあたりを言語化しておきたい。
ファッション・レーベルであるPUGMENTの展示。
社会、とりわけストリートとの接続がグラフィティや、現代アートもしくは写真の技術を剽窃しているような感じ、それを服の生産工程に持ち込んでいる。服作りのみならず、服そのものの在り方を疑い、ハックしているような感じ。マネキンの服はともかく面白いと思った。
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