今あらためて「サードプレイス」考。|職住分離から職住近接ーこれからは、「1st×2nd×3rd」の発想で。
市川望美です。
創業以来ずっと、愛着のある場所で/身近な地域で/毎日の暮らしの中で「はたらく」ための仕組みづくりや場づくりに取り組んできていて、その思いは変わらないものの、取り巻く社会の空気感が変わってきたなあ、、と感じるここ数ヶ月です。「コロナによるビッグ・プッシュ」によって、はたらき方、とくに、「はたらく場所」についての急激な変化をもたらしました。
今までも「在宅勤務」「オフィス改革」といった観点からそれぞれに前進してきましたが、コロナはその流れを一気に加速し、そして、対象も一気に拡張。
大人だけでなく、子どもたちまで「在宅学習」するように(せざるを得ない状況ではありますし課題は多いけれど)なったり、ヨガやダンスなどの習い事もオンラインになったり、PTAや飲み会もオンライン化・・・今までもそういった選択肢は存在していましたが、「誰もが」選ぶものではなかった。でも、この半年、望むと望まざると限らず、多くの人が「オンライン化」や「自宅中心の超近距離生活」を体験していると思います。
在宅でできるじゃない、オンラインで行けるじゃない、と発見できたことも沢山あったでしょうし、逆に、やらなくていいじゃない、必要ないじゃない、と思ったことも沢山。
でも、「やっぱりリアルな場は必要だよね」ということも強く実感しているのではないでしょうか。(私はそうです)。でも、今までの場所や、既存の場所とはちょっと違う場所が欲しいかなあ・・。でもその「ちょっと違う」って何だろう?
この問いは、「サードプレイス」という考え方にヒントを求めてみようと思います。
「サードプレイス」とは
「サードプレイス」とは、アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグが著書『The Great Good Place』(1989,日本語版は2013)で提唱した概念。第一の場所の「自宅」でも、第二の場所の「職場・学校」でもない、第三の居場所。人が家庭や職場での役割からひと時解放され、一個人としてくつろげる「とびきり居心地のよい場所」を「サードプレイス」と呼びました。
詳細は書籍を参照いただければと思いますが、オルデンバーグは、サードプレイスを「インフォーマルな公共生活の中核的環境」と定義し、「家庭と仕事の領域を越えた個々人の、定期的で自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、様々な公共の場所の総称」と説明しています。(p.59)
産業化によって居住地から仕事場が切り離され、合理性を追求して目的に合わせた場所をつくり、そこ(フォーマルな場)に人を集めることで分断を作ってしまった。
といった文中の言葉が示すように、家と職場・学校が分離し、地域と家庭も離れたことで、生活の緩衝材や潤滑油となっていた「インフォーマルな公共生活」が失われ、職場や家庭にかかる重圧がまし、そのストレス解消手段も失われる。インフォーマルな公共生活がないために、暮らしは割高になる。息抜きや娯楽が公的に共有されず、私的所有や消費しなくてはならないからだ。
そのおかげで、娯楽産業は繁盛したかもしれないし、様々なサービスが生まれたかもしれないけれど、職住分離は、個人を生産的な役割(生産のための手段ともいえる)へ替えてしまった。
で、失われてしまったがゆえに私たちの生活に様々なネガティブインパクトを与えている「インフォーマルな公共生活」を取り戻すためにとっても大事な場所=中核的環境が「サードプレイス」であるということですね。
前掲の通り、サードプレイスとは、「家庭と仕事の領域を越えた個々人の、定期的で自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、様々な公共の場所」のことです。
サードプレイスは、飾り気のない「庶民の治療薬」
サードプレイスは、『ストレスや孤独や疎外感に効く「庶民の治療薬」』(p65)と表現されているように、日常生活で手に入れられる「おくすり」みたいなもの。一見地味で、日常生活に当たり前のように存在しているけれど、だからこそ人々の虚飾や見栄を取り除き、人々を対等にする。
役割から逃れ、一個人に戻ってホッして、自分を取り戻すことができる場。個人と社会の間をとりもつ基本的な施設が、サードプレイスです。
確かに。でも・・?
サードプレイスがもたらすものは「人生の義務や苦役からの逃避とつかの間の休息」ってことは納得できる。でも、ほんとにそれだけ???今そんな場が欲しい??
また、サードプレイスが生まれた主要因は、「性別分離」であり、今なおサードプレイスの魅力と恩恵の多くの根拠になっていると・・・・
洗濯場では既婚女性が、地元の居酒屋で労働者の男性が、床屋は男たちが・・・。疲れた男たちが、小うるさい女房から逃れて酒を飲み憂さを晴らすとか、足元にまとわりつく子どもたちをあしらいながら、女たちが洗濯場や炊事場にあつまって亭主の悪口を言う・・・・?
また、「サードプレイスですって!ばかな!わたしには、第二の場所さえないのよ!」という主婦の声 (p367)に共感する人も多いのでは。(このフレーズは私のお気に入りです)
というような表現も、今この時代に改めて検討する必要はあるな、と思っております。(時代的な背景がありますし、ちょっと乱暴な切り出しです。しつこいですが詳細は書籍をどうぞ)
それぞれの社会特有の状況に合わせたサードプレイス概念
100年ライフ、共働き時代、そしてコロナ下の今、という状況も加味しながら、私たちが求めるサードプレイスって、どんな場所だろうね、と改めて考えたい。
「家庭」(ファーストプレイス)に、職場・学校(セカンドプレイス)が入り込んできている状況の中、どんな場が必要なんだろうか。
そして、オルデンバーグの話は、「第一の場所」や「第二の場所」で、確固たる役割や地位を得ている人たちがその責務から逃れる、ということだけど、それすら危うい人たちはどうすればいい?
コロナは、つながりが弱い人たちを直撃したとも思っている。
今までは重荷を下ろし、解放される場であったかもしれない。でも、これからのサードプレイスには「結びつきを得る」「役割を得る」「責務を担う」ことも必要なんじゃないかしら。
同じ境遇にいる人たちが集って共通の話をするのではなく、異なる立場の人たちが出会い、共に過ごしたり、何かをうみだす機能もより重要になってくるだろう。
3rdをヤドリギのように持つことで、1stと2ndを維持するのではなく、それぞれの場での過ごし方が相互に影響を与え合い、全体が健全になっていくような。分けるのではなく、混ぜる。かけ合わせる。そんな発想も重要になっていくんだろうなあ。
職住近接時代のサードプレイス型コミュニティ
9月に『職住近接時代のサードプレイス型コミュニティのつくり方』というオンライン講座を開催します。サードプレイスやコミュニティの概念的なお話とその変化はもちろん、Polarisが実際に運営しているシェアオフィス内のコミュニティの事例や、「コミュニティマネージャー」など、その「場」を守る人材の募集や育成、チームによる運営、振り返りの手法など、「あり方と方法論」をお話できたらと思っております。
Polarisのことも事例としてよく取り上げてくださる、法政大学の石山先生の研究「地域コミュニティにおけるサードプレイス」では、
と定義されていて、今の日本社会でサードプレイスがどんな役割を担い、果たすのかということの検討がされていますし、これからは本当に色々な検討や実践が進んでいくんだろうと思います。このあたりのことも学び取り入れながらセミナーを開催しますので、新しい場づくり、特に「サードプレイス」的な発想を用いたワークプレイスや、新しいコミュニティづくりにご興味ありましたらぜひどうぞ!
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