人材業界にいた人です。

はじめに

自分がつい最近まで働いていた人材業界について書く。
新卒で人材業界に入社して4年と3か月、同じ人材会社でセールスという職種をやっていた。
できることが増えたり、役割が変わったり、いろんなことを経験したので、この約4年間で体験したこと、感じたこと、学んだことを残します。
今人材業界で働いている人や、働いていなくても人材業界に足を踏み入れようとしている学生、転職活動をされている人が読んでくれるなら、少しでも参考になると思う。


就活

人材業界に興味を持った理由

僕が人材業界を知ったのは、大学3年生で就職活動をしているとき、たまたま大学で開催された東京のベンチャー企業4社が集まって、30人規模のマッチングイベントでのことだった。
2016年当時、就活といえば、まずは3年生の6月に大手求人サイトに登録し、3年生の夏からインターンシップに参加して、翌年の3月の採用情報解禁とともに説明会や選考に進んでいくというのがセオリーだった。
そんな時代に東京の企業が遠い島根の大学まで来てくれて、提案コンペ形の就活イベントをやってくれた。
4年生の先輩から紹介で参加したのだが、
行ってみると楽しくて、こんな楽しいことを企画する企業がいるのかと思った。
当時やりたいことも決まっていなくて、なんとなく人と話すのが好きだから営業職がいいなと考え、保険業界や不動産業界とかイメージできる範囲で企業探しをしていた自分の中で、初めて「こんな場を自分も提供したいな」という思いが芽生えた。
そして、東京の渋谷でそのイベントが開催されていることを知って、4~5回くらいそのイベントに参加した。
イベント会場で、その企業のもとへ行って、「自分もこういう機会を作りたいから選考受けさせてくれませんか」とその場でエントリー意思を示した。
快くOKをいただき、その会社での選考がスタートした。


落選と内定

一番入りたかったのは、そのイベントを開いてくれた会社だった。
選考を受ける前から、代表の方とも何回かあって話していて、僕の「前の自分と同じように漠然と就活に取り組む学生に対して何かを与えたいんです。」というような思いに共感してくれていたし、絶対に内定が出る自信があった。
でも最終面接、副社長との面接で、なぜやりたいのかという部分を深く聞かれて、勢いで進んできた自分は撃沈した。
落選の電話をもらったときはどうしたらいいかわからなかった。
でも今思えば、落選にしてもらったことに意味はあったと思う。
その電話の中で、僕がリクルーターの方に「御社と同じようなことをできる企業内ですか」と聞いたときに、一番最初に出てきたのが、私が新卒入社することになる会社の社名だった。
すぐにその会社にエントリーして、面談や座談会を実施してもらった。
そこで会う人がみんな個性的というか、とんがっていて、「この人たちと一緒に仕事したらなんか面白そう」と思った。
2次面接の時が代表が担当してくれたのだが、開始30分で「いろいろ話聞いてるけどさ。君って遊び人だよね?」と言われたことは今でも強烈に覚えている。
まじめな学生のふりをしていたので、言われた瞬間「ばれた」と思ったが、そのあとすぐに「この人すごいな」と尊敬の気持ちが芽生えて、肩の力が抜けて、遊んでいた内容とその時感じていた就活に対する思いをぶつけた。
面接は1時間の予定だったが、1時間半も話していた。
2次面接合格は無事合格。
最終面接は、食事会だったのだが、自分の素を出して全部話した。
その場で内定と言ってもらえた。
食事会は緊張でお酒を飲みすぎいてしまい、会話の内容はあまり覚えていないが、ビールが好きと伝えた瞬間に参加してくれたメンバーの飲むスピードが上がったのを覚えている。お酒が好きな人たちが集まる会社だった。
無事大学を卒業し、この会社に入社することになる。

ここまでが、人材業界になるまでの道のりだ。
この時は、自分がどんな仕事をするのかも詳しくは知らなかったし、「この人たちと働けるだけで楽しいだろうな」というわくわくしかなかった。


成功と挫折の4年間

楽しかった新卒1年目

入社日は、全従業員が集まる1泊2日の合宿で、入社式をしてもらった。辞令をもらい、自分が誰と一緒のチームに配属なるのかなどが発表され、どういうサービスを提供しているかなどの詳しい説明も受けて、いよいよ仕事をするのかという気持ちに切り替わった。
前日まで友達と飲んでたし、学生気分が抜けない気持ちもあったが、ここで一気に切り替わったと思う。

合宿後は、3日間の理念研修とマナー研修を受けて、6日目から業務スタートだった。

僕が入社したのは、就活生が希望業界や学生時代に頑張ったことなどのプロフィールを入力して、企業が自社にあった学生を探し気になる学生にサイト上でメッセージを送る、「スカウト型の就活サイト」を運営する東京の企業だ。

業務初日から自分でアプローチする企業を探し、アポイントを取るために、電話番号を調べて電話した。
とりあえず電話かけないとアポは取れないからやってみなさい、と上司に言われて、電話をかけまくった。
当時、中途採用ではスカウト型サイトは知られていたが、新卒採用では大手ナビサイトと合同説明会は基本だったので、「興味ないです」と断られて、200社架電かけて1アポイントとれるかとれないかという状況だった。
人に嫌われることとか、断られることが大嫌いだ僕は、その199社の架電が嫌で仕方なかったが、その分アポイントが取れた時の喜びは尋常じゃなかった。架電を開始して1週間くらいはアポを取れたら、社内で拍手をしてもらえて、すごく嬉しかったのを覚えている。

架電は大嫌いだったが、商談は大好きだった。
最初の1か月は、自分がとったアポに上司が同席して、上司と企業の方が話す内容をひたすらメモを取った。タイピングが遅かったので、手書きでノートにぎりぎり読めるくらいの字で書いた。
そして徐々に、商談の一番初めのアイスブレイクや企業紹介などの導入の部分から話させてもらえるようになって、そこからどんどん「次回のアポイントからここも自分で話します」といって、どんどん上司の話す時間を削っていった。自分で話す領域が大きくなるほど、一人前に近づけている感覚がして、楽しかった。終業時間後に、何人もの先輩にお願いして商談練習をしてもらって、コテンパンにされた。でも「この先輩より絶対売ってやる」という気持ちで頑張った。
もうこの時には、完全に営業に染まっていた。売り上げで誰かに勝ちたいと思う気持ちが何よりも大きかった。

初めて自分がとったアポから契約をもらえたのは、入社3か月目で、介護業界の大手企業だった。
初めての申込書をもらえた時は、本当にうれしかったし、この企業の採用成功に全力を尽くそうと思った。
のちにこの企業からクレームをもらうことになる。

初めての契約の快感に取りつかれてしまい、契約を取るために24時を回るくらいまで架電の企業リストを作ったり、提案書をその企業用にカスタマイズしたり、企業情報を記憶したり、できることは何でもやった。
7月から上司なしで商談できるようになって、東京中を回った。
独り立ちしてからは、なかなか契約とれなかったけど、外で人と話すことが好きだったので、企業の人事の方と話すだけで楽しかった。

そこから少しずつ契約が取れるようになった入社6か月目の9月に、初契約の介護業界の企業から人事の方からメールがきた。

「全然採用できないです」

その文字を見て、やばいと思った。
どうしようかと焦ったが、解決策が思いつかずにすぐに上司に相談した。

上司から聞かれた。
「最後に連絡したのは?」
「契約後の操作説明の時です」と僕は答えた。
上司は、「わかった」と言って、
すぐに改善策を用意して、上司との二人でその企業に足を運んだ。

その時の打ち合わせのことは今でも覚えている。
私と上司の目の前に、先方の人事担当の2名と人事部長の方の計3名で、
対面で打ち合わせがスタートした。
謝罪から始まった打ち合わせだったが、開始3分で改善策の提案の話になった。
僕は一生懸命、どうやって残りの期間で採用していくかを提案した。
1時間みっちり企業の方とすり合わせをして、
「では今後はこれで行きましょう。お願いしますね。」と先方から言ってもらい、打ち合わせは終了した。

帰り道で上司が私に聞いてきた。
「何が大事か分かった?」
私は「はい、成果出せなくて申し訳ないです」と言った。
上司は、「違うよ!先方はそこに怒っているんじゃないよ。その成果のために何もしなかったことに腹を立てているんだ。売って終わっているだろ。何のために仕事してる」と強く怒られた。

僕は営業というものを勘違いしていた。
営業はものを売る仕事だと思っていたけど、
営業は目の前の相手の困っていることに寄り添う仕事だとその時認識した。

現在は、分業体制になっているが、その当時は架電から利用サポートまでを同じ営業が担当する体制だった。
営業の役割について認識した後は、どの企業に対しても、定期的に連絡をした。

そこに気づいてから黙々と目の前のお客さんのことだけを考えて、仕事をした。
成果を出せる企業からは「君のおかげでいい子が採用できたよ」と言ってもらって、成果が出なかった企業からも、「頑張ってくれたからね、それでも採用できなかったのはしょうがないね」と言ってもらえた。

そんなことが続いた1年目だったが、周りのサポートもあって楽しくやっていけた。


辛すぎた2年目

営業の魅力を自分なりに認識し、知識も増えて、仲のいいクライアントもでき始めてきた2年目に入る少し前のことだった。
営業チームが、新規営業と、既存営業の2つに分かれることになった。
僕は新規開拓営業になることになった。
商談は好きだったので、まぁなんでもいいかと思った。

でもそこからつらい日々が続いた。
自分が担当していた企業をすべて、既存営業チームに引き継ぎ、架電と商談を繰り替えす日々がスタート。
契約はもらえたが、契約後はすぐに既存営業にバトンパスしなくてはいけなかった。
僕の武器は、ロジカルな提案とか、交渉術とかではなく、人柄だった。
なので、お客さんも「君だから契約するよ」と言ってくれる企業が多かったので、苦しかった。
苦しすぎて、引継ぎの時には、完全に担当から離れますと言えずに、「私と一緒に○○が担当になりますので、今後は2人で頑張ります」というような言い回しで打ち合わせをした。

こそこそと契約後のフォローも自分でやっていた。
フォローにも時間がかかるので、その分新規営業にかけられる時間は少なくなり売り上げは下がった。

営業の楽しさは目標達成が前提の、プラスアルファでどれだけ価値提供できるかと思っていたので、やりたいことをしていると思いつつも、その前提をクリアできていなかったので、あの半年間は全然楽しくはなかった。
新規営業チームが苦しむ一方で、既存営業は継続契約でバンバン目標を達成していたので、それがさらに楽しくないにつながっていた。

事業部全体としてもうまく売り上げが出せず、半年で新規・既存の2つに分ける構造は廃止になった。

営業2チーム体制が廃止になり、一気通貫スタイルに戻ってからは、楽しさが戻ったが、なかなかサービスが売れない時期に入ってしまい、そこから売り上げが一気に伸びなくなった。
何をやってもうまくいかずにスランプに陥った。
そして2年目の終わりにコロナが流行りだした。


転機の3年目

3年目のスタートは最悪だった。
コロナで次々に新卒採用を止める企業。
頼りにしていた既存企業も「ごめんね。今は動けない。」と言われてしまい、既存からの売り上げも止まってしまった。

2020年4月から緊急事態宣言に合わせて、リモートワークに切り替わってから1か月たったゴールデンウィークで、転職を考えた。
どうなるかわからないし、会社がつぶれてしまったらもう駄目だと思ったし、その年の2月に結婚した妻のことを考え、転職しようと思った。

それでゴールデンウィークが明けて、部長に相談した。
僕から「ちょっと今のままではやっていけないです」と言うと、すぐに提案が飛んできた。
「代理店をまとめてほしい」というものだった。

代理店の存在については理解をしていた。
自社サービスを直販営業の代わりに広めてくれる存在で、当時は合計10社くらいが代理店として販売してくれており、その代理店を6人くらいの直販営業担当がそれぞれ販売管理や営業指導を行っていた。

部長からの提案は、その10社での売り上げを伸ばしつつ、新規代理店の販売網も広げて、事業部の売り上げ増加をしてほしいというものだった。
僕はその当時、代理店企業を担当していなかったので、提案をもらったときに正直わけがわからなかったが、とにかく今の業務から抜け出したいという気持ちだったので、「やらせて下さい」と言って、一人で代理店を支援するプロジェクトを立ち上げた。

既存代理店の10社の引継ぎはすぐに終わったが、
あらゆるフォーマットを資料が営業担当ごとに違って、「これを整備するだけでも大変そうなのに、代理店を増やして売り上げを増やせと言われましても・・・」と、思った。
ただ、考えることはやめなかった。
自分がやるといった仕事を投げ出したくはなかった。

まずは整備に徹しようと思った。
初めに基盤を作れば、その後新規で入ってくる代理店もその仕組みの中で動かしていけると思った。
発注管理ツールなどを導入する費用はなかったので、
Googleのスプレッドシートで管理用のシートを作り、発注書の作成とか、利用企業のID情報などをまとめられるようなものを入れたり、代理店担当者から毎日数十本の電話が来ていて、その対応で時間を取られていたので、各代理店に問い合わせ用のQ&Aフォーマットを作り、後でまとめて回答できるような体制にした。
その時はプロジェクトメンバーは僕のみだったが、社内外のいろいろな方に意見を聞きながら、とにかく一人でも対応できるような仕組みづくりをした。
何が良いかもわからなかったので、代理店から使いづらいという声を拾って改善していった。
仕組みを頭の中でイメージすることはできるけど、それを実際にシートに反映できなかった僕は、スプレッドシートに詳しい同僚に協力を仰ぎながら、
「こんな機能を付けたらどうか」「もし将来商品が増えたら、こっちの仕組みのほうがいいな」とか、あれこれ意見を出し合いながら進めた。
そして3か月間、企業からの対応と、仕組みづくりと運用を進めて、何とか一人でも回せる仕組みを作った。

既存代理店とのやり取りもシートのおかげでかなりやりやすくなったので、
同年8月からは新規開拓に時間を優先的に使った。
問い合わせや架電、代理店からの紹介などを様々な手段を使って、どんどん新規代理店を増やした、新規代理店に対しては、どんなことをしてほしいかと聞き、ひたすらにそれに応えていった。
そうして受注数を増やして、売り上げをぐんぐんと伸ばした。

自分自身で営業をしていた時は、自分で売ってお客さんに寄り添っていくというのが楽しくてやっていたが、代理店営業は全く違うの楽しさがある。

自分はエンドユーザーとは話さないし、感謝の言葉ももらえるわけではない。
でも、実際に生まれているありがとうの数は、直接見えないだけで代理店とユーザーの間ではたくさんあると思っている。
これは僕が感じる人材業界の醍醐味だが、自分がかかわる範囲でどれだけの人の人生が変わったかが増えれば増えるほど、社会貢献できると思う。

反対意見として、量(人数)じゃないという人もいるだろう。たった一人のすごい人材が入社するだけで会社は変わることもあるし、社会を変えるようなことが起きるかもしれないから。

でも僕の考えは、そうではなかった。
正味、その人がその企業で働いてみないとわからないし、量ではなく質にこだわっていては可能性の幅は狭まる。
だから、大切なのは、可能性の種をどんどん巻き続けることが大事だと思っていた。

そんなことを考えながら、やることが変わって、心境も変わった3年目の途中で、元社員だった先輩から「一緒に働かないか」と声がかかり、再び転職も考えた時期もあったのだが、残念ながら入社することができず、まだまだ今の会社でやることがあると思い、転職は考えないことにした。

そこからはさらに仕事に力が入り、3年目の終わりには事業部の利益の4割ほどをこのプロジェクトが占めるくらいになっていた。

そして3年目の終わりに第一子が誕生した。


絶好調の裏で揺れに揺れた4年目

4年目は波に乗っていた。
コロナ禍でも、新卒採用を再開する企業が増え、今まで対面形式の合同説明会に使っていた予算を、新たなサービスに投資できるようになった企業が増えたことにより、今まで認知の少なかったスカウト型サービスの認知が上がった。

代理店数も10社から50社に増え、売り上げも3倍くらいまで押し上げた。
メンバーも1人から3人に増えて、チームリーダーを任せてもらえるようになった。4年目の終わりには4人目が入ってきてくれた。
マネジメントをできていた自信はなかったが、それでもついてきてくれるメンバーだった。今でもすごく感謝をしている。
人数が少なかったので、何でもみんなでやりつつ、責任範囲は明確にしながら進めた。
自分たちがやった施策に、市場の伸びが追い風になって、売り上げは立ち上げ当初から3~4倍になった。
社内からの称賛は本当に気持ちがよかった。

ただ、その裏で、気になり始めていたのは、社外の世界だった。
人材業界の代理店営業をやっているとわかるのだが、普段連絡を取る代理店の営業担当の方で、たまにとんでもない人がいる。

実績でも、ロジックでも、この人にはかなわんなという人です。
そういう人を見ると、自分の視座の低さと、スキルのなさに気が付く。
今までうまくやってきたけど、それはあくまでも社内の中であって、
社外で通用するのかが気になりだす。

そんな人を見て初めて自分の現在地を知り、このままでいいのかと思いつつ、数字は好調だったため、もやもやしながら現状を維持し続けた。

何か新しい環境に身を置きたい、このままではダメだと思いつつも、今の自分が抜けたら大変なことになるんじゃないかという思いがあり、転職に踏み切れない状態で、一番お世話になった元上司に相談した。

そうすると上司からはこのように言った。
「何かで迷ったときにはしんどいほうを選ぶと未来のためになるよ」
この言葉が決め手となり、4年目の終わりに、人材業界を離れることを決意した。

少し転職のことについても触れたが、これが僕がいろいろと迷いながらも進んできた約4年間であった。


この4年間で学んだことと伝えたいこと

1年目ブランドには要注意

僕が取り扱っていた新卒採用のサイトに限る話かもしれないけど、新卒1年目というブランドは武器になります。
「一年目に任せるなんて心配」という企業もいるけど、企業人事は担当営業に対して「一生懸命さ」をもとめるので、「○○が熱心に提案してきてくれるから今年はあなたのところに任せる」と言ってくれる企業は多いです。
ここで一瞬売れた気になります。
売れた気にだけなっているといきなり売れなくなるので要注意。
僕も2年目でいろいろ環境の変化はあったものの、一気に売れなくなりました。
1年目は勢いだけで契約をもらえたりしますが、2年目からはより質の高い提案や結果を求められるので、一年目から継続率の高い先輩のフォローや提案方法をしっかり見ておきましょう。
聞く・話すのバランスや、テンポ、言い回し、持っておけば有利になる他社の情報とか、全部を盗むくらいで見てほしいです。
僕の1年目は一人で出来ることに快感を覚えていましたが、今思えばもっと先輩の商談に同席させてもらったりしておけばよかったと思っています。
独り立ちは2年目からでもいいです。
1年目はいろんな基礎になると思うので、とことん吸収してほしいです。


売れる仕組みを理解する

代理店への勉強会で営業の方から質問が多いものとして
「どんな企業が契約とりやすいですか」というのがあります。
この質問をもらうたびに、「狙いどころは全部です。」いつも答えていたけど、皆さんぽかんとします。
部長さん・社長さんクラスは笑ってくれていたので、意味が伝わっていたのかなと思います。

人を増やしたい、企業を大きくしたいニーズすべての企業に思っていると思います。
現実的に今は○○(お金とか、時間)がないし、人はいらないよとという社長さんもいましたが、その○○があれば人を採用したいということだと思っているので、採用欲はありますよね。

なのであえて、ターゲットを絞らずどんな企業でも可能性があると思って連絡してみてという思いでいつもそう答えておりました。

なのですが、契約を取りやす企業は実際あります。
「お金がある、労働集約型、離職率が高い」
の3拍子がそろっている企業は、まずアポが取れます。
多分これは採用系に限らず、研修系とか、人事管理系とかあらゆる人材にかかわるサービスでも共通していることだと思います。
あたりまえですがお金を持っているので、「とりあえず見積もり出して」とすぐに金額の話まで持っていけますし、導入のハードルも低いです。

契約を取りたいのであれば、人が増えない(わかりやすい式で例えるとこんな感じです。 退職人数≧入社人数)の企業を見つけることです。

でも一つだけ注意してほしい。
契約後のフォローだけはしっかりしてください。
一瞬の契約欲しさに手を出し続けてしまうと、いつか痛い目会います。私のように。
契約後のことも考えてやっていきましょう。
「うちは分業だから、契約後にはCSに任せる」という考え方もダメです。
CSの方を信頼するのは良いことですが、ひどい契約の取り方をすると社内外から反感を持たれて、だれも幸せにならないですから。


目標管理

ほとんどの会社で売り上げ目標がついていると思います。
目標を達成し続けていた時に意識していたことを伝えます。

僕が意識していたことは3つです。
①裏目標は150%
②3か月先の売り上げを作る
③常にどの数値の調子が悪いか見る

まず①「裏目標は150%」については、シンプルな考えです。
与えられた目標を100%をゴールに考えると、何か少しでも予想外のことが起きたら一発で未達です。
常に達成し続けられるように、大きめの目標を掲げてそれを達成させに行きましょう。

続いて②「3か月先の売り上げを作る」です。
大体の人材業界の営業って、半期で目標がついて、次がクオーター(3か月)、最後に月ごとに予算が立てられますよね。
みんな1か月間の目標に目が行きがちなのですが、1か月頑張った後にこう思います。
「来月の見込みが足りない」
僕も何回もこの状況に陥りました。
こんな状況を招かないためには、体力はいりますが、商談数をふやして(たくさんアポイントを取って)、その中から提案が少しなりそうな企業は、2週間に一回くらい情報提供を兼ねた電話か打ち合わせをして、将来の見込みとして後追いします。
新規営業の場合は、3か月先まで見えると心の余裕がだいぶん違います。
提案時期を見計らうときに、その企業の決算時月を調べるといいですよ。
上場企業であればHPのIRを見ればわかります。
話の流れで、お金を使いたいかどうかを聞いて、「使うとしたらいつ使うか」という話ができるといいです。
相手のスケジュールに合わせて後追いの連絡をしないと、めんどくさい奴だと思われるので、相手の動き方はしっかり聞きましょう。

最後は③「常にどの数値の調子が悪いか見る」です。
売り上げが立つまでに通らなければいけない要素がたくさんあると思います。
例えば営業なら、ざっくりですが、架電→商談→提案→見積→申し込みといったところですかね。
ぜひ、どこの歩留まり(移行率)が良いのか、悪いのかというのを研究してみてください。
よく「売り上げが上がらないのは、提案の質が悪いからだ」と決めつけで、そこを重点的に直そうとしますが、そもそも提案の機会が少なかったりします。
悪いところを直すという当たり前の考えですが、
全体の要素を把握しないと見えないので、まずは自分が行っている業務の全体像を細かく図解していくことをお勧めします。

僕はこの3つをとことん極めていると思います。
リーダーというポジションをもらってからは、チームメンバーの数値管理も役割だったので、毎日数値ばっかり見てました。
些細な数値の変動もなぜだろうと考えて、分析してみることが目標管理において何よりも大事だと思います。


4年でわからなかったこと

この約4年間でわからなかったことがあります。

「採用の成功」についてです。

「採用成功のために頑張ります」とか、いつも言ってました。
そして採用の成功って何かをいつも漠然と考えて、自分が働く意味としていたけど、結局何かわからなかったです。

3年目で自分が思う社会貢献を見つけたのですが、あくまで僕の仮設の話なので、本当に正しいのかを見ることはできませんでした。
そもそも採用がうまくいったかって、人が採用できたかどうかでもなくて、採用した人が活躍することでもまだ測れないと思ってて、測るのであればその企業が掲げるビジョンに近づけているかどうかだと思います。
でもビジョンをどうやって実現度合いを測るかわかりません。
というか、そもそも測れないかもしれないです。
でも、たぶん採用の本質はそこにあるような気がします。
4年だけでは到底見えないことなんでしょうかね。
本当にわかりません。

でも、こうじゃないかと思えただけでも約4年間だけど、人材業界に身を置いた意味はあったかな。

人材業界にいる人、そこで働こうとしている人は、この「採用の成功とは」をずっと考えてほしいです。


終わりがない道

自分の経験談から書きだして、終わりには回答がないかもしれないテーマも書いた。
本当に面白い業界だよな。
苦しいこともたくさんあったけど、会社の同僚やお客さんに支えられて、何とかやってきた。
迷ったりすることもあったけど、ここまでこれたのはそういった皆さんや、アドバイスをくれた人たちのおかげです。
本当に感謝しております。
ありがとうございます。

そしてこの業界に対しても感謝します。
僕を育ててくれてありがとうございます。

次のステージでは何があるわからないけど、学べるものは学んで自分なりの意見が持てるように過ごしていきます。

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